2010年11月21日日曜日

抽象化されゆく人間関係とその未来

 人間が人間であるが故に、言葉による戦いを行うようになった。

 草原、サバンナやジャングルにおいては、弱肉強食を行う動物たちが生き残りゲームをやっているように、かつては人間の祖先達も猛獣のエサであったりした時代が長く続いてきた。

 しかし時を経て、人間は地球上で最強の動物となり、今もなお他の種を滅ぼしながらその数を増やしている。言葉によって仲間を作って自分より強い存在に戦いを挑んだり、武器を作り方を伝承したりできるようになったためだ。

 結果、さらに多くの資源を得るために、人間は人間同士で戦うようになったが、一方で強すぎた人間という種同士の戦いでは、戦うことによってお互いが大きな痛手を負うために、結局はどこかで折り合いを付けるということになった。

 それでも、かつては人間の数や、武器の強さ等で戦い合ったが、核兵器までが開発されるに至った今日においては、そうおいそれと武力衝突をするわけにはいかない。それは戦いが起こればその起こした張本人に死が訪れる確率が非常に高くなったことや、戦いが起こす環境破壊によって、その戦いによって得られるメリットがすでにデメリットよりも遙かに小さいものになっているからである。(なので、発展途上の国々に絡む小競り合いや、テロ行為は続くことだろう。)

 現在、その主戦場は、もはや言葉の世界にある。どちらが社会において共感を得られるか、得な人間が増えるのかのゲームであり、時に自説を振りかざすために、小難しい数式や理論などを持ち出す人間も多いけれども、実際には、その意見において共感が沢山得られなければ意見そのもののパワーを持つことが難しいため、簡単でありながら、説得力を持つ、また反論に強い意見を持つ人間が結局のところ世間の舵取りを任されることになる。

 例えば裁判や宣伝活動など、時に強制的に人を動かすに至るためには、言葉による説得と納得の世界の出来事になる。
 その場では平等さや公平さが求められるため、法律などの「ルール」が事前に設定されるに至る。

 そうすると、世の中を動かす人間は、どこに存在するのかというと、「言葉の定義」の世界に生きるということになってくる。

 例えば、「刑法」という法律に「殺人」というものを入れると「死刑」というものが出てくるが、ここに介在するのが弁護士や検事、そして裁判官がいる。同じように人を社会において殺したとしても、「情状酌量の余地がある」とかなんとか言って、「殺人」であっても、色々なレベルのものがあるんだと言い、その事象において、解釈を加えてくる。その解釈の結果、本当は死刑になるところがならなかったり、何かの証拠を、証拠として決めつけることで、無実の人を死刑にして殺すこともある。

 「情状酌量の余地って、単にお前がかわいそうに思っただけだろ」「反省が見えるって、何じゃそれ。オレには何にも見えないぞ」とか色々とつっこまれつつも、結局のところ、法律というか世の中のシステム、あるいは関数のようなものに入れるパラメータの入り口で解釈をいじくって結果を操り、自らが欲しい結果にする、それがこの世の中の勝者、あるいはエリート、というやつなわけである。
 しかし、そうであるとすると、今度はエリート同士の戦いが起こったときに何が起こるかということになるが、たいていの場合、棲み分けができているが、時として、その定義部分の解釈を巡って争うことになる。ここでは、幼稚園と保育園はどっちが子供を育てるのにいいでしょうか、とか、いや一緒には絶対できません、とかいう訳の分からない戦いになったりする。

人間の感情は今後どう変化していく?

 ここでひとつ問題なのは、元々人間というか、動物が自然的に持っている「感情」というものがある。
 例えばある価値あるものを巡っていくらかの人間が衝突したとして、感情に振り回される人間は、はっきり言って不利な地位に置かれると言って良いだろう。まず感情的になった時点で言葉の戦いで相手に攻撃を行うための「理屈」を紡ぐことができなくなるし、感情的に他人を害する存在というのは、この抽象化された社会においては単なる害悪として処理されるからだ。その理由は暴力が野放しになると社会が維持できなくなるためである。

 そこで、まずは感情をコントロールし、自らが生きるフィールドの中で得られる価値を敵と取り合う、言い換えれば「戦う」わけだけれども、そこでは、特に抽象化された言葉によって、自分の行動が全体の利益になるとかなんとか言って、相手が動員できる「共感パワー」を超えなければならない。
 軍隊や警察などの暴力装置自体が、社会のためのシステムと統合されてしまった今日においては、もはや暴力は役に立たず、抽象的な言葉によって他人を意のままに動かす人間こそが天下をとるようになるからだ。

 しかしこれとて万能とは言えない。言葉を発さず、あるいは理由がなく、ただマイナス感情に裏付けられた無差別の暴力(テロ)は、そこで天下を取ったつもりの人間を一瞬にして抹殺することもあるのだから。そのためには仮にうまくいっていても無言の悪意には気をつけなければならない、ということになる。

 こうして考えてみると、人間という存在自体が、ある特定の「形」に向かって強力な淘汰圧をかけられているような気持ちになる。

 暴力を好まず、感情は抑えつつ、言葉巧みで、人からは好かれる、という。
 未来人はそんな人間ばかりになるのだろうか?

2010年11月11日木曜日

sengoku38さんはどうなってしまうの

中国の漁船が日本の巡視船にぶつけてきた問題だけれども、結局、海上保安官ことsengoku38氏から事情を聞いているという話で、まあ、日本は一種の「祭」状態になっている。しかし、この人を有罪にするとなった場合、その義憤に燃えてやった行動が社会的に、処罰あるいは制裁される、ということになるわけだが、それが今の政府がどの程度できるのだろうか?とつい考えてしまう。

かつて中曽根政権下では、大韓航空機が領空侵犯して当時のソ連の軍用機に撃ち落とされた事件があった時、一時、日本領内で撃ち落とされたのでは?という憶測もあったものを、その時は自衛隊のレーダーで傍受していた内容を公開した。防空能力が知れ渡るからよくないという反対論を押し切って。

一方、今回の問題の発端は日本政府自体が、中国漁船から衝突してきたのに、それを公にせず、そのまま一般に公開をしないままウヤムヤにしようとしていたというところであった。特に仙石官房長官がAPECに影響するから船長を早く釈放しろと言ったなどの伝聞も相まって、この犯罪(?)者たるsengoku38氏よりは、むしろ今の政府を批判する人が多いのは当然だろうと思える。

つまり「日本のみんなのためにがんばっているのはどっちでしょうか?」という問題である。

政府がこの事件を発表しないことが原因の一つだったわけだけれども、それを義憤にかられて公開した人間を罰せるかどうか、あるいは罰することがどの程度できるのか?非公開という判断に問題はないのか?非常に論点が多い。
実は誰かが海に落ちて中国人に銛で突かれたなどという噂もあり、裁判ともなればその辺も明らかになってしまうかもしれない。そうなったら政府はどう釈明するのだろうか。 
この映像の非公開という判断は、日本の一般国民の代表たる日本政府のするべき振る舞いというよりは、中国政府日本支店と呼ばれても仕方がないような気もする。あるいは、インターネットが普及した現在の社会における情報伝播力を、弁理士でもあるはずの菅総理ですら、よく理解していないのかもしれない。
中国人民も「実際のところはどうなんだんべ?」ということで、検閲をかいくぐっていろいろと考えているのかもしれない。

「英雄」中国船の船長さんの行方は?

しかし、冷静になって考えてみると、「犯罪では、最も得をするやつが大抵は真犯人」ということもある。
で、今回の事件の中国側の船長はすでに失踪、あるいは行方不明らしい。
一般的には中国の軍人がやって、軍に戻ったのだろうという話もあるけれども、本当のとこ、日中関係が悪い方が得になる、という勢力がいるのかもしれない。
既に日本と中国との貿易額はアメリカとのそれを額で超えており、中国と日本が組むことを気持ち的によしとしない勢力もある。中国は中国で、日本を差し置いてアジアのリーダーとして覇権的な地位を確立するため、プレッシャーをかけた方がいいと思う勢力もあるかもしれない。

で、その船長が本当の黒幕が誰かってしゃべる前に口封じのためにコロされちゃった可能性もあったりもするわけで、この辺の闇の部分が表に出ないことには真相というのはまだまだわからない。
まあ、今確実に言えるのは、日本人の対中感情が悪化することと、民主党の支持率が下がることぐらいだろうか。
それがどっちに転がって、どういう結果になるのかはまだよくわからない。

おまけ:
「自作自演の歴史から学ぶ」
http://www.qualitysaitama.com/?p=9303


この人○IAじゃないのか(笑)
※6:19あたりを見てそう思いました(・∀・)

2010年11月2日火曜日

某優良企業の憂鬱

某優良企業の偉い人とあった。

その話というのは、(社員の採用時において)「最近、若い人の中でも薬物汚染が拡がっているが、検査とかは可能なのだろうか」というものであった。結論としては「ありますよ」という話なのであるが、問題なのはその検査なるものが、どれぐらいの精度で結果を得られるのか、というものとなった。
で、某医師に相談したところ、確かに尿でも血液でも、検査の前に酒井○子のようにどこかに隠れるなどして、時間をかけて薬を抜けば、検査結果は「シロ」と判定されてしまうものらしい。

しかし、実際にはもっとそれを見分ける確実な方法があるのだそうだ。
それは「腕を見る」ことであり、腕にもしそれらしい注射跡を見つけたら「隠しちゃいけないよなっ?(´∀`)」と言って軽く肩を叩くと、本人はたいてい白状するので、それでわかるものらしい。

一見、カタギ風の人でも身体のそれらしいキズを見ると、その人の人生というのが意外に結構色々わかってしまうものらしい。
そういえば、たまに女の子でも手首にいっぱい傷跡があったりするのをみて、ビックリしてしまうことがあったりする。

何でもいいけど、入れ墨を彫ると肝臓ガンになりやすいらしい。で、身体が一生懸命代謝して、きれいになっても「色が落ちた」と言ってまた彫って色を入れるらしい( ゚д゚ )

健康マニアの自分には想像もできない世界がそこにはあるようだ。

2010年10月17日日曜日

マイペース人間の戯言

社会的に見ると、自分はとてもマイペースらしい。
最近、コミュニケーション系の話で怒られることが多い。で、その怒ってくる人というのは「自分は当然こうしてくると思っていたのに、その形で戻してこない。おかしい!」というものである。

要するに慮り度が足りない、というものだ。

しかし、これは相手側において、単に「この人(僕のこと)はこういう風に動くだろう、こう動いて当たり前」という勝手な思いこみが前提にある。
確かに少しこちらが努力すればその気持ちに応えることはできるかもしれないが、「必要のないものは、徹底的に捨てる」という自分のポリシーがあるため、ここの部分とコンフリクトするわけだ。

言い換えれば、社会においては「これぐらいやってくれて当たり前」という相手側の甘えにも似た色々な人の思いこみに対して「そのために支払うコストは莫大となり、面倒(苦痛)なので、やらなくても良いことはやらず、目の前のやるべきことのみにフォーカスしたい」というこちら側の考えとは衝突が起こってきているとも言える。

これは、ある面で避けられないのかもしれない。それに別にどっちが悪いとも言えないだろう。相手側にも慮り度と、勝手な思いこみで失敗しているのだから、コミュニケーションロスがないように歩み寄るべきなのだ。でも、自分からは歩み寄らず、相手ばかりを変えようとするのが人間というモノなのだ。(まあ、自分にもそういうとこあるんだけど)

結果、どうするかというと、相手が怒ると言うことはよっぽどそれをやってもらいたいのだろうから、そこら辺はやるようにしましょう、と修正する(折れる)わけであるが、別にそれ以外のことについては問題がないわけであるから、別の部分については変える必要はないともいえる。相手が怒るまで特に何もしないというのはある意味妥当な行動パターンと言えるだろう。
言い換えればローコストである。相手との人間関係の重要性も関わってくるわけであるけれども。

自分がこうなってしまったのは、こちらが色々と慮って行動したとしても、結局それは必要ないということで空振りになることが多かったこともある。何をして欲しいのかよくわからない言動が多かったり、過剰に要求が多かったり、そもそも情報を提供してこないのでこっちが動こうと思うキッカケさえ与えないでうまくいかないと怒ってくる。

その人に対して情報が充分に集まれば、論理的に考えてこれは必要になるだろう、ということは先に準備するというのは、相手と衝突の数が減る分だけいいだろうと思うのだけれども、だいたい世間の人間共ときたら、物事がうまくいった、うまくまとめた、未然に問題を解決した、等々という部分については、理解も感謝もなく、当然にその果実が得られるものだと勘違いしてしまうものだ(笑)

だからたまには衝突してみるのも、相手に対する「世間(っていうか僕)なんて、こんなもんなんだよ」という教育としては、別に悪くないのかもしれない。

だけど優秀なやつっていうのも一方で存在する。
必要な情報を必要な量で、簡潔にして欲しいことを的確に伝えてくるヤツ。
そういう人に自分もなりたい。

2010年9月18日土曜日

「人生の最適化」という新しい人生軸

パソコンをいじっていて、ふと気がついたことがあった。
それは「適切設定」というものの持つパワーである。

二台のパソコンがあったとしよう。それらが実はハードウェア構成がまったく同じであっても、ソフトウェアであるところのOSをきちんと設定するのとしないのとでは、そのパフォーマンス(能力)には雲泥の差が出てくる。
その違いはパフォーマンスだけではない。全体的な方向性というか、何をするために何をしているのか、という部分において、適切に設定されているということは、その目標に向かって格段の速さで到達することができるのだ。
では、適切な設定とは何か。
それは「リソース(資源)の集中」が自動的に行われるよう、仕掛けがうまく成されている、ということに他ならない。(※特にプログラムなどは、作者の能力によって、そのパフォーマンスにものすごい差が現れるよい例である。)

例えば遅いパソコンを見てみると、その動作不良の大きなポイントのひとつは「無用なソフトウェアが動いていること」であり、何かの処理をする際に、同時にその無用なソフトウェアを動作させるためにCPUパワーを喰っている。そして、肝心の仕事、あるいはやりたいことの動作を遅くさせてしまう、ということである。

もうひとつは、「害のある設定、あるいは害そのもののソフトウェアが動作していること」である。害のあるソフトウェアというと、コンピュータウィルスなどは言うまでもないが、その他にも、広告を表示させるためのプログラムや、過去に使用したキャッシュなどがいっぱい溜まっているためにハードディスクを圧迫していることもある。これも無用なデータがリソースを圧迫している、ということになる。

だから適切な設定というものを別の言い方にすれば、「行われる作業が少ない負荷で済むよう最適化がなされ、それを稼働させるために充分なリソースがある」ということになるのかもしれない。


そして、これは普遍的な人生そのものに適用できる、ということが、新しい人生軸として使えるのではないか、ということなのである。

そこで、まず設定の目標になるのが、自分の身体と仕事(とその人間関係)の最適化ある。

まず身体について考えてみよう。これも、ひとつのシステムだと考える。
そうすると、まず、ハードウェアは、口に入れた食べ物を、消化し、血や肉とするか、あるいは運動のためのエネルギーとし、最後は排泄するという、ひとつのプロセスを持っている。

しかし、考えてみれば、誰しも口に入れるものに対して、我々はあまりにも無頓着だ。たまにテレビで「何々が身体にいい」というと、わーっとそれを買って食べて気分を盛り上げたりするが、毎日タバコを吸ってやめられない人も多いし、あまりにも大食いにものを食べる。そして、栄養のバランスなど考えず、人類の長い歴史によって、飢えることを前提にした設計になっている「食欲を醸し出す脳内の装置」によって、特に脂肪分と塩分の多いものを、あまりにも簡単に口にし過ぎる。
糖分もそうだ。甘いものが大好きなので、簡単に甘いものを口にし過ぎる。人工甘味料なんてなんだかわからないものでも簡単に口に入れる。

そして、高脂血症になって、高血圧になって、あるいはガンになって苦しむ。ひょっとしたら、鬱病になったり、どっかが痛いとか肩が凝るとかそういうのものも、そもそも口に入れるものが間違っているとか、生活習慣が完全におかしい可能性も高いのではないかと思える。

つまり昔の船乗りが果物を食べることがなかったせいで壊血病になったり、江戸時代に白米ばかりを食べるようになって脚気になったのと同じようなことが実は起きているのかもしれない。(前者はビタミンC、後者はビタミンBの欠乏症だ)
今よく思うのは、女子で鉄分不足の人は絶対に多いだろうということだけれど。

よく考えてみれば、街を歩いていて、これだけ腹の出た人ばっかりというのは、やっぱり異常だ。タバコを吸いながら歩いている人も多い。
自分が思うに、この「身体」というものは、ある程度自動的に病気が治るような自己回復システムを持っているのと、元々が人類が何百万年も飢えた歴史をふまえた身体設計になっているため、よっぽど理性というやつで行動や口に入れるものをコントロールしようとしない限り、身体設定の最適化ができない、という類のモノなのではないかと推察できる。

また難しいのは、例えば体調が悪くなったとして、その理由が理解しにくいことだ。その口に入れたものが悪いのか(栄養が足りないのか、過剰摂取なのか)、それとも運動しないのが悪いのか、病原菌やウィルスによる病気のためなのか、あるいは加齢による老化のためなのか判然としない。

それでも、多くの本を読み、身体の適切設定をする、ということを思うだけでもずいぶんと違うはずだ。幸い食べ物は豊富にあるし、サプリメントもあるし、運動するためのツールもあるし、体重計や体脂肪計もある。あとは、身体からのシグナルに注意深く意識を向けることで、どういう原因で何がどうなっているのか、何かが不足するとどういうシグナルがでるのか、ということをよく記憶していくのもいいと思う。

まずは身体から、活動というか人生の中心におかれるので、少なくともPC並には適切な設定ができるよう、がんばっていきたい。
というか、まだ我流なのであまり紹介はできないが、最近はとても体調はいい。早寝早起き、食事の大豆中心化、減塩、減脂肪、減酒、水溶性ビタミンのサプリメントでの補給、全身運動の生活への導入、それぐらいだけれども。

何せ、この身体が壊れたら人生が終わりなので。
長くなったので仕事の人間関係の適切設定については、また書きたい。

2010年9月12日日曜日

自転車に乗って街を見ながら考えた

もう日本は成熟したとか、雇用がないとか、やっぱりものづくりだよなぁ、とか言ってるけれど、実際に街をチャリに乗って走ってみると、特に東京の街だからかもしれないけれど、いつもクルマが渋滞してるし、バイクも自転車もぶつかりそうになるし、路上駐車してるクルマがいてそれを避けようとして、右にはみ出した車両にまた後続車がまたぶつかりそうになっている。これどうにかならんのだろうか。

交通事故で死ぬのは年間一万人いるそうだけれども、毎年それぐらい死ぬのが当たり前ということで、皆、何とも思わないものらしい。こんにゃくゼリーをのどに詰まらせて一人死んでも大騒ぎするくせに、自殺者が3万人いても、なんとなくそういうものだよね、というのがこの社会なのである。

それはさておき、この毎日交通にかかる経費、事故の原因は、かなりの部分で道路設計にかなり問題があるからじゃないだろうかと思う。

日本の道は個別に見ればアスファルトがきれいにならしてあるけれども、たまにお花が飾ってある交差点では、繰り返し事故が起こる。小さい子供は最初からDNAにプログラムされたかのように、「わーい」と走って飛び出す。んでまた事故ると。

毎年毎年同じところで同じように事故が起きて人が死んでいるのに、交通ルールを守りましょうとか、そういうことばっかり言っている。もういい加減、精神論は太平洋戦争の敗戦で終わりにして下さいという感じなのだが。さすが役所のいうことは違う。

すべての人間が交通ルールを遵守するなんていうことはできないし、1t以上もある鉄の固まりが時速何十キロで走っているのが何万台もあるようなところでは、遵守しようったって確率的に不注意もあるし、時には眠いときだってあるわけだから、確率的に何かと何かがぶつかるのはもう避けられないと考えるのが自然じゃないだろうか?

で、特に注意力が必要になるような交差点など、そもそも子供が遊ぶところとダンプカーが走るような道路がごっちゃになった設計になった街では、事故が起こるのは必然なんじゃないかとも思う。

もし日本に仕事がなくて雇用が作れないというのであれば、この人間とクルマがごちゃごちゃに密集するこの街自体をもっとスッキリさせたらどんなに良いかと思う。もう日本は発展しようがないとか言ってるけれども、ここら辺の最適化をすれば、まだまだ相当にのびしろはあるのではないかと思う。

もし仮に交通事故をすべてなくすことができれば、まず年間1万人の人が死ななくて良いわけである。実際にはケガなどの後遺症で苦しんでいる人たちはもっといるだろうから、それだけで価値があるし、渋滞がなくなれば無駄なエネルギー利用も時間のロスもない。警察の交通取り締まりに関する経費も削減できて税金を安くできるかもしれない。

しかし、道路は色々とまっすぐにしようと思っても、自分の住んでいる土地を削られたりするのがイヤという人たちがいっぱいいて、その地型が変えられないから道も曲がりくねるのであるので、悪いけどその人たちにはちょっとどいてもらって、まず「子供と走るクルマの分離」を徹底させるというところからやってみてはどうだろうかと思っている。

それにはまず、地型の悪い土地、まっすぐな道路を阻む形の土地には高い税金をかけ、逆に高層化や地下化を達成した不動産には控除をするという方法が考えられる。

あと、首都高とかの設計した人間は、それに関わった人間の名前をどこかにわかるように表示しておいてもらいたいね。自分の名前がそこに載るとなれば、事故の起きにくい設計にしようというインセンティブも働くだろうし。

あと、事故の原因となる自動車そのものを減らす。

あるいは特に高級車やスポーツカーには高い税金をかける。もともと「オレはカネ持ってるんだぜ」「速く走れるんだぜ」という社会に対するシグナルのために所有しているのだからカネを余計に払うのは同意してもらえるだろう。

なので、クルマを所有するのは本来的に必要とする人、例えば子供とか高齢者の送り迎えが必要な家族だけでいいんじゃないだろうか。さらに、1台のクルマに1人しか乗らないというのもやめてもらう。公共スペースの無駄だから。そういうやつは首都高でもカネを倍払ってもらいたい。4人乗れるなら4人乗ってもらいたい。

本当だったら無駄にクルマを所有させようとするエコカー減税とかもやめて、カーシェアリングやレンタカー、バスや電車を使った人に補助金を出すのが良いだろう。

さらに歩数計を渡して、ある一定の歩数を歩いた人には、健康保険料の支払いを減額するとかもいいと思う。

とにかく、今の社会に必要なのは交通に限らず「すっきり感」ではないかと感じる。

ごちゃごちゃして、きったなくて、バカっぽくて、下品で、そのくせ自分勝手で、勝手に鬱になってるという感じがする。ま、自分もそうなんだけどね。

2010年9月5日日曜日

爺達と飲み会

金曜日、翁達に「飲み会をするから来なさい」呼ばれ、いくらか飲んだ。
まあ、話の内容としては:

① 親がかわいそうだから結婚をしなさい。
② 昔話を聞きなさい。特に昔聞いたことのあるヤクザ絡みの話を教えてあげよう。
③ 孫がとってもかわくて優秀だから自慢話を聞きなさい。

の3三本立てだった。①はとりあえずスルーであるが、③は酔っぱらって聞こえないふり、やはりスルーであります。

使える話は②であります。
ヤクザというのが、ちょっと社会で成功して銀座で飲むようになると、「あちらのお客さんからです」ということで、高い酒を送ってくるらしい。
で、なんか関係がはじまり、で、最初は真面目そうな会社の人かと思ったら、よよよ、よよよよ、と関係を構築され、最後は「こんなヤクザと付き合ってることがバレてもいいの?」的なところで、やっぱりカネを絡め取られるというものであるらしい。たいてい、芸能人はコレでやられるらしい。

ごっつあん体質は罠に落ちやすい。誰も下心がなければおごってなんてくれないて。

これをうまく回避するには、とりあえず「お酒を送ってきたら、バーテンさんに値段を聞いて、同レベル価格の酒を送り返す」のがいいらしい。
これをすると「わかっているな」ということで諦めるらしい。

後は、ゴルフ。最初はいい会社の人っぽくしているけれども、賭ゴルフに誘ってくるそうな。で、最初は簡単にコロっとやられてくれて、気持ちを高めてくれるのだけれども、実はセミプロあるいは大学ゴルフ部レベルの腕前の持ち主ばかりで、レートをがんがん上げてきたところで、ある日コテンコテンにやっつけてくれるというもの。
で、その高いレートでカネを取られたからと言っても、警察に訴えることもできず、払わないとヤクザ的なのが出てきて、金払えということになる。

賭ゴルフなどはしない。公序良俗に反することはしない、これが一番強いのであります。

2010年8月31日火曜日

とりあえず、ずっと仲が良い二人



引きこもりの方はどんどん引きこもりになりそうな気もする。

2010年8月30日月曜日

テレビ



最近は、海の向こうではパソコンばかりでテレビを見なくなっているのだろうか・・・。
本当にゲゲゲの鬼太郎に出てきそうな妖怪となって、テレビが自分に構って欲しいといたずらするというもの。

詳しい話はこちらでどうぞ。


うちのはブラウン管ですが(・∀・)

たまに見ても、もう映らなくなるよってばっかり言ってる。

2010年8月28日土曜日

健康作りのためのメモ

自分はここのところとても体調がよいです。本とか読んで自己流アレンジして生活しております。
結構、健康マニアの素養があるのかもしれないですが、そのエッセンスをご披露します。

① 大豆中心の食事。
毎日、豆腐を食っています。以前に紹介した「知るを楽しむ・この人この世界・家森幸男」編によれば、大豆中心の食事をしているところ、ブドウ(野菜・果物)を沢山食べるところ、乳製品を取るところ、塩分をあまり取らないところ、魚を沢山、肉をほどほどにしている地域、というのが長寿地域ですよと書いてありました。
なので、豆腐や納豆を食べる習慣を付けました。まず良質なタンパク質であるのと、後はイソフラボンが良いみたいです。あと、ブドウが良いなら葡萄中心の野菜ジュースも一緒に飲むといいんじゃね?ということで、1リットルパックを冷蔵庫に常備することにして、甘いものが欲しくなったらこれを飲むようにしました。これでアントシアニンとポリフェノールですよ。野菜はなるべく沢山買おうとは思っているのだけれど、いかんせん高い。なので、安い野菜ジュースで代用することにしました。
後は、ケロッグのコーンフレークを朝食としてなるべく食べるようにしました。タカナシ牛乳って結構おいしいです。

② 運動の習慣化。
どうも家で引きこもっていると、なんか肩凝ったり、気分が滅入ったりするので、三ヶ月前にクロスバイクを購入しました。これで適当に流してると結構スピードが出るので、どこにでも行っちゃう感じです。道に迷っても携帯(ガラケー)でアプリ版Googleマップがあるので、パケホーダイに対応している場合はお勧めです。 

こういうスポーツ系の自転車はカスタマイズが色々できてオタク心をわくわくさせるものがありますが、とりあえずペットボトルホルダーとか付けると良い感じです。信号待ちのときにさくっと飲めます。ペットボトルホルダーには、冷やした水を入れるのですが、ぬるくなっても結構おいしいです。近所のスーパーで88円で1.5リットルのミネラルウォーター(軟水)を買ってきたのを飲んでいます。トドメに、抗酸化物質ということで、ビタミンC(アスコルビン酸)の粉末を入れておく場合もあります。 
本当は水泳が関節に負担がかからないし、全身運動という意味でベストなのだろうけど、これは通うのが結構大変。後、泳ぐという行為自体が非常に退屈なのが欠点。まあ、自転車に乗ってたまに行く程度で。行った後は結構、体調が良くなる感じはある。おそらくやはり身体全体に血流が行き渡る、というのがこの気持ちよさののポイントなのだろうとは思います。

③ サプリメント。

エビオス錠を飲んでます。なんか肌がつるつるして気持ちよくなったような気がする。ひょっとしたら別のビール酵母系のやつも試して比較するかも。
あと常磐薬品のビタシーを飲む場合もあります。理由はビタミンBとタウリン1000mgも入って、1本88円という超リーズナブルさが選択の理由。タウリンは血圧を下げるのと、コレステロールを抑える効果があるというので。あとは炎症作用に効くというのがあるので、予防的な意味もこめて摂取。
父親に金属アレルギーがあるので、自分にも何か遺伝してる可能性もあるので、無用に金属に触れないようにしています。アクセサリー系はしないし、時計も肌に触れるところは非金属製です。(これは前から)

④ 早寝早起き。
これが実は一番難しかったが、良い方法があった。それはテレビ断ち。最初は週三日とか、好きな番組を録画しておくとか色々していたけれど、結局、見ない習慣が続くとテレビがだんだんどうでも良くなってくる。そして、たまに見ると、かなりおもしろく感じるときと、やっぱりつまんなく感じるときとがすごく心に響く感じになった。
で、もう9時ぐらいにアルコール(ビール350ml缶)を飲んで、眠くなったら寝てしまう。(10:30~11:00)
完全にアルコール断ちしないのは、「人体スペシャルレポート」という本がうちにあって、その本によれば1日28グラム以下なら逆に健康に良い、という記述があったからで、他にも特に日本酒を常用してる人は、血液検査でHDL(善玉)コレステロールが高いという話をたびたび聞くことがある。ひょっとしたら毎日ビールというより、日本酒に一部変更した方がいいのかも?しれない。
できれば、4時ぐらいに起きたいのだけれど、やはり5時半ぐらいが標準ぽい感じです。

まだ発展途上です。どうなるかわかりません。
健康大好きです。健康のためなら死んでもいいっていうセリフの足音が聞こえてくる今日この頃です。
あと、バカなのでIQを上げる方法があったら是非教えてもらいたいです(><)

どんどん変わる未来

 
小沢さんが代表選に出るんだって(短期的予想)

で、うっかりすると代表戦で勝ってしまう可能性もあるそうだけれども、まったく小沢さんの顔を出さないで、ベランメェな麻生さんから、お坊ちゃま系の鳩山さんにみんな投票して政権交代になった昨年から1年、(8月30日)、よよよ、よよよよと菅さんが総理大臣になってから、まだいくらも経っていないのにもう交代ですか的な話になりつつある。いくらなんでも小沢さんを選挙の顔に据えていたら、投票しなかった人も多かっただろうから、政権交代も起きなかったかもしれない。

だからこれで小沢さんが総理大臣になったら、これはもう民意の反映とは言えないだろう。で、菅さんは一応、参議院選を乗り切った。そして菅さんは今総理大臣だから、解散権を持っている。だから、もし小沢さんに代表戦で敗れたら、本来は解散するのもOKだ。本来選挙によって選ばれてない人が、いつの間にか総理大臣になりそうです、ということだから、民意を問うと言えば良いのだ。

で、こういう風にしますよと代表戦に投票する国会議員達に対してもメッセージを発すれば、議員の皆さんは選挙はイヤなはずだから、本来だったらみな菅さんの言うことを聞くしかないはずなのだ。あるいは、それで解散すれば民主党が割れるのかもしれないということもある。

そうすると、特に若手国会議員なんかは、逆風は必至となるだろうから、結局落選するしかないだろう。その理由は、①民主党が与党としての権力を維持しきれていないことと、②政治混乱をわざわざ作ったことによる批判が起こるだろうからだ。

結局、菅総理が代表戦で負けるというのは、菅さんが本気で総理大臣のイスを守る気があって手を打つよーというメッセージを発するのであれば、小沢さんが勝つ理由は本来はないと考えられる。

実は政治の混乱自体が官僚の計画?(中期的な話)

小沢さんが著した日本改造計画という本があるけれども、それは片山さつきさんの先輩、(つまり大蔵官僚)が書いたのよ、という記述を見たことがある。
で、小沢さんの方向性というのは、結局、大蔵省と親密だった師匠であるところの田中角栄元総理だろうと思う。検察とのやりとりや大蔵省との関係などを見ていると、その頃からの流れをずっと引きずっているようにも見える。

さらに言えば、強力なリーダーが現れた方がいい的な話が世間にはよく出てくるのだけれども、日本における実際のリーダーは政治家をではなく、あまり表に出てこない役所の偉い人なのかもしれない。彼らの思想の中心はこの日本「国」に対する愛国心で、それに対してチクチクと外国からの勢力が攻めてきているという構図が続いてるのだろう。結局官僚が日本国の方向性を考え、政治家と官僚と財界でなあなあでうまく話し合いながらやってきた。それが小泉純一郎総理が出てくるまでは続いていたのだろうと思う。

その小泉総理の権力の源泉は、90年代半ばに小沢さんが政権交代ができるようにするために作った小選挙区制だろう。しかし、実際運用してみると、これはとっても「国を守る側」には危ない感じのシステムでもある。

結局、この選挙制度というのは「白か黒か」を選挙民に要求するシステムだから、グレーな考えというのが国会からなくなってしまう。メディアとカネを握れば、あとは与党党本部が気に入らない議員に自由に刺客を送ることができるというこの選挙制度の下では、基本的に政治のトップレベル層に大きなパワーが集中するからだ。
だから、一部の権力者が日本における絶対的な権力を確立するためには必要なシステムだったと思われる。

しかし、小泉総理みたいなのがずっと政界に君臨するとどうなるかというと、逆に役所の権力というのは政治によって倒されてしまう。意志決定がみな政治によってコントロールされてしまうからだ。なので、本来は官僚が想定する誰かが政治の中心になっていることを想定して作った法律なのかもしれない。

もし、政治家が官僚の言うことを聞かないのであるなら、逆にこの国の伝統よろしく政治がいつもくちゃくちゃになっていた方が、政治家をコントロールしやすいので、官僚にはそれが有利ということになる。その理由は、政治をいじるには、専門知識と裏の約束と法律と人間関係という、とてつもなく複雑なシステムを熟知していなくてはいけないから、「それはこれこれで、こういう法律でこうなっていますから、こうするしかないんですよ」という役人の「ご説明」で簡単に粉砕できる。
だから、素人議員がいっぱいいるというのは、官僚にとってとっても御しやすい。おまけに政治家というやつは、選挙に勝たないと席が維持できないので、地盤を盤石にするのに最初はほとんどのリソースを取られる。結果、素人が国政に来ても、その存在感は誤差の範囲ということになる。

どっちにしても今ある日本2.0は終わるかもしれない(長期的には・・)

もし、日本1.0を明治維新に始まったものだとすると、今の日本2.0は敗戦後にできたアメリカ的な民主主義的な議会運営システムと言えるけれども、もう最近、ネット上で日本\(^o^)/オワタ 的な言説が見られるように、制度疲労と権力層における人間関係の硬直化と国民の高齢化などなど、世界の成長と別のガラパゴス化の道を辿りつつある。
別にいつ破綻するっていうわけじゃない。今すぐどうなるわけでもない。結構、日本は何百兆の借金があると言っても別に誰かが取りに来るわけじゃない。

日本の危機というのは、ずばり若者が危機に晒されていることだろうと思う。
実は全地球的に言えば、これまで人類の歴史上、あり得ないぐらいの高度成長をしているから、本来仕事なんてやりきれないぐらいあって、カネも資源もあふれるぐらいあって、知力だって他の国の若者に比べて非常に高いと思う。

では何が足りないのか、それは「英語力」(海外とのコミュニケーション能力、あるいは人間関係)だと思う。単に日本の高品質の人材が、実は単に日本という枠の中に押し込められているから、既に成熟してしまったこの社会で何かをすること自体がうまくできなくなっているんじゃないだろうか。

だけれども、今の日本の権力者層がその地位で居られるのは、日本人が日本語をしゃべり、日本で一生を終えるからであるから、みんな普通に英語をしゃべって、海外で暮らし、カネを稼いで、外人と結婚すると、残った日本には、単に非効率な一部の人だけに有利なガラパゴス的行政組織だけが残ってしまう。しかし、このままITや教育システム、外国人の流入、仕事のやりとりなどの不可逆変化が進んでいけば、早晩、日本の中間層も英語当たり前、仕事は外人と一緒にやる、ということになっていくだろう。
そうすると、日本の枠に囚われない、ニートをやるより外国を放浪するパターンにも多くなってくるかもしれない。

だから日本国の最後というものがもし来るのだとしたら、日本人の中心のボリュームゾーンの人々が英語OKになってしまい、「日本人が半外国人化して溶けてなくなること」によって起きるんじゃないかと、最近、思っている。

2010年8月15日日曜日

どれぐらい相手と協調するか

よく考えることだが、長期的な人間関係を考える際、どのぐらい相手と親密になるべきかのかというのがよく問題になる。

しかしここのところ職場を見て考えるのだけれども、相手(会社)との無駄な親密さというのが、単なる「甘さ」、あるいは「無思慮」にしかならない場合というのもある。

つまりこちらが甘いと、それにつけ込んで相手(特に会社)は、大きなサービスを行わなくなる、あるいは適当なサービスしかしなくなる、という厳然とした事実があるからだ。相手が単なる個人的な人間関係であれば好きだからいいや、で済むのだが、仕事同士の関係となるとそうもいかなくなる。こちらも組織の一員であるためだ。

一方で「うるさい客」である方には、それなりのリソースを払うというのがある。(いやいやながら)

この不完全な世の中においては、自分が相手にとって「上客」であるはずなのに、特に面倒を見なくてもいいと判断されると、適当なサービスで放っておかれるということなのである。

で、逆にそこの部分を厳しく突くと、今度は平身低頭でやってきて、価格を下げ、今までにないようなサービスを提供し、偉い人まで現れる始末。
残念なことだけれども、「買い」側の立場からすると、それなりに相手にとって「クレームを付ける」「良くない客」になった方が、その会社から得られる利益が大きくなってくる場合というのはある。

特にこれだけ社会がカネに関して厳しくなってくると、そのコストカット的な部分では相手に大きく譲歩をお願いする場面も出てくる。その中で、相手がどれぐらいこちらのために動いてくれるかという場面で、ある程度こちらが逐一「要求」を突きつけないと実現できない、という部分があるのは非常に気持ち的に苦しい部分もある。

もっともこれは自分たちも相手からそういった要求を突きつけられるということがあることも意味しているわけで、そういった意味では企業、あるいは人はより一層「スマート」であることを要求されるのかもしれない。顧客データベースの充実が必要で、そのデータベースには、協調可能な相手か、上得意か、あるいはコスト削減要求の強い相手か等をカテゴリ別化する必要があるかもしれない。

まず「顧客名簿」を整理し、それを整頓し、相手の履歴を見ながら「仕事」をする、あるいは「サービス提供をする」という必要があるのだろう。

思いが至っていなくても、売り上げややりとりをみて、実は上客だったと判断される場合、先回りして他社とは差別化して大事にするべきだということだ。

これは考えてみれば当たり前だけれども、意識していないと実践が難しい。

逆に言えば、うるさい割に大した売り上げのない相手はバッサリ切るべきという結論にも達する。

何故かというと、まずこちらが動けるリソースには上限があるからだ。なので、小さな売り上げに対してリソースを多く要求する顧客と、そうでない客の二種類に分けられるのだとしたら、「うるさい割に売り上げの少ない客」は大胆にカットして、「上客」に対して出来うる限りのリソースを投入する方が合理的、ということになるからだ。

もうひとつは、小さい割にうるさい客ばかりの世の中になってきたのであるならば、そういう客対策として、仕事を定型化して、圧倒的にコストを削減し、そのパターンの中でのサービスの提供、という形にするべきなのかもしれない。サービスがパターン化されていれば、コストは削減できるし、それ以上の何かのサービスを要求されるのであれば、そのパターン全体を変更するか、断れば良いのだ。

もっとも最初からそういう顧客名簿を作ることはできないので、これは日頃からの作業でやっていくしかないが、単に相手とのやりとりという部分を経験上からしか得られないというよりは、よく相手を見ながら判断を下していく、というのは、やはり商売の基本として、非常に重要じゃないかと思うわけだ。

きっと大きく見れば、社会における自己バランスシステムみたいなものなのだろう、世の中の無駄を省き、リソースが適切に分配されるための。

2010年8月10日火曜日

夏と戦争と言葉、そして未来



えっ。中国でも満州でもインド洋でも戦争してたのに「太平洋戦争」なんですか?

この季節にになると、よく話題になるのが戦争の話。なかでも太平洋戦争である。
和製英語という言葉があるのだけれども、実は逆方向の言葉である「米製国語」というのもあるんじゃないかと思う。

かつての戦争中、それまでは「大東亜戦争」という呼称が使われていたが、敗戦後、当時のGHQがこの名称の使用を禁止し、替わりに使われるようになったものが「太平洋戦争」であり、「第二次世界大戦」なのだそうだ。

日本の歴史を斜めにでも読めば、「太平洋戦争」という呼称自体が日本にそぐわないことが明らかで、もし「太平洋戦争」と言えば、「アメリカとの戦争」を単純にイメージしやすいし、「アメリカに敗北した戦争」という感じにもなる。しかし、実際にはアメリカとの戦いながら当時の中国とも戦争をしていたし、イギリス海軍とはインド洋で戦った。
「太平洋」という言葉でくくると、実際にその当時の日本の考え方や行動がうまく説明できなくなる。

おそらく「大東亜戦争」という呼称を禁止したのは、「大東亜共栄圏」というイメージがしやすく、結果、侵略者である白人達(実際、当時の東南アジアはヨーロッパ諸国の搾取の対象だった)からアジアを開放するための戦争だという、当時の日本の主張につながりやすい。このイメージを潰すためのひとつの心理作戦なのだとは思う。

また「第2次世界大戦」という言葉を使うと、「世界中戦争してたんだから、日本も戦争してたのはしょうがないよね」というイメージを作りやすい。「終戦」という言葉は誰が使い始めたのかわからないけれども、「敗戦」と呼ぶよりも、人間同士の抗争があってそうなったわけではなく、ひとつの災害が終わったようなイメージになる。

言葉をねじ曲げて歴史を修正する手法

そして今もそういう「米製国語」というのはあって、例えば「イラク空爆」というが、この空爆と空襲というのは全く同じものだ。しかし、空襲という言葉が新しくなって「東京大空爆」とは言わないし、「イラク空襲」とも言わない。あくまで過去の話は「空襲」であって、今の話は「空爆」である。だから仮にバグダッドが空爆されても、空襲じゃないから、降り注ぐ爆弾による街並みの爆発よる破壊や、火炎の中で子供を含む一般人が死んでいくイメージが作られにくい。あくまで軍事施設を攻撃している感じがする。

さて、日本人は「改革」という言葉が好きだ。一方で、西洋で用いられるのは「革命」だ。改革と革命がどう違うのかというと、改革はそれまでのやり方を変えるのに対して、革命はそれまでの権力者を一掃して新しい権力者が生まれることだけれども、日本は歴史が万世一系だから革命は起こったことがない。フランス革命での国王をギロチンにかけて民主主義を権力を奪い取ったというストーリーは日本にはないのだけれども、では、そういうエネルギーが日本国になかったか、というとそういうわけではないと思う。

結局、それが明治開国以来の戦争であって、そもそも権力者というか、強力なパワーを持ついやな存在、フランス革命で言えば国王であったりするものが、実は日本人にとっては「海外の得体の知れない国々」であって、それに対して大量の血を流して戦ってきた歴史がある。

そして勝ち取ったのが今の独立であり、主権であるような感じなのである。そのせいで、この時代になるまで本当に数百万人の犠牲者が出たわけなのだけれど、その結果、一応目標とする平和と繁栄を一度は勝ち取ったわけではある。

そして今後はどうしていくか

しかし、いまだに一方で戦争を起こした犯罪者みたいな自己イメージを不当に植え付けられている、というフラストレーションは持ち続けているわけで、経済と科学の発展というひとつの目的を達成した後、何とはなしにまだ満たされていない部分が残っているんじゃないかと思う。
結局、今の日本人の深層心理における自己イメージというのが、ドラえもんにおける「スネ夫」のようなものだろう。暴力的で横暴だが、ケンカで勝てないジャイアン(アメリカ)に対して媚びへつらい、カネと成績の良さ、自分より弱いのび太に対してあれこれ自慢したり高慢な態度で自らのプライドを補強している姿。わかっていながらそういう行動をやめられない自分を嫌いつつ、一方で過去、戦いを起こしたせいでアジアに迷惑をかけ、罪深い存在となったとして暴力を封印した今の姿がある。

将来、その満たされない気持ちが、過去の歴史の読み直しにつながって、それがまたこの国の方向性に影響を与えるという可能性はあるのかもしれない。

そう。負けはしたもののそして強きをくじき弱気を助け、幸せな社会をつくるために気高く、力強く、本来なら、高い尊敬を得られる立場だったところをまた目指す、とかそういう方向性に。

ただその時にまた力に対して力で対峙するのか、具体的に何と対峙するのか、どう行動していくのかは、まだよくわからない。

2010年8月8日日曜日

カネについて考える

現在も、人を評価する大きな尺度は「カネ」だ。女子は男をどれぐらい稼げるかで値踏みするし、企業においては、社員はカネを与える相手に対して忠誠を尽くし、売り上げがその企業判断の中心にある。とりあえずこの社会の中心は「カネ」で構成されているかのようだ。

ある種の人々は他者に対するシグナルとしてブランド品を購入する。自尊心を満足するために大枚を払って自らを飾り、他者より自分が素晴らしいことを確認する。
しかし、それで得られる価値というのは、それをうらやむ人がいてやっと成立するのだが。
宝石やブランドの服などのアクセサリーは文字通り「飾り」であって、ある種の経済力を持っていることを発信するための道具にしか過ぎない。

そしてもう一つ、そもそもみんな何故そんなに金持ちになりたいのか。ひとつは「不安要素」を払拭することができるというのと、もうひとつは他者との差別において自分が有利な立場を社会上で持っているという安心感を得られるからというのが、あるのではないかと思う。
ホームレスともなれば、病気になっても病院に行けないし、日々の生活にも困るが、金持ちなら一般人が受けられないような高度な治療も受けられるかもしれない。食べるに困らないし、よい配偶者を得られるチャンスも増えるだろう。それが安心感がもたらす魅力というやつだ。

つまり、他者との関係性において「カネ」を使えば有利に人生を進めることができる、というのがカネが持つパワーの源泉で、他者に対して有利な立場(影響力を与えること)となり、自分一人では突破できない問題に突き当たった時に、プロを雇って問題を解決できるということがある。

しかし、カネというもの自体は、「価値がありますよ」「数字を持っていますよ」という社会的な証文を持っているに過ぎないもので、その価値は極めてバーチャルなものだ。単に社会の皆が「価値がある」と何となく認めるところに価値があるわけで、例えば、ジンバブエのようにハイパーインフレになれば、その価値は崩壊してしまう。

一方で、銀行は、自己資本、つまり自ら抱えるカネが例えば10円しか持っていないのに、他人に100円を貸して利息を取るという商売をしている。銀行以外の存在がこれをやれば詐欺そのものなのだが、なんとこの資本主義社会の仕組みを支えているような顔をしていて、銀行の融資の担当者が「俺がこのビルを建てた」などと言う。

資本主義を支えているのは資本じゃない。資本があるとみんなが思いこんでいて、数字を使って価値のやりとりをしようという合意がそれを支えているのだ。
そして実際にはカネには額面上の価値などない、それがこの世の中の実態なのだ。

しかし一方で、間違いなく価値があるものは存在する。それが人々の持つ知識であり、それに伴う道具であり、他者との信頼関係である。
ビルを建てるという意味で言えば、建築理論であり、重機を扱うスキルであり、日々、人々が働く仕組みである。

何か問題が解決できないことがあっても、実は他者の協力があれば、社会に存在する知識や道具の範囲であれば解決は可能だ。あるいはシステムとしてのカネがなくても、長年の信頼関係があれば、社会のカネにかかるシステムが完全に崩壊したとしても、カネを超越したところで協力し合うことができ、価値を創造できる。あるいは仮に円が崩壊してもドルで、ドルが崩壊しても元で、元が崩壊しても貴金属で代用しつつ仕事を進めることができるだろう。

カネを超えたスキルや人間関係というののは、言い換えればカネを持っていなくても持っているのと同じ効力を持っている。逆にどんなにカネを持っていても、現在は不老不死や若返りの丹薬を手に入れることはできないし、外宇宙まで航行できる宇宙船も造ることはできない。それを可能にするのは、新しい理論(技術)と道具によってだろう。

そう考えていくと、手っ取り早くカネを儲けようとか、自らをアクセサリーで飾ろうとかというより、自らが持つ他者に対するサービス能力、スキルを向上させ、価値ある(長期的な)人間関係を構築することに徐々に比重を置いていく方が、実は真に豊かになるという意味では近道なんじゃないかと思える。

2010年8月5日木曜日

楽しく稼ぐには道具が必要

仕事について色々と考えていたが、やはり中心的な考え方というのは「楽しく稼ぐ毎日」というテーマが有効なのではないかと思った。ホリエモン的な「稼ぐが勝ち」という発想しかないと、やはり周りからの大きな反発もあるし、金儲け自体が楽しさよりも優先順位が上に来てしまうので、幸せな生活を目指すということを考える上でも、それを持続的に発展させるという意味合いにおいても、ともに難しくなってしまう。

そこで楽しさを追求することをベースに、二次的な意味で、稼ぐという目的意識を持つのが良いのだろうと思った。

一般に金儲け自体を単なる目的とした会社組織に属していると、真面目さをアピる発想から出発したセコい仕事ぶりが染みついてこないだろうか。何かを印刷するのにコピーの裏紙をこんなに使ってますとか、古いPCを不具合を抱えながらメモリも増設せずに使い続けるとか、専用ソフトを何も買わないとか枚挙にいとまがない。で、そのコピーの裏紙を使ってコピー機が紙を詰まらせたり、PCの処理の待ち時間が長かったり、長い目で見れば損をしている。

仕事のクオリティを上げる、稼ぎを上げるには、結局、広い意味での「道具」に投資するしかない。

この道具っていうのは、勉強して得られるスキルと言い換えてもいい。例えば、必要となる免許とかもそう。例えば:

運送会社がトラックなしで仕事ができるだろうか?
建設会社が重機なしで仕事ができるだろうか?
通訳が外国語のスキルなしで仕事ができるだろうか?

答えはすべてが否、でありましょう。人間性とかはまったく関係なく、すべては可能かどうかなのであります。逆にプロがすごい機材を楽々と扱っていると「やっぱプロだなー」と、その雰囲気にも圧倒されてしまう。

結局、プロ用の道具(あるいはプロとしてのスキル・知識)をいかに世の中で使えるかで仕事のクオリティは決まる。

人間関係も必要だけれども、だいたい何でもうまくいっていれば人間関係ってそんなに悪くなんてならない。営業の時に出来もしない仕事を取ってきて、やっぱりできませんでしたっていうから、「約束と違うだろ、この嘘つき」っていうクレームが来るというだけじゃないだろうか?

人間が石器や火を使い出してから、この流れは終わらない。楽しく稼ぐという意味においては、ドラえもんが秘密道具を次々出してくる、あの不可能を可能にする感じを大事にしたい。

2010年7月31日土曜日

社会を生き抜くためにその本質を見抜け

このブログのアクセス解析を見ていると「自殺しないで良い方法」っていうのが、何故か知らないけれどもすごく人気があるようだ。なので、さらにもうひとつの考え方を紹介したいと思う。

① 社会における各メンバーの行動パターンが各々の幸福水準を左右する

恐竜が滅んだのは、最近では隕石の落下による地球環境の激変によるもの、という説がほぼ確定されてきているようだけれども、それ以外にも実に興味深い説を聞いたことがある。恐竜同士があまりにも長い平和に漬かりすぎたために「いい人(恐竜)ばかりになって、ある日出てきた悪(い恐竜)人に社会的に対応できなくなって崩壊した」というものだ。
どういうことなのだろうか。その前に前提知識として簡単にゲームの理論についてご説明したい。

ゲーム理論の話をするとき、必ず登場するのが、「囚人のジレンマゲーム」である。
ネット上にこの手の情報はあふれているので、そちらを読んでもらいたいが、一応簡単に説明する。

二人の犯罪者が共犯で犯罪を犯し、取り調べを受けている。
両者は別々の部屋で取り調べをしているので、情報交換はできない。警察において、二人がそれぞれ選択できる行動は「自白」と「黙秘」である。

それぞれ、相手の行動によって、以下のようなパターンになると仮定する。青の犯罪者と赤の犯罪者について考えてみよう。
数字は懲役年数の数だとする。この表によれば、お互いが黙秘すれば5年、お互いが自白すれば15年の懲役年数だとする。
もし、自分が囚人だとして、相手に黙秘してもらってこちらだけが自白すれば無罪で済むとする。
そうするとたいていの場合、犯罪者同士なので互いに裏切り合うため、各々15年の懲役をお互いがくらってしまう、ということになる。


しかしこの表には別のパターンもある。お互いが黙秘することを信じて一方が黙秘、もう一方が自白した場合、一方は黙秘したのに懲役に行き、自白した方は相手を裏切ったにもかかわらず、無罪放免ということになる。この場合、懲役に行った方は裏切った相手に「うらみ」を持つことになるだろう。

そうすると、相手に対して裏切り行為を行おうとすれば、相手のうらみを買うことになる。なので、これが一回こっきりのゲームであれば、おそらくお互いがお互いを裏切るような結末になると思われるが、もし「連続的な」囚人のジレンマゲームとなっていた場合、もし相手を裏切ったら、出所後、相手からの仕返しを受けることになるだろう。

このようなマトリックスは社会のどこにでも存在する。仕事においても、黙秘と自白というものを裏切りと協調という言葉に置き換えればいい。会社においても、学校においても、他人との関わりの上で生きていかなければならないからだ。

ここでいくらか時間が経つと、このゲームのプレイヤーは、少しのマイナス部分があっても協調し続け、相手との少ない損を積み重ねていく結果、お互いが大きな損を積み重ねていくことを回避することができるということに気づくようになる。話し合いや信頼関係というものが生まれてくるわけだ。

一回こっきりの関係では、相手を裏切った方が得する部分が多いが、あるいは得が少なくても、連続的な関係を長期に続けていけば、協調関係を維持した方がトータルで見ると大きな得になるんだよー、というのがこの理論のすごいところなのである。

こういうゲームが人生の裏側、動物の世界、昆虫の世界などにも見られ、多くの人々が研究しているようだ。

まずこれさえ押さえておけば、人間関係を構築するのは簡単だ。後は、相手の行動パターンがどういうものであるか、を研究すれば良いことになるからだ。もし、自分を取り巻くメンバーが、行動パターンにおいて、「協調する」ということで長期的関係を築いていこうという気持ちがあるのかどうか、というところを見なければならないだろう。もし、短期的な関係のみに終始するパターンにおいては、相手を裏切ったまま逃げ切るのが上策パターンということもあるので、それも一応、加味しておくべきかもしれない。

さて、恐竜の話に戻るけれども、その絶滅した恐竜というのが言ってみれば「うらみって何だっけ?」という仕返しという概念を失った生き物になったせいで絶滅したんじゃないか、という話なのである。それはあまりにも恐竜の時代が長く、お互いが協調するのが当たり前の時代があまりに長く続いたせいで、この「うらみ」や「相手が何をしたのが憶えるという習性を失った」ので、ある日、とてつもなく悪い恐竜が現れても、それに対してブレーキが効かなくなってしまい、うらみを持たない生き物は全滅し、またその後、その生き物をカモにしていた悪い恐竜もその生活基盤を維持できずに滅んだ、という説である。
例え、恐竜が滅んだのが隕石衝突のためであったとしても、この説は何だか日本の社会とそこにおける暴力団の関係を思い出させ、非常に興味深い。

② 社会は良い局面と悪い局面のサイクルがある?

自分が思うのは、社会にいい人ばかりが充満すると、あまり相手に対して恨みを持ったり、仕返しをしたり、そういったことが「めんどうな」ことになり得ると考えられるが、一方でそういうことをするのが平気という人間もいる。こういう社会では、実に利己的に相手に対して悪いことをしても、相手からのしっぺ返しがきづらくなるので、悪いことするのがヒャッハー状態になることになる。
言い換えると、他人をこき使ったり、暴力や圧力や脅しみたい手段そのものがそのコストに比して、大きな利益を獲得する材料になってくると思われるのである、しかも、一方でいい人がその悪い相手に対して反撃に出るのではなく、自ら力尽きて自殺、みたいなパターンに陥りがちになるのである。

なので、もし何となく心を病んでいるのであれば、まず、上記をふまえ、「常にいい人でいることをやめる」ことがひとつと、もうひとつは表現の形は色々にしろ、人(生き物)というのは、基本的に利己的な存在なのだ、ということを理解すればいいと思う。

最初から頼まれもしないのに信じ切ったりするから、裏切られた感が強く出て心を大きくスポイルしてしまうのだが、これは一種の甘えと割り切り、社会というものはもっとドライであり、それこそ「ゲーム」であって、裏に法則が隠れていくことを察知し、それをふまえた上で自分の行動を変えていくのが良いのではないだろうか。

2010年7月30日金曜日

社会について考える:終身雇用は一種のネズミ講

 
① ネズミ講システム崩壊の危機
会社組織を見ていてつくづく思うのは、終身雇用の会社というやつは「ネズミ講」と似ているな、ということである。
終身雇用性というやつは、そもそも優秀な労働者を囲い込むために作られ、そしてその組織外に出さないようにするために作られた。ただこれが支持されてきた理由というのは、これまで日本自体が高度成長してきたことに由来するのではないだろうか。その会社という組織の中で出世ができ、賃金も上がっていったということがあったせいでもある。
若年者がどんどん入ってきて、会社の事業規模がどんどん大きくなってくれば、最初は賃金の安い新入社員だったとしても、係長、課長、部長となって、島耕作的な出世物語が可能だった。だからその出世している先輩達を見て、後に続く社員達は最初は若いからという理由で安い賃金に甘んじ、しかる後に年を追うとともに出世するという夢を持ちつつ暮らしていたわけだ。そして、高度成長期も初期の頃、若い社員達は出世し、年金をもらい、割合に豊かな人生を送ることができた。

ところが、日本の経済成長が止まると、若い頃に豊かな老後を夢見て「ぞうきんがけ」をしてきたはずの若かった社員は、長期に勤続しているうちに会社の環境に変化が起きた。これまで会社組織のために低賃金に甘んじていたにも関わらず、ある年頃になって「よしじゃあこれからこれからはあまり働かなくても若いやつが働いてくれるから高賃金がもらえるぜ」と思っていたら、自分の属していた組織は成長が止まり、なんと新入社員は業績不振のために新規雇用しない、ということになってきた。さらにそんな状況に絶望していたところ「あんたは仕事の割に給与が高いからリストラされてくれない?」と言われるようにまでなった。それまでその会社組織以外で暮らしたこともないのに、「このままでは会社全体が潰れてなくなってしまうから」という理由で組織から追放されてしまった人たちが沢山出てきたのだ。これはまさに親ネズミが子ネズミにするべき相手を探せないで破綻するネズミ講システムの雰囲気とよく似ているように思う。
これがだいたい20世紀末頃のお話である。若者からは「就職氷河期」と呼ばれていたようだが、実際、その当時の社内ではこんなことが起こっていた。

② 労働者のパーツ化
さらに追い打ちをかけるように、派遣法の改正など労働環境の変化があって、それまでスキルがある人のみが対象だった派遣労働者が、単純労働者として人々を雇用することが可能になってきた。これにより会社の景気の調整弁としての労働者は都合良く雇用することが可能になった分、雇用者には有利になったと言える。一方、会社組織から放逐された人は、基本的には組織の中での活動があまりに長かったため、他にツブシがきかなくなっていった。

その昔、ヘンリーフォードはベルトコンベア式の自動車生産というやつを始めた。これは資本主義における革命だった。その大きな意味はふたつある。
1.ひとつは飛躍的に生産性が上がったことで、大量の労働者を使って、次々に大量の自動車生産ができるようになったということ。2.そしてもうひとつは生産システムの隠蔽ができるようになったということだ。

それまで自動車を作るという行為は、一人一人の職人が寄ってたかって行うというシステムの下で行われていた。しかし、会社を運営する側から見れば、これはよくないシステムだった。何故ならば職人がその中から抜けてしまえば、その自動車を作るというノウハウ全体があっと言う間に流出することを意味するからだ。
しかし、ヘンリーフォード式でやれば、例え労働者が何人抜けても、ハンドルの付け方やタイヤの付け方という部分的なノウハウが抜け落ちるだけで、全体の情報が外に漏れにくくなる上、その抜けた穴に入ってくる新入社員に対しても、そこの部分だけ教育すれば良いので、代わりはいくらでも作れる。
企業秘密を守るというリスク対策と、社員教育が簡単にできるという一石二鳥だった。

さらに、ある労働者自身が会社という組織から抜けたら、ツブシの効かないという自分の存在に気がづいた頃には、低賃金で長時間労働という奴隷的な状態に陥ったとしても、もはや逃げ出すことすらできなくなっている。例えて言うなら、板前として生きてきたつもりが、大きな厨房で働いていた結果、ネギの切り方だけ異常にうまく、他のことは何もできない人間になっていた、というようなものだ。
そんなわけで、休みの日に路上のホームレスの姿を見たら、会社から抜けた後の自らの姿と重なるようで、ぞっとしてしまう、という話である。そして低賃金に甘んじるようになる。

従って、組織に生きる労働者なら、毎日の仕事をする上で、全体の流れがどのようになっているかという会社システムをよく理解しておくことはとても重要だ。あるいは、労働組合を結成して団結して交渉するという手もあるが、これは組織化する際に雇用者側に目を付けられるので、なかなかに大変だ。

また若い時代に単純労働に自分の時間を投資するのは、その時はワリのいい仕事として感じられても、実はそれはとても危険なことなのである。
さらに高学歴で大企業を転々とした人を見たことがあるが、これも「仕事」という全体的な知識フレームワークがないままとなり、長くかけて身につけたにもかかわらず、その知識が互いに連携しない部品の寄せ集めとなった結果、ひとつのシステムとして機能させることができていない。

③ 特に単純労働、IT関係の仕事には就かない方がいい?(→海外の安い労働力との競争に)
また今後、このまま進んで行くであろうグローバル市場から調達される単純労働力との競争になって、インカム的にこの日本では暮らしていくのがとても難しくなると思われる。例えば比較的職人的な世界に分類されるITという仕事に就くにしても、コンピュータのアーキテクチャーがほぼ全地球的にウィンテルのプラットフォームでまかなうことが可能になってしまっている以上、地球上にいる大量の人材がここに流入してくることによって、これも仕事量に比して低賃金に甘んじる原因となっていくだろう。
つまり、需要と供給バランスにおいて、供給過剰になると予想されるわけだ。製造業の工場などはこの傾向は顕著だろう。

なので、ある特殊な仕事に適用するような、標準化されづらい仕事を中心にスキルアップしていくことが重要であると考えられる。但し、その需要がいつぐらいまで続くのかを見極めることも必要だ。自分の将来に投資が必要だと思うなら、将来の世の中の需給バランスに念頭に置くべきだと思う。

いずれにしても、これまでの会社組織と労働者の関係は今後も悪くなっていく一方であると考えられる。あくまで会社(職場)というのは、それを支配する人間のために利益を生むための組織であり、基本は上意下達の軍隊組織のようなものだ。そして、その中で働く労働者というやつはある意味「駒」に過ぎない。そもそも組織から適正なインカムを得るために、その会社組織なるものを利用しているのが労働者という者の本来の立場であって、ここにはそもそも雇用者と労働者の間には利益の取り分を巡って対立するということを、誰もが最初からわかっているべきなのだが、特に中高年層の人々においては、日本的経営という終身雇用が長期にわたりあまりに両者にとってうまくいきすぎていた歴史に漬かっていたせいで、その本質は見えにくくなっていたのかもしれない。

2010年7月28日水曜日

調子に乗ってプラモを作る男:三式戦・飛燕




小学生の時は零戦を始め、1/72のプラモを作りまくっていたのだけれど、この前のF15DJを作ったせいで何かがかわりはじめたらしく。また性懲りもなく作ってしまう。
童友社の彩色プラモがまた売っていた。実に楽しい。
おひとつ320円という超リーズナブルなお値段。但し、6種類のうちひとつが入ってるという食玩方式。他にも鍾馗とか疾風の可能性もあったけれど、自分は和製メッサーとも呼ばれた唯一の水冷エンジンを搭載した戦闘機、飛燕が好きで、これを何とか引き当てたいと思って二つ買った。
一箱目からビンゴだぜって感じ。もうひとつは週末にでも作るかなーと。

なんか人形とかドラム缶とかあって、なかなかに遊べる。


0:13あたりからの登場シーンが超かっこいいですよ!
川崎航空機工業株式会社のログマークが半分に分かれ、「こゝに」・・って、ちょっとエヴァンゲリオンぽいというか、逆?

円形ロゴはセンスがいい。
人々のやんややんや感が当時の雰囲気を実によく伝えている。

当時の一般民衆を直接空襲したB29に対する英雄譚もすごい。ちょっと悲しい感じの話だけど。



↑買ったのはこれなんだけど、現在、amazonでは売ってない模様。

2010年7月26日月曜日

床屋談義:インド人と犬

近所の床屋さんに散髪に行った。
そこで話をするのだけれど、最近、近所ですごくインドの人が増えているね、という話になった。

若いインド人男性はiPhone聴きながら(いじりながら)ITな仕事場に向かって云々という進んだ生活をしているような話をしていると、 一方で一緒に暮らしているお年寄りはいつも民族衣装を着ていて結構保守的な感じなんですかねという方向で話が進む。
で、ある日、そのお年寄り達は「孫」と思われる小さい子が、チワワ犬に触ろうと寄ってきたときに慌てて触らせないようにしたそうだ。
なんであんなにかわいい犬に触るのをやめさせようとするのか不思議だ、と床屋さんが言う。

どうやらインド人は犬を徹底的に蔑むものらしい。

おそらく宗教的な教えが原因なのだろうとは思うのだけれど、さらに根本には狂犬病の影響みたいなものもあるではないだろうか。ネットでざっと検索してみるとインドにおける野犬の狂犬病の問題というのは大きなものがあるようだ。

日本でも戦後などは狂犬病は大きな問題だったけれども、ワクチン接種を徹底したおかげで、小さい子が犬と遊んでも何も問題ない状態になっている。

もともとの文化の違いはあるのかもしれないれど、社会秩序がきちんと整ったことで、犬と何の心配もせず、病気のことも考えずに触れられる社会を実現してるという意味では、意識はしてないけれど、この日本国はものすごく進んだ社会と言えるのかもしれない。

2010年7月24日土曜日

超久しぶりにプラモを作った。


外は暑いので超引きこもり。

で、中学生以来?にプラモを買ってみた(食玩で買ったしまったことはあるけど。)

最近のプラモデルのクオリティってすごい高いと驚く。なにせ部品同士がバシっとはまるので接着剤があんまり要らない。
バリなんか全然ない。彩色済みで気軽に作れる。

でもお値段が高い(´∀`)
自分が不器用だということを再認識できる。

F15DJの1/144モデル。
沖縄好きなんで、那覇基地のにしてみた。

民法改正について

  自分は国の形は選挙で選ばれた政治家が法案を作って決めているものだと思っているけれども、最近は人々の代表である民意を受けてない人たちによって、結構あれこれ形作られているのだなあと感じなくもない。
実際には専門分野に秀でた官僚を選挙で忙しい政治家がコントロールすることもしきれていないし、その政治家を作る「民意」自体が田舎のボスみたいな一部の層の人々に集中しているし、また法律のコントロールをする裁判所も、ほぼ一般人のコントロールするところとは別の階層で君臨している。
その正義は、現在の「社会秩序の維持」が中心にあるのだろうと思う。

しかし今、民法の「嫡出子」(結婚して生まれた子供)と「非嫡出子」(結婚外で生まれた子供)の間で、その相続分は非嫡出子は半分しかないというのが最高裁で争われているのだそうだ。これまでも同様の訴えがあったのだけれど、つまりこの婚姻外で生まれた人への「差別」(相続で半分しかもらえない)は、家族制度というものを維持するために合憲、つまり認めても良い、という判決が出され続けていたけれども、しかし今回はこれが覆る可能性があるのだそうだ。

つまり結婚して家庭を持って、という形を維持するために、生まれながらに婚姻外の子供として生まれてしまったら差別されてもしょうがない、というのが今までの日本社会だったのだけれども、これについては国連の人権委員会から勧告を受けたりしていたそうで、そういう意味では、日本は人権よりも社会秩序を優先する国と言えたのかもしれない。

この社会秩序、というものがあった方が全体の利益にかなうのか、あるいはそうではないのかというのは、よくわからない部分もあるけれども、少なくとも、生まれてみたら自分が非嫡出子だったということで社会で平等に扱われないというのは、その本人にとってはおもしろくないことは間違いないだろう。

これまで結婚というものには、ふたつの意味があったと思う。ひとつは社会が貧しかったから、一組の男女が共同かつリソースを集中して子育てをしないと、その子に充分なコストをかけられない結果、きちんとした社会人が次の世代に残せないということがひとつ。もうひとつは一夫一婦制を社会の規範とすることで、ある特定の男に女性が集中することを避け、平等で偏りのない国民が作れるということがあるのだろう。
(また、おもしろいのは、社会の上層部というやつは、親戚同士での結婚が多いが、これも何かを意味するのだろうか。)

人々の人権が平等に保証される社会というものになると、これまでの社会秩序が壊れて、結婚自体が意味のない制度となってくるのだとしたら、逆に「生まれた者勝ち」の社会になるのだろうか。
あるいは、格差社会となって、家庭を作れない若者が増えた結果、ある特定の経済力(権力?)を持っている男に女性を多く割り当てて良いということにするのだろうか。

これからの社会では、さらに海外との交流が増えてくるので、まるで海外の安い製品がどっと押し寄せるように、移民がいっぱい入ってくるということも考えられなくもない。そうすると、結婚制度自体が弱くなった一方で、子供の人権が平等になるとなると、事実上の重婚は増えることにもなってくるのかもしれない。

2010年7月22日木曜日

弟が絵を当てた


タイトル:「母と子の愛」
ある有名なパフォーマーが即興で20分程度で描き上げた作品。
高さは1mぐらいあるかな?
いなくなる前に右下にサインを入れてもらった。
作品にとけ込むような形にしたのだそうだ。すげーなー。

事務所に飾る予定です。

2010年7月18日日曜日

宗教とはウィルスである

① 宗教はウィルスそのもの。
今から10年ぐらい前だろうか。あるバラエティ番組を見ていたら、福留功男アナが司会をやっていてパックンマックンのパックンが出ていた。彼はハーバード大学比較宗教学部卒だというのでその話題になり、福留アナが「宗教とは何ですか?」と聞かれたのだけれども、パックンはフリーズしていた。

その時思ったのは「宗教ね・・、あ。宗教ってウィルスだわ。」と思った。もっとも、それより前にリチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」を読んでいたせいもある。
既にその中にはミーム(meme)という概念があって、結果そういう考えになったのだけれど、これについては、こちらを読んでいただきたい。

ミーム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%A0

これを理解するのは簡単だ。

① ウィルスは細胞に感染して、そのDNAを細胞内に侵入させることで、自分の遺伝子を細胞にコピーさせ、その細胞にウィルスを生産させ、拡がっていく。
② コンピュータウィルスはパソコンに感染して、そのプログラムをシステムに侵入させることで、そのパソコンにウィルスプログラムをコピーさせ、拡がっていく。
③ 宗教は人間の脳に感染して、その生き方の概念を侵入させることで、その人にその教義を実践させ、他の人に拡がっていく。

まったく次元の違う三つのものが、まったく同じような挙動をしているということがわかる。
この話の要点は、細胞、PC、そして脳、それぞれに共通している点がまずある。それは他の個体と同じようなシステムと連携して動いているが、ウィルスという情報体が連携システムに介入することで、挙動を変更させ、自分自身(ウィルス)を増殖させる手助けをさせる、というところにある。もうひとつの特徴は、単なる情報体であるため、自らにはコピー能力はない、ということだ。

特におかしな宗教の場合、感染してしまった人は、他者に対して「自分の正しい教義」をコピーさせようという力がとても強くなる。教典や儀式、集会など、特にオウムのような悪質な宗教になってくると、薬物を使って直接的な洗脳、みたいなことになってくるわけであるけれども。これは実に危険なウィルスであると言えるだろう。

② 脳の中を支配するのは脳内言語?
さらに特徴を見て考えようとするならば、この3つに共通している点というのは、そのシステム内に「デジタル的な言語」を内包しているんじゃないか、と思える点だ。例えば、細胞で考えてみると、その核はDNAだ。ご存じの通り、DNAはACGTの四つの塩基配列からなるデジタルなデータを内包しており、この言語で記述された内容を変更する行為、遺伝子組み換えをすれば、生物はそれまでと違うタンパク質を合成するに至る。結果、そのタンパク質の挙動やそれによる指令が変わることで生物の形が変わってくることになる。

PCもOSを始め、その挙動を決定するのは、メモリー上に配置された0と1の文字通りデジタルなデータの集合体である。プログラム言語で設計すれば、色々な挙動を変えてシステムを動かすことができる。単なる 0 1 の羅列がディスプレイに美しい画像を映し出し、ライトのスイッチを制御し、データを抽出することで人々の生活に影響を与える。

ならば、人間の脳はどうなのか、という点においてだけれども、やはりこれも「脳内言語」あるいは「人間OS」があるのだろうと思う。教祖の吐いた言葉、例えば「人生というのはこう生きるべきだ。」「他人はやさしくしなさい」「もしこんなことがあると神の罰が下る」、等々の「暗示」がたくさんあって、その人の行動を制約または行動に移させることになってくるのだろう。その中心は「言語」であり、おそらく最終的に0と1に集約されるデジタルなデータが詰まっているんじゃないだろうか。

この「暗示」というのは実に恐ろしい。上記の点をふまえて考えれば、人間というのは言葉によって左右されるということになるからだ。
まあ、こういったブログを読んだとしても、マユツバな感じで読んでいるだろうから大丈夫なのだろうけれども。

普通、人というのは、脳を防衛する仕組みみたいなものがあって、そう簡単には「あっそーかー!」と簡単に納得するようなことはないけれど、例えばオウムの場合は覚醒剤やLSD等の薬物を使って、批判的思考を封じておいて「修行するぞ。修行するぞ。修行するぞ。修行するぞ。修行するぞ。修行するぞ。修行するぞ。修行するぞ。」と延々とテープを聴かせるなどしていたわけだから、こういう方法を用いれば、人間は簡単に洗脳できる。言い換えれば、魂や行動指針などは案外簡単に書き換え可能だったりすることがわかる。

すると、「自分自身よ。汝、何者か?」と尋ねたくなったりする。

もっとも、「正気」の人が、何故簡単に納得しないのかというと、結局、次々に脳内行動指針が書き換えられたら、人として一貫とした行動ができなくなって、生活自体が破壊されてしまうからだろうと思うのだけれど、そういう心の防衛システムの基本は、「疑う」ということと「用心する」ということと、正しいかどうかを判断する「論理思考」みたいなものが挙げられるだろう。
逆にこちらはあまりに強力に「既に脳内にある考え方」を守っているので、時折、人間関係構築において邪魔になるぐらいだ。
結果、どうなるかというと、その気持ちを和らげるために強制的に(比較的に弱い薬物であるところの)アルコールを使って人間関係を構築する場合もある。飲み会ね。

③ 目に見えない宗教もいっぱいある?
さらに言えば、他人に対する考え方の強制、社会の形のあり方そのものも、一種の「宗教」ではないか?という推論をすることもできる。つまり、皆、他の人に色々すり込まれて人生やってる。自分もそうだけど。

まず、自分に言わせれば「右翼」も「左翼」も、今の社会を維持する、あるいは自分の都合の良いようにある種の人たちが作り上げた「宗教」じゃないか、と思えることもある。
今の社会そのものも「日本人はこうやって生きるのが当たり前だ教」の教義に染まっているんじゃないかとも考えられる。

例えば(例えばですよ!( ゚д゚ ))、「日本は天皇を中心とした神の国」と言った人がいるけれど、本当は自由主義国家としては、



「天皇制を廃して大統領制に移行した方がみんな幸せになれる」

かもしれない。

とか書いたら、まず右翼の街宣車が来て、生活を脅かされるかもしれないと一瞬ビビってしまう。(匿名万歳!)
で、一方でにこやかな天皇陛下の顔を見ていると、「まあ、こんな良さそうな感じの人だし、もうずっと昔からある仕組みだから大事にした方がいいよな」とも思ってしまう。
さらに、お正月に皆に支持される姿を見てると、こんなことを書いてしまうこと自体が不敬な感じもしてしまう。あるいは天皇制を廃止したら、国家の中心がなくなることで、日本人がバラバラになり、有色人種を奴隷化するのが大好きな白人の餌食になるから、皆が敬う姿をテレビで大々的に世界中に放映した方がいい、という考え方になってくるw

もちろん、テレビでやっているその姿を見ているだけなのだけど。 この「なんとなく、こう」という考え方自体が、実はもう洗脳されている証拠と思える。本当は日本語半分、英語半分の両方ができる日本人になった方が、遙かに個々は豊かで有益な人生が送れるかもしれないのにね。その場合、日本国という枠組みそのものはあっという間に崩壊するだろうけど。

で、だいたい右翼の街宣車に金を出してるのは誰なんだろう?とかそういう思考にはあまりならないwどうして警察がちゃんと取り締まらないのか!!という考えも、どこかうやむやw
他にも色々ある。何でどこのテレビ局もニュース番組で毎日野球の試合の結果を全国放送するのだろうか、(他のスポーツの扱いより上だよね?)

楽天もソフトバンクもNHKで名前連呼されまくりである。逆に企業として失脚した西武は「埼玉ライオンズ」になっているらしい。なんか大人の事情感が満載である(´∀`)
前にいじめで人死にが出た相撲界が、なんで賭博ぐらいでこんなに大騒ぎするのか、とか他にも色々ある。別にいいだろ。世間はパチンコも競馬もバリバリなのに、肉体派の若者がヤクザにひっかかったっていうだけの話だよね。人が死んでた方が絶対問題だと思うのだが・・・。

まあ、テレビを離れると色々思うことがあるけど、なんとなく、それはそれでいいような気がする。相撲も野球も僕には関係ないし。何でみんな、あんなの見てるんだろってぐらいで完全にスルーだからね。だからって別に野球も相撲もなくなってしまえ!とは思わない。

うちの家族もその友人も、とても楽しんでいるように見えるから。
自分もきっと、日本教に洗脳されているのだろうな。

※おまけ:
こんなことを考えていると、自分という人間自体も単なる「思考する機械」に過ぎないのか?とか未来のスーパーコンピューターが人間の脳をエミュレーションすることで、人間と同じような思考をするようになれるのか?とか、その機械に人権は認められるのか?とかいうそっち系の疑問でいっぱいになってしまう。
逆に夢もある。脳のようなシステムを機械的に量産できれば、その考え方や主義主張をデジタルデータとして保管することで、少なくとも肉体が滅んでも意識は不滅になることができるんじゃないろうかという・・。あの宇宙海賊キャプテンハーロックのトチローの世界になってくるわけだけれども。

ただ、これにしてもそのシステムが宗教にハマったりするかもしれないということはある。
宗教にハマる機械って存在自体がギャグだが、しょっちゅうウィルスに感染するパソコン群を見ると、あんまり荒唐無稽でもないのかもしれない。

2010年7月17日土曜日

自殺と社会変化:自殺しないで良い方法


① 自殺が増え続ける世間

 世間には、心を病んだ人っていうのが沢山いる。特に社会が複雑になればなるほど、その傾向は高くなる。そして、それで自殺が流行っている。
 特に日本じゃ自殺の件数(3万人)が交通事故の死傷者数(1万人)を上回るということになっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%80%9A%E4%BA%8B%E6%95%85
交通事故による人口10万人当たりの死亡数は9人であり、これは他の死亡原因と比較すると、地震の 5人(阪神・淡路大震災のあった1995年の数値)、火事の1.7人、他殺の0.52人より多いが、自殺の 24人よりは少ない[5]。

 これは異常だ。はっきり言って戦争でもないのにこれだけの人が死んでいるというのは、ある意味、「心の戦争」を皆戦っているのではないか、とも思える。

自分が思うに、人間という生き物も、ひとつの社会を構成するための「細胞」という性格を持っているとは思う。はっきり言って社会と切り離されて生きていったら、まずご飯が食べられないし、トイレという社会システムがなければ用も足せない。

他人との関わり合いがなければ、誰も一人では生きていけないわけだ。

② 自殺は社会におけるアポトーシス?
 そういう意味では、ひとつは社会そのものが一つの生き物として捉えることができる。そして、その(システムとしての)生き物が何かの形で変化するための「アポトーシス」ではないかと思うことがある。アポトーシスを日本語にすると、そのものずばり「細胞の自殺」である。

 そのアポトーシスでは、細胞の中にある「自殺遺伝子」が発現して(つまりあるべき回路のスイッチがONになることによって)、死ぬということになるわけなのだけれども、この現象において有名なのは、胎児が徐々に人間の形になっていくとき、最初は単なるひとかたまりだった細胞の塊が、指と指の間の細胞が自殺することによって、手は手という形に作られていくわけで、そもそも「死」そのものが何かの必要に応じてコントロールされており、細胞がそのスイッチをONにされると死んでしまう、というシステムを内包しているということがある。
 そんなわけで、人間が自殺をするというのも、心の奥底に何かの「自殺スイッチ」があって、これをONにさせられると死にたくなる、ということが実はあるんじゃないかと思う。
 もし、身体と社会というものを相似形のシステムとして捉えるなら、「自分が社会にとって存在自体が邪魔」あるいは「社会にとって、自分の存在はいない方が良い」というシグナルを社会から受けると、これはもう危険信号になってくるわけである。

 実は身体の「老化」そのものも、社会、言い換えれば人間を含む「生き物としての種」そのものに新陳代謝を持たせるために、遺伝子が進化の中で獲得した形質であるという説もあるぐらいで、逆に子育てなどに必要とされるので、女性は長生きするような自然選択が働いたという「おばあちゃん仮説」というのも存在する。(実際、進化を放棄した細菌には寿命がない。)

③ 自殺スイッチをコントロール
 あるいは、単調な労働が続く工場労働などで社会で生きるスキルが奪われ、その中で低賃金労働に甘んじ、他に社会参加の方法や機会を奪われてくるというのは、一番自殺に近い、そのポジションに陥りがちなパターンであると思える。社会において自分の立ち位置がどこにあるべきか、どこにあれば自分に自殺命令を出さないで済むか、ということを考えるとき、まずは自分の存在自体が人間社会においてプラスの影響を持っていると自分に働きかけることが重要だ。

 自殺が増えているのは、人間社会がまた「別の形」に変化するスピードが異常に上がっているためだと解釈するなら、逆に社会を変化させる側に立ってしまえばよい。その「別の形」がいったい何なのかは、実はよく分からないが、アラン・ケイの言葉を借りるなら「未来を予測する最善の方法は、自らそれを作り出す(発明する)ことだ」という言葉がその理解の役に立つと思われる。 

"The best way to predict the future is to invent it."

 しかし、間違いなく進んでいるものもある。

1.社会の平準化:
 特に国際的な人間関係が容易に構築されるようになる。おそらく言語が最終的な障壁だろうけれど、最終的には英語に統一されるだろう。
2.富の平準化:
 1.の変化によって、世界の富は平準化する。今は低賃金に甘んじている人々も、知識さえ得れば、現在の為政者の強力なライバルになるだろう。
3.科学技術の進歩:
 中でもIT技術はますます進む。個人が使うPCの性能などは一段落すると思われるが、それ以上にコストが異常に下がってくることによってだろう。



そして不老長寿へ。さらに宇宙へ?

たまごと豆腐に思う

最近、ScanSnapでスキャンするのがおもしろくて、色々PDF化してしまうところなのだけれど、スーパーの領収書までスキャンしていた。で、それを見ていて気がついたのが、異常なほどに安い卵と豆腐の価格。

卵って10パック入りだとなんと、218円とかいう値段で、豆腐も結構でかいのに78円とか。後、安いのはもやし。29円とかであります。卵は1個22円とかしかしないなんて・・と思ってしまう。

そんなわけでゆで卵とかを作って食べるのだけど、缶コーヒーが1本120円とかに比べると、すごいコストパフォーマンスだなと思ってしまう。

さらに聞いた話によると、白い卵も茶色い卵も実は中身は一緒で、値段は茶色い卵が高いのだけど、実は白い鶏が白い卵を産んで、茶色い鶏が茶色の卵を産むだけの話なんだそうな。マジですか。

あと、豆腐。国産の大豆の自給率が云々という話を聞いていたのだけど、実に安い。輸入物の大豆を日本人が工場でがんばってコストダウンするとこんなにも安く作れるのかという感じ。
5年ほど前には中国人の人件費は日本の1/20とか言っていたけど、今はどうなんだろうか。中国が発展したと言っても、今は結構円高なのでそんなに変わっていないとは思うのだけど。

とにかく、単品の食材というのは安いけれど、結局そこで人の手が加わるところで値段が上がるということになるわけで、ここのところは最適化すると健康+豊かな食事+節約ってまだできそうな感じがすると思った次第。

2010年7月12日月曜日

選挙雑感

参議院議員選挙が終わった。結果は民主党惨敗だったわけだけれども、菅首相は結構「こんなもんだ。よくやったよな」的な総括だったみたいだ。そもそも消費税の議論をするという話は、ある日突然ギリシャ危機を持ち出してきて、うちも増税しないと大変だ!という論調でなんか突然降ってわいたような話だった。

そもそも政権交代のあと、鳩山前首相は「4年間は消費税を上げない」とか言っていたのに、なんか沖縄問題でもめてるなー、ごめんうまく行きそうにないです、すいませんとか言ってる間に、よよよ、よよよよという感じで菅さんに変わって後、消費税が、とか言ってきた。

消費税、4年間は上げないという思い=鳩山首相(2010/2/15)
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-13897020100215

なんだかよく分からない展開で、選挙前に消費税のことを言わないと不義理ということであれば、衆議院の解散からやり直せばいいと思うのだけれども、そういうわけでもないし、じゃあ、民主党が負けたからって別に何か責任取ってやめますというわけでもないし、さぁ消費税を上げる法案を出すっていうことでもないようだし(話を始めましょう的なこと?)

結局、何だったの?という感じがする。菅さんの思いやいずこ。

そう考えていくと、これって一種の自爆テロ?のようなものじゃないかとも思う。
あるいは別に参議院は捨ててもいいや、という割り切りというか。

実際、消費税の話も出さないで負けたとしたら、結局、菅首相を国民が拒否した、みたいな形になるから、もっと間違いなく嫌われ、間違いなく将来必要となり(と自民党も民主党も思っている)、間違いなく票が減るという消費税を持ち出してきたのかもしれない。

結局、これには菅総理には色々とメリットがあって、

1.役人(官僚)へのリップサービス(これで消費税が上げられるよ!という恩着せ。)
2.消費税のことを言ったせいで負けたというイメージ作り(菅が嫌われたんじゃないもん。消費税だもん、と言いたい。)
3.小沢さんの影響力拡大をけん制(小沢さんの「各種団体さん!バラマクよー!」という田中角栄型政治へのけん制。)

というところを狙ったのではないかな、と勝手に思った次第です。(妄想です(^ω^))

で、今回は日本版ボートマッチという、各党との「相性」一目でわかるというサイトを見て、自分の考えに近い、みんなの党に入れてみた。(比例は自民だけど)
http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/2010/feature/f001/

僕は「小さい政府」と「大きい政府」が二大政党制になる方がいいと思うのですよね。

将来的には「小さい政府」にして「開国」して行くのが日本の道なんだという渡辺喜美さんが正しいのだとは思うのだけど、その小さい政府の応援団っていうのが、どうもホリエモンとかミキタニさんとか、そういう強欲資本主義ぽくて焼き肉の食い過ぎみたいな人たちが多いのがちょっといやな感じがする。

ホリエモンがリーマンの金を借りてフジテレビを買収しようとした後日談だって、結局リーマンが破綻したから良かったような?ものの、ああいう流れだってうっかりすると日本の郵貯やらかんぽの金を「金融工学の進んだ海外で高利回り運用しよう!」と全部持っていかれた上に破綻したんで返せませんよ、ごめんね:-Pって感じで日本の高齢者涙目って感じになるところだっと言える感じもなきにしもあらず、と言う気持ちでいっぱいです。

しかしだからと言って、我が日本国は金融テクノロジー関係ないです、うちは鎖国ですからゲームに参加しませんさようなら、と言ってる間に世界の発展から日本が大きく技術的に取り残され、日本の中でガラパゴスな感じでのんびりしてたら、すごいテクノロジーのバーチャル黒船がバーチャル大砲で日本狙い撃ちで、たった四杯で夜も眠れなくなって国家崩壊という未来もあり得るわけで、なんともはや、いずれにしても侵略されるのはイヤだけど、日本の独立を守ると言いつつ、みんなの金をガンガン吸い上げて、自分の権力維持のためにばんばんばらまくという官僚さんの権利拡大もなんかいやな感じな今日この頃です。

はぁ。雑草のような一般国民はどうするのが一番なんでしょうね。

2010年7月4日日曜日

健康ハック!

 最近、自分より若い同僚がクモ膜下出血で倒れたと聞いた。結構ショックである。

 この年になってくると、結構自分の身のまわりにも病気の話が増えてくる。
 今年の正月過ぎぐらいに、自宅の近くで倒れている老人がいて、結局助けてあげたのだけど、年を聞いたら69才だった。理由は新年会に飲み過ぎて体力を使い果たし、そして倒れていたということだったのだが・・、やはり老化してるって感じだった。

 一方で、自分の知り合いの学者さん(父の友人)は、70代半ばだが、若い頃に病弱で悩んでいたけれども、その後、健康にすごく気をつけて生活していたせいか未だ元気で、「まだ60代のくせに、世間の人たちに頼ってゴミ出しなんかしてもらってるんじゃねえ」と年下の高齢者を叱るのが楽しいという人もいる。
 戦後、ある軍医の書いた「赤本」と呼ばれる書物をよく読んでいて(その本の題名は未だ不明)薬草に詳しく、特にドクダミとこんにゃく関係の話をしていたそう。

 自分も先日もビタミンB1がどうとか書いていたが、実際に長生きしようとすれば、もちろんこれだけでうまくいくわけでもない。

 他にももっと研究するべきだろう。今回紹介したいのは:



 「長寿の謎を解く」(NHK知るを楽しむこの人この世界)

 この著者は「冒険病理学者」だそうで、世界の長寿地域の食生活がどうなっているのか、世界中を旅して研究したという強者でありまして、テレビ番組もやっていたのだけれど、本書はその番組のエッセンスがまとまっていて、読むだけなら時間的にも効率的です。

 ポイントとしては:
 ① 大豆や大豆加工品を摂る。(イソフラボン:血圧やコレステロールを下げる)
 ② 過剰な塩分を摂らない。(ナトリウム過剰摂取で血管系がみるみる弱る)
 ③ 魚はたくさん、肉はバランスよく(タウリンを多く摂取する。肉から脂肪を摂りすぎないよう、ゆでこぼしする。)
 ④ 牛乳・乳製品を摂る。(カリウム・カルシウム・マグネシウムなどのミネラルを得、ヨーグルトには免疫強化作用がある。)
 ⑤ 野菜・果物を欠かさない。(カリウム・食物繊維が含まれ、塩分(ナトリウム)を身体から追い出し、腸をきれいにする。)
 ⑥ 食卓は明るく、楽しいものに。(一人で食べるとインスタント食品の利用につながる。)

 ⑥はちょっと、一人ではいかんともしがたいところであるのだけれど、その他は何とかなりそうだ。

 基本、大豆・乳製品・果物/野菜系をマメに摂るのは、基本としてやっておきたいところ。
 あと、タウリンを積極的に摂ることで、血中コレステロールを減らせるようだ。

 あと、人々が「おいしい」と感じる上で、塩味というのは避けて通れないもののようで、うっかりするとすぐ摂りすぎてしまうという類のものであるらしい。
 そんなとき、大豆中心の食事というやつが、この害を打ち消してくれる、とある。

 まあ、サプリメントもいいけれど、やっぱり食事の見直しというのをメインに据えるのがあるべき方法なのかもしれない。

 健康オタクのためのヘルスハックの旅はつづく。。。(かもしれない)

2010年7月3日土曜日

仮想の世界と記号の世界と

某会員制ブログで紹介されていたこの曲なのだけど、ニコニコ動画アップされたもの、ある大学生による作品なのだそう。



で、さらにあのラブプラスという恋愛ゲームのキャラクターを中心に作り直した作品もまた流行っているらしい。



で、さらにこのZOOT WOMANの本家サイトにもこの動画が上げられていて、ちょっと盛り上がっているようだ。
元々ラブプラスじゃない方の動画が世に出ていたのに、さらに真似て作ったラブプラスのネネバージョンの方がネットのユーザーでもてはやされた結果、本家サイトで先に紹介されるという事態になったらしい。その後、両方の動画が掲載されてめでたしなのだけれども。

自分の年代からいうと、どうしても思い出してしまうのは、a-haのTake on meだったりする。



 なかなか普段使っている単語では表現しづらいが、現実の世界と架空の世界を行き交うっていうのは、ある種ポップかつ、キッチュ、あるいはある種の怖い感じを伴う。
 また、マンガの世界の女の子、なかでも萌え系の女子というのは、カリカチュアライズされたというか、男の子からみた女子の持つ「記号」のみが大きく抽象化 されているので、女子から見れば違和感を感じるんだろうな、ということもよく理解できるところだ。(っていうか、ここのところの下り、自分でも何言ってるのかわからないw)

言いたいことは:

 この萌え系女子というものは、

脳内の記号変換により、実は理想の女子を男子の脳内で作り出す

 というすごい仕掛けなのである、ということだ。
 例えば、「かぐや姫」という「美女」が登場する映画を考えてみよう。こういう映画を作るとき、どんなに美人の女優を連れてきても100点を取ることはでき ない。男子にはそれぞれ「好み」というものがあり、どんな女優を連れてきても、その好み分類によって「あんなの美女じゃない」と言い出すやつがいたり、また感情移入しようにも「ちょっとこの人誰かに似てるな・・」となるなど、絶対にうまくいかないものなのである。

 しかし、この萌えキャラというやつは違う。これはちょうど「美女」という文字列と、生身の女性とのちょうど中間点にあり、「美女」という記号が男子の脳内でかなり大量の情報量とともに変換されることによって、「理想の女子」という表現を、ついに完璧に脳内シミュレートできるということになってくるわけである。(もっとも若い頃からマンガで 育った世代にのみ適応可能なのだろうけど)
 だから、絵が多少下手でも、髪の毛がピンクや緑であってもいいのだ。それは文字のフォントが明朝体かゴシック体かっていうような違いでしかない。
 (※ご参考 手塚治虫の「マンガ記号論」。)
http://d.hatena.ne.jp/marshmallo_company/20090910/1252596252

 さらに、人間の脳みそがゲームをやって「おもしろい」と思う理由は、ある種の傾向というか、仮想化かつ抽象化された世界を自在に操れる万能感があり、何 の遠慮もなく何かを試すことができ、その結果をどうなるかを体験できる開放感が存在するからではないかと思う。

 言い換えれば、ゲームがゲームとしておもしろいのは、「パラメータと社会に潜む関数の発見」ができるからじゃないだろうか、と思うのだ。

 ある事象において、「自分に対する報酬に絡む世の中に隠れた法則の発見」というものにおいて、異常なほど食い付くというのが、人間という生き 物の特徴である。
 だからゲームにハマる人間というのは、おそらくその辺の脳内の報酬系回路が太い連中であり、そのせいでギャンブルにもハマりやすいと思われる。

 自分は若い頃、「人生はゲーム」だ、などと言って、年上の人にたしなめられたことあるのだけれども、実はゲームは人生の一部を抽象化したものだか ら、人生はゲームなのではなく、人生(あるいはそのイベント)を模したものがゲームなのだと最近思うようになった。

 ゲームでは人生だけではなく、人生を左右する人々の動きにまでが抽象化できる。例えば、将棋なんかはまさに戦争という多くの人々の人生を左右する大きなイベン トを抽象化したものだ。人間は自分の人生を自分の視点からしか普段見ていないが、実際の人生でも「駒」としての役割や能力をそれぞれ個々に持っている。 ゲームをすることで、広い意味での「神の視座」を得るのだ。

 ゲームがゲームとして稼働するには、一人一人の人間の違いを抽象化して駒となし、強さや役割の制限を加え、一定のルールのもとにプレーヤーが遊ぶ。言い換えれば、シミュレートするわけだけれども、そのシミュレートする中から、「勝ちパターン」を見つけ、そして自分の仕事や生活に適用させようとするわけである。

 そんな昔、自分が「がーん」と思ったのは、やはりKOEIの三国志である。それまでのRPGにあった、ドラクエみたいなRPGのHPやMPという概念に も結構「がーん」と来たけれども、実際、このゲームには今までにあるようなパラメータに加え、「忠誠度」「カリスマ」などというものが数値になって表現さ れていた。こういうものを作れるクリエイターというのは、本当に天才だと思う。

 またそのパラメータそのものをいかに上昇させるかをテーマにした「ときめきメモリアル」は、その萌えキャラ達との高校生活という抽象化された世界をプレイヤーの脳内に 構築して後、人間関係とパラメータ、そして傷心度なるプレーヤーに見えない裏パラメータまで駆使し、その世界で考えさせ、そして苦闘させる。この「パラ メータ」を発見した人間はすごいと思ったし、これをゲームという商品として構築し、パッケージ化し、普通に売ってるところがさらにすごいのである。

・・・そして今、恋愛から性欲?まで幅広くカバーし、男の精神の根幹に直接深く訴えかけるゲーム。それがラブプラスなのである。

 ときメモの1と2を完全コンプリート+全イベント出しとかしてしまった前科がある(3の途中で解脱しましたw)自分には、恐ろしすぎてこのゲームをやる気など、とてもじゃないが起きない(笑)

 なんかZOOT WOMANの紹介をしようと思ったのに、動画のネネのインパクトが強すぎて余計なことをいっぱい書いてしまった。



2010年6月26日土曜日

人間の身体設定とビタミンB

 いつの頃からか、「キレる」子供が話題になっているところですが、これには複合的な原因が考えられ、ひとつは「格差社会が固定化されて、将来に希望が持てないためにフラストレーションが溜まっている説」とともによく聞くのが「砂糖の取りすぎ」というものがある。

 下記ブログを読むと、「砂糖の取りすぎ → 体内でビタミンB1が不足 → キレる人間になりやすくなる」という論法の読めるのだけど、それなら、ビタミンB1を大量にぶち込んでやればいいんじゃね?という発想にもなる。

キレる子どもとビタミンB1
 http://camereon.blog.eonet.jp/eiyou/2006/12/b1-4ac9.html

 経験的に確かに気分がめいっている時には、口内炎ができやすいような気がする。ビタミンB群と粘膜修復関係には関係があるのだろうから、これは身体からの危険信号として、その信号解読に心を配った方がいいと個人的には思う。

 しかし、まだちょっとこのトピックについては研究途上なので、なんとも言えないところではあるが、例えば、家庭力不足(正しい食事が子供に提供できていない等)→必須の栄養素の不足→子供が非行に走る、という流れは存在し得るだろう。とりあえず、野菜を含めたきちんとした食事の出る家庭の子女が、学校の窓ガラスを割って回ったりすることはあまりなさそうな感じもする。

 まあ、医師でなくてもわかるのは、タバコは本当に身体に悪そうだな、っていうことである。大量に一酸化炭素を含む煙を身体に取り込むし、脳神経には直接影響するし(そもそもそれが目的)、副流煙が他人にも迷惑をかけるというわけなのだから。

 人体というやつも、ひとつのシステムなのだから、そのシステムはハック可能なはずではあるのだろう。
 とりあえず、野菜をきちんと食事で取れないときは、サプリメントもアリなのかもしれない。ざっとネットで調べると、とりあえずビタミンには水溶性と油溶性ビタミンというのがあって、水溶性は大量に摂取しても尿として排出されるので害がない、ということはあるのだそうだ。(A、D、E、Kが油溶性。ダケって憶えると簡単?)

 むしろ、身体を使って何かを試したり、気持ち良く生きようというのであれば、「チューンする」ということを念頭に置いたらいいんじゃないだろうか。
 そう、PCにメモリを追加したり、HDDをSSDにしたり、クルマだったらエンジンやサスペンションの部品を高級なものに取り替えたり、電装系をリファインしたりするように。

 さて、下記の本によると、第3章に「アンチエイジング・年齢別サバイバル編」というのがある。年齢別に死亡率の1位~3位が紹介されている。



 20代 死亡率 0.0525%
 第1位 不慮の事故(44.4%)
 第2位 自殺(21.9%)
 第3位 ガン(悪性新生物)(4.2%)
 3位までの合計 70.5%

 30代 死亡率 0.0642%
 第1位 自殺(22.6%)
 第2位 悪性新生物(20.4%)
 第3位 不慮の事故(19.0%)
 3位までの合計 62%

 とある。特にこういう若いうちは、不慮の事故や自殺というものが本当の意味において「死に至る病」であることがわかる。
 そういう意味では、やはりビタミンB群を大量に摂るというのは、ひとつの生き残りとして、常日頃から考えた方が良いのじゃないだろうか。

ちなみに普段、自分はこれ飲んでます。(【効能・効果】妊産婦・授乳婦・虚弱体質者の栄養補給とあるw)

2010年6月18日金曜日

貸金王に学ぶ、世の中の動かし方



 貸金王と言えば、武富士の武井保雄会長を思い出す。この人は埼玉県深谷市の出身で、深谷市と言えば、深谷ネギの他、渋沢栄一翁とか、後はドトールコーヒーの鳥羽博道会長なんかもいるのだけど、それはさておき。結構、ワンマンで有名だったようだ。※参考 →Wikipedia

 このウィキペディアの記事に書いてあるけれども、「右翼は暴力団に弱い。暴力団は警察に弱い。警察は右翼に弱い。この三つをうまく使って物事を収めろ」 とある。この言葉自体は自分も新聞で読んだことがある。

実にこの洞察は鋭い。世の中はじゃんけんぽん構造になっているから、相手がパーならこっちはこっちはチョキを出す。チョキならグー、のような、要するに後出しじゃんけんでトラブルに勝てばよい、という教えなわけである。

 これは武井会長の視線からものを見ているからこのような言葉になるのだろうけれども、もっと一般的な使い方をするのであれば、「政治家は企業(実業家)に弱い。企業(実業家)は役人(行政)に弱い。役人(行政)は政治家に弱い。だからこの方法を使えば世の中は楽に動かせる」と翻訳することができる。

 つまりどういうことかというと、政治家は政治活動をするにはカネが必要だが、それを出すのが企業やその中心にいる実業家だ。政治家は生産的な仕事についておらず、政治の方向性を考えることと、税金などの予算の使い道、そして行政の監督が仕事なので、政治献金などがなければ活動がうまくいかない部分がある。なので、政治家が困ったことをするようならば、その支援者(実業家・企業)を困った政治家だから金を出すべきじゃないと説き伏せ、政治家を兵糧攻めにすれば良い。そうすれば政治家はもう動けなくなる。そんなわけで、基本的に政治家はカネを出す、あるいはもちろん票をまとめる相手の言うことをよく聞く。
 一方、企業は生産的な仕事をするが、その本質は利潤の追求ということになるので、これは法律の取り締まるところである。法律に沿わない利潤追求活動ということに認定されれば起業家はもう活動不能の状態になる。この法律の行使、つまり行政処分などという権力を持っているのが役所であり、それを司る役人なのである。そして最後、役人が使う法律を制定するのは政治家であって、その監視をするのも政治のパワーであり、また人事にも介入してくることから、役人は政治家に弱い、ということ構造になるわけである。

 武井会長は、性格的には色々な問題を抱えていたらしく、ある種サディスティックな部分も持ち合わせていたようであったが、あそこまで武富士が大きくなったのは、このスキームを押さえていたから、という部分が大きいんじゃないだろうかとも思える。警察からの天下りを入れたりするところに、日本の病理が見えたりするわけだけれども。

 さて、早速応用問題を考えてみよう。例えば、区(市)役所において、態度が横柄な職員がいたとする。しかし、直接その職員にクレームを入れても実際にはその改善というのはされないものだ。それはその職員の立場というものがあって、態度を横柄にするのがもっとも仕事をする上で楽だし、仕事もなるべくだったら少なくした方が失敗するリスクも少なくなる。何しろ減点主義の職場というのはそういうものである。しかし、その役所という職場を最終的に支配しているのは区(市)長であり、区(市)議会である。なので、その議員からクレームがくれば、職員にとってすごくマイナスの効果が現れる。だから、この場合、教えに乗っ取れば、とにかく紳士的に役所に対しては政治家ルートでクレームを付けることをお勧めする。つまり、この状況を後出しじゃんけんゲームに置き換え、相手がグーならパーを出す、ということだ。

 他にも通常の企業活動について統括しているのは行政である。もし隣のビルの工事がうるさければ、「建設課」や「まちづくり課」というのがあるし、商品に対する不具合については「消費者庁」がある。もしその行政からの許可などがあれば、業務差し止め命令などが発効されるので、行政からのクレームを企業側が無視することは事実上できない。
 しかし、何でもかんでもむちゃくちゃな要求をしても良いと言うことではない。無理をしていけば、最終的には議会の俎上に上ることになり、そこで民主主義のルールに基づいて処断されることになるだろう。しかし、地方の議会を見てみると、結構何でも好き放題やってるもんだなぁ、と感じることはあるのだけれど、そういうことを続けていると最終的には首長が変わるという疑似革命が起こったり、法律が改正されたりして、最終的に世の中のルールが修正されていくことになるはずだ。(多分)

 サラ金業界というやつも、あまりにもひどい取り立てやら、一家離散や自殺の原因、等々のおかげで、結局、「もうマトモだっていう証明のできるやつが、低金利で貸し付ける以外のことはしちゃダメ!」という法律ができることになった。改正貸金業法ってやつですね。

 (これはサラ金業界でなくて、事業者金融の話になるけれど)かつて、ナニワ金融道の真似をして「借金が払えないなら目ん玉売れ」で有名になったあの日栄やSFCG(旧商工ファンド)も潰れてしまった。後は隠した金を掘り出されて世間からのバッシングを受ける次のステージに行きましょう、の世界。

 だからこの世の中の動かし方も使いすぎには十分注意ですよ。あくまで専守防衛のための自衛活動でお願いします。
 会長のようにはならないで下さい。

(追記:「目ん玉売れ」は日栄だったようです。その後ロプロに社名変更し、会社更生法適用でまだあるみたいです。)

ここより余談。

  さて、カネの貸し借りというのは、普通にものを借りるのとは違う。よく言われるのが「借りた物を返すのは当たり前だろう」というあのセリフなのであるけれども、この貸し借りは「消費貸借契約」という、普通の貸し借りとは違った契約になっている。消費貸借契約というのは、その名にある通り、「消費」することを前提に組み立てられた契約であって、もしカネを消費貸借契約を貸せば、そのカネは貸した相手が使ってしまうし、コメや醤油を貸せば、これまた貸した相手が使ってしまうという特殊な契約だ。レンタカーでクルマを借りたら、同じクルマを返すとかいうのとは、元々ちょっと事情が違う。
 カネを貸すと言うことは、そのカネが返ってこないというリスクがあることを前提で双方が契約しており、そのカネを貸す方が「もしかしたらお金が返ってこないかもしれないよー怖いよー('A`)」と思う、ということを元々納得しているのである。そして、その借り主の方が「怖い思いをさせてごめんネ(゚∀゚)」代として「利息」というものを余計に払う、ということがあるのである。単なる利用料にプラスアルファがあるわけだ。

 だから、ちゃんとおカネを返す確率が低そうな相手に金を貸すのは「とっっても怖い」ので、利息は当然高くなるし、必ず返してくれそう、という相手に貸すのは「あんま怖くない」ので、利息は安くなるわけだ。この前ネットを眺めていたら「貧乏な人にカネを貸すのにどうして高い利息にするのだ?貧乏な人が返せなくなるじゃないか」という書き込みを読んだのだけれども、これまた「うーむ」と唸らせる一文ではあったが、貧乏だから高くするんじゃなくて、返してくれない恐れが高い、あるいは信用のない相手だから利息が高くなるのである。(信用がない≒貧乏、という図式だ)
 だから若くて月給が安くても、例えば公務員とかだったら安心だから割と低い金利でおカネを貸してくれるはずだ。

 しかし、そもそもそういうおカネを借りに行く、ということ自体が、稼ぐ額に比して余計にお金を使おうということの現れであるから、借りるの方の人間も、何かしらおかしな部分があるということになる。本当に金貸しがカネを貸したい相手というのは、借りに来ない相手なのだろう。

 サラ金のCMに出てくるあのセリフを見るたび「うーむ」と思ってしまう。「ご利用は計画的に」というあの一言(゚∀゚)。お金のご利用が計画的にできないから借りに行くんじゃないのか?(´∀`)と毎度思ってしまう。タバコのCMの「健康のため、吸い過ぎに注意しましょう」と同じぐらいなんかヘンである。健康に注意したいけど中毒になってるからやめられずに吸ってる相手に何言ってるの?(゚∀゚)っていうあの感じである。

余談終了。

 本日より、改正貸金業法完全施行ですね。
改正貸金業法:完全施行 大塚副内閣相らが街頭PR
http://mainichi.jp/life/today/news/20100619k0000m020061000c.html
同法は多重債務問題の解消を目的に06年に成立。今回の完全施行では、借入総額が年収の3分の1を超えている人は原則、新たな借り入れができなくなった。収入のない専業主婦は、借りる際に配偶者の同意書などの提出を求められる。また、出資法の上限金利を29.2%から20%に引き下げ、「グレーゾーン金利」を撤廃した。
【毎日新聞】


おまけ:
ウィキペディアで「武富士」の項を読むとこうある。
賭博黙示録カイジ(主要人物として、消費者金融を主体とする日本最大規模のコンツェルン「帝愛グループ」の総帥である老人「兵藤」(武→兵、富士→藤のもじり)が登場する)

マジかよ。兵藤のモデルって武井会長だった!?
知らない人は是非原作漫画を読むのをお薦めします。(よくラーメン屋とかに置いてありますけど、実に名作です。)



2010年6月17日木曜日

あはーんとかうふーんで透けてるという話

某サイトで紹介のあったもの。オリジナルはここです。
こんなのもあります。

レントゲンって結構おもしろいんですね。

2010年6月16日水曜日

ムダについて考える

人間、「要領がいいね」と言われると、必ずしもホメ言葉にならない昨今でありますが、いかがお過ごしでしょうか。

思えば、もう6月も半ばにかかり、2010年もあっという間に半分が終わろうという勢いです。
こんな時、もうちょっと人生を有益なものにしたい、とかガラにもないことを考えてしまうところではあるのですが、過去プログラマをしていたときに「速いプログラムを書くにはどうすればよいか」という課題がありまして、それについて色々と調べていたところ、「ループの中のコードをまず最適化する」というルールがあり、自分の中で「ガーン」と思ったことがあります。

すなわち

仮にプログラムがあったとして

処理1

ムダA

while (条件を満たすまで){

処理2
ムダB



処理3
ムダC

というようなものであったとすれば、まず何と言ってもwhileループの中の「ムダB」を最初に減らさなければなりません。もし、このループが100万回回る処理であったりするならば、他のムダを無くそうという手間が、もしそれぞれ同じだけの労力を必要とすると仮定するならば、他のムダAやCに比して100万倍の無駄を省く効果が現れるから、ということになるからなんですね。なのに労力は同じであると。

だからこういうプログラム構造を一日の動きに見立て、そこにおけるルーチンワークを見直して、もし機械化できるところはするとか、コストをかけて道具でサクっと処理できるようにするとか、まあ、費用対効果がよく現れるところではあります。一方、もうそれができていれば、たまにしか現れないムダは、そのまま放っておいてもいいのではないかと思うのですよね。ムダはムダが出てくる理由があり、うっかりムダだと思って削除すると意外に必要であったりもするからです。
特に人間関係が絡む場合は、ムダを簡単にムダだから何とかしろと言ってしまうと、それはそのムダをなんとかするための責任者たる立場になってくる可能性すら孕むこともありますし。

まあいずれにしても、やはり短い人生においては、費用対効果というものを常に考えて行かねばならないなあと思う今日この頃であります。

2010年6月15日火曜日

Windowsのフリーソフトとかについて

毎日お世話になるパソコン、なかでもWindowsXPなのだけど、やはりこれがないと皆仕事にならないだろうと思う。
ただ使い方によって生産性が全然変わってくるのもパソコンの常です。

Windowsに限らず、パソコンを使いこなすには、いくらか設定をしてあげるのと、いくらかフリーソフトを突っ込むのが吉だと思います。
特に設定においては、なるべく無駄に動いているものを減らすということと、小気味の良いツールをいくらか突っ込むということに尽きると思います。
あまり性能的に高さを求めるというのは、この世界では、後で必ずもっといいものが出てきて後でガッカリすることになりやすいので、心を守るために「買ったら負け」の信念を貫きたいと思います。
また価格がこなれてくれば、そのうちそれが当たり前になるのだという気持ちでいれば、そんなに欲しくならないはず?です。

もう具体的に自分のお薦めソフトを書きますね。
(とりあえず誰にでも効果があると思う物)

① Everything : 超高速ファイル検索ソフト (説明)(ダウンロードサイト

これは優れものです。欠点はそんなにありません。NTFSのドライブが前提というところぐらいでしょうか。
さらにランゲージパックを追加インストールすると日本語のメニューにもなります。(ヘルプは英語のままですが・・)
※ものすごいスピードでファイルを検索してくれます。もうあの変な犬(?)とかは見なくてOKです。
また、ファイル名をどうやって付けるかということについて、とても考えさせられるようになります。
自分はファイル名には

【種別】【20100615】【誰それ】何々の件.txt

という、上記みたいなファイル名を付けるようになりました。これは一種のアンカーとして、このEverythingの検索で引っかけやすくするための工夫です。
あと【】の括弧は、2chの影響でありまして、ファイルをいっぱいフォルダ内に「詳細」で並べたときに、ああ、なんかスレッド一覧ぽい、と思って、そこで目立つファイル名にするにはどうするべきか、という発想からこれになっています。また、この【】の中をカテゴリとして使用すると、ファイルを名前順に並び替えた際、同じカテゴリーのファイルが同じところに固まってくれる、というものがあります。
※■とか、☆も先頭に使うと、付箋ぽくて良い感じです。(ただ自分の中でルール分けしておいた方が良いのでは、というところはあります。)
Everythingは当然のことながらフォルダの名称も検索対象なので、フォルダの名前を凝るのもいいかもしれません。(さらにそのフォルダの中にfolder.jpgを入れておいて、キャビネット感覚を楽しむのもアリかもしれません)

Dropbox または SugerSync : ファイルを同期するクラウドサービス。

いずれもフリーで2GBまでオンラインストレージにファイルを置いておけるサービスです。自分は両方使っています。さすがに職場のPCには入れられないですが、デスクトップとノートで2台持っている人など、複数台PCを使っている人には必須のツールと言えるんじゃないでしょうか。iPhoneとかにも対応しています。もうUSBメモリは要らない感じです。(色々と危険だし)
 なお、ローカルフォルダに自動同期になるので、①のEverythingと組み合わせて使うと非常に強力です。
あるいはMacを持ってる人も、これで同期すると色々と楽なんじゃないでしょうか。

Microsoft Security Essentials : マイクロソフトの無料ウィルス対策ツール

 某所のPCマニア、A先生に教えてもらったマイクロソフトのウィルス対策ツールであって、とても軽く、しかも無料であるところがすごいです。自分はすべてこれに切り替えました。但し、ファイアーフォール機能は持っていないので、ルータの裏側にいるPCでないと安心はできません。ただファイアーフォール機能というのも結構PCにとっては重たいものですから、自分は系統上別々に分離されている方が好きですが、外で長時間公衆無線LANとかに接続する場合は、もうひとつどうにかするべく考えた方が良いかもしません。
 いずれにしても、年間何千円も取るウィルス対策ソフトのこんな良い物が無料というのはなかなかすごいです。先日も活躍しました。

とりあえず最初はみっつぐらいでしょうか。

後は、フリーソフトじゃないですけど、「Win+Rキー」で出てくる「ファイル名を指定して実行」は結構、使いこなすと便利な感じです。ある特定のフォルダを開きたいとき、c:\とか入れてリターンを押すと、フォルダが開いたりするのですが、例えば Control と入れてコントロールパネルを開いたりすると、ヒストリで残っていくので良い感じです。

2010年6月14日月曜日

書類をスキャンして、クラウドに保管するのを始めてみたテスト

【iPad自炊】 裁断機が大きくて重くて高いし邪魔だからキンコーズでやってもらったよ
http://www.ideaxidea.com/archives/2010/06/ipad_kinkos.html

この記事、おもしろかったので、自分もやってみました。
自炊とは、自分でスキャナを使って、(特にiPad 等で読める)PDFファイルを作ることのようです。

自分の場合、書店で買った本を裁断するのは、ちょっと心理的にも結構抵抗があります。なので、スキャンするようなものは、結局、「自ら手で書き込みするような書類」にするといいんじゃないかなーとか思います。で、またそれを紙に印刷したり、OCRにかけてみたり、検索の対象にしてみたり・・、まだちょっと研究の余地あります。後、書類が大量になってこないと、検索などでの電子化による投資効果は見えてこない感じです。

さて、スキャンをするための裁断という行為は、仕上がりを考えると、やはり素人がやるもんじゃないような気もするので、もうキンコーズでいいよ、という感じです。

こういった書類を、DropBox等でどこのPCでも気軽に読めるというのは、やってみると結構革命的な感じがします。どこでも大量のドキュメントがサクサク?読めますよ!(自分の場合、普通のパソコンで読むわけですが)

使って天国、作って地獄な感じです(゚∀゚)



↑自分はこれ使ってます。

女性を活かす職場?

自分は女性の多い職場で働いてるので、何故社会一般に女子の給与の方が一般的に安いのか、よく理解できなかったが、最近になっていくらかよくわかるようになったような気がする。
女性は、当然のことながら女性的な発想で、特に独特の注意力を持っているので、仕事で、お客様に対し、こまやかなサービスを提供しようと考えた場合、当然仕事仲間としてメンバーに入れた方がいいが、残念ながらこういう色々なメリットがある一方で、デメリットも存在する。

その最たるものは、何と言っても、人生における「仕事の至上性」という考え方が通じないことだ。
さらに言えば、女性はその宿命として子供を産む性であることと、一般的に「育児の中心になる」性という役割があるため、その使命を「仕事」というものと両立させようとしたとき、どうしても仕事とぶつかる部分がある。

例えば、小さな子供のいる女性が普通に働いていたとする。当然、仕事は時間を制約するところがある。仕事には相手があるからだ。それで、子供を持っている女性はまず確率的に、熱発などの子供の病気に見まわれる。すると家庭では母親というものが必要になる。そうすると、「今日は子供が熱を出したので、仕事には行けません」という話になる。
一方、上司の方も、子供の健康などどうでもいいから職場に来いとは言えなくなるので、結局、出社しないということを許さざるを得ない。子供は金儲けであるところの仕事よりも尊い存在なのだ。
しかし、その結果、賢い上司は何をするようになるかというと、「その女性がいなくても仕事が回るようにするにはどうするか」「客先に迷惑をかけずに仕事を進めるにはどうするか」という発想になってくる。

結果、「女性を仕事の中心から外す」という選択をすることになることがある。
さらに子供のいない若い女性が職場にいるということでも、同じようなことが起きる。例えば、何か重要な仕事に若い女性を付けたとする。そうすると、「素敵な彼氏と結婚するので辞めます。」といい出す(確率が高い)。結局、じゃあある程度年の行った女性ならどうかというと、今度は「おじいちゃんの世話が」「おばあちゃんが病気で」という話になってくる。

すべての女性がそうだとは言わないし、家庭やプライベートより仕事を優先させようという女性がいることも確かなのだけれども、おしなべて家庭があるとか、特に子供がいるとか、妊娠をするかもしれない、ということは、やはり職場においては大事な仕事を本当に任せられるのか、という意味においては、実は上司からすれば、心配のタネであったりする、というのが本音というやつだろう。

そうすると、その「突然職場からいなくなるリスク」を、「中心から外す」という対応にするか、あるいはそのリスクプレミアム分を「低賃金」というもので補ってもらうか、という発想が出てくる。
つまり、たまに損しても、普段安く使ってる人ならいいじゃん?という発想になってくるわけである。

しかしこの状態が是とするべきではないという発想は持つべきだとは思う。リスクがあるなら、リスクを分散すればいいというのはあるのだから。
もし優秀な女性がたくさん雇用できるほどの職場であるならば、一人ぐらい欠けても仕事が回るような形にする、というのがまず挙げられるだろう。つまり、ある1人の誰かが、何か他に置き換えのできない仕事をするのではなく、10人のチームで10人分の仕事をするとか、そういう感じ。そうすれば、10人のうち、1人が欠けても他の誰かがフォローできるし、そのフォローする人も自分がフォローされる立場になることもある。さらにその誰かをフォローする、ということには抵抗を感じないような組織作りが可能なんじゃないかとは思う。

しかし、「他に余人を持って代え難い」仕事をするから、収入が上がるという側面はある。一方で誰かに簡単に置き換えのできる仕事をするというのは、収入を上げたいと思っても、競争に埋没するのでなかなかうまくいかない。

ならば、「他に類を見ないサービスを提供できるようなチーム」という、ある女性を含む仕事チームがあって、それが世の中において他にない価値を持っていて、メンバーそれぞれが大きな収入を上げることできる状態というのが、実は一番、女性にとっては最も居心地が良く、収入の上がる職場環境と言えるのだろうとは思うのだけれども・・。

具体的にそれを作るのは、相当考えないとダメっぽい。

2010年6月12日土曜日

いい本の探し方

ネットが普及した時代のおかげで、今は逆にまた本などの文字を読むという習慣が戻ってきたような感じもある。特に若者世代はテレビも見ないでケータイ中心主義の社会に生きている感じがする。その発端は電子メールの爆発的普及からだと思うのだけど、普通の会話に比べて、メールの利点、言い換えれば文字に起こす利点がある。それは:

① メールの内容=メモである、ということ。
 例えば普通に会話していても、電話番号や住所など、後で参照したい情報はメモに落とし込むことになるわけだが、最初からメールで送っておけば、相手にその情報を書くという手間を減らせてあげられる。

② 一応、頭の中で咀嚼した内容を相手に伝えられること。
 普通にしゃべっていても、自分の言っている内容が「本当か?」とか思うことがある。書いた物を相手に送るのであれば、一度、すべて俯瞰して自分の書いた物を確認することができる。結果、相手に誤解が生じにくくなる。

③ コピーが簡単。
 書いたものは、特にIT技術を使うと、コピーが簡単である。関係者に一斉通知もできる。つまり、同じことを何度も言わなくても良い。これは非常に便利である。

 さて、そんなわけでネットのおかげでテレビを見る時間が減った分、文字の読み慣れが進んだような現在、本当におもしろいコンテンツは、やはり昔ながらの「本」にあるように思える。
 iPadを見ていると、広い意味で、IT機器というのは「本」の発展版なのかな?と思えることがある。元々、本は著者が著したい情報、あるいは知識そのものを紙に綴ってきたもので、究極的に言うと、文字列の集合体でしかない。しかし、これに意味や知識がまず載っていて、人間同士時を超えた情報共有が可能になってきたわけだ。これをベースとして、ここに出版という技術が登場すると、その情報が多くの人と共有できるわけであるから、結果として多くの人たちに知識を与えるということになる。「本」→「印刷技術」という意味で、今、本2.0の時代がここ数百年続いてきており、人間の社会文化の急激な発展を支えてきた。

 で、さらにコンピュータは基本的に文字をデジタルの0 1 に置き換えることで、紙を前提としない情報のコピー、つまり、「バーチャル印刷」を行ってくるようになったわけで、紙という資源を前提としない印刷ということで言えば、本3.0の時代になったような感じもする。これは紙資源も必要としてないし、情報自体がコンピュータのような機械そのものの挙動を変えたりすることができるようになった結果、検索もすごく速くできるようになった。
 この本3.0時代において、グーグルのような会社が現れたわけだけれども、その検索というものを効率化するための「ページランク」という考え方がある。これは良質なページ(情報)からは、良質なページがリンクされている、という概念で、またそのような良質なページから少しだけリンクをされているようなページの方が、ゴミ情報同士でたくさんリンクし合っているページよりもランクが高い、というような考え方で、良質なページを引きだそうというものだ。
参考
http://homepage2.nifty.com/baba_hajime/wais/pagerank.html

 実は、これ2.0時代の本にも有効なんじゃないか、と思う。まず良書であるところの入門書を手に入れ、そこから参考文献として引用されている本を読んでいく、ということであり、特に色々な良質な本から引用されている本には、重要なことが載っている、という風に解釈することができる。自分の中で咀嚼できずにあった知識も、実は色々な本から引用(リンク)されているところが多い部分であるというのであるならば、実はそこは重要な情報であるから、そこを一生懸命読むべきだと判断することもできるんじゃないかと思ったわけだ。

 いろんな本を片っぱしから乱読する、みたいな話を、勉強する人たちの間でよく聞くけれども、本の内容にも実際にはクオリティの高さというのはまちまちなので、すべてを同じペースで読み進める、というのは、実は効率は良くないのだろう。乱読する、大量の本を読んで大量の知識を身につけたいとき、重要な部分は、やはり「リンク」と「キーワード」であろうと思う。大量の情報が簡単に集まる今は、幸せな時代ではあるけれども、一方で重複する情報をどう扱うかについては考える必要があるから、まずはざっと読んで「リンク」と「キーワード」を拾っていって、元々、本当に最初にアイディアを提供してきた「タネ本」に到達するのが、やはり効率が良いのはないだろうか。で、たいていタネ本を書いた著者というのは既に大御所であることが多いけれども、大御所の大御所たる物の考え方に触れるのが、実は最も楽してすばらしいアイディアを吸収する方法なのではないかと思えるのである。

 実はこれ、人間関係にも応用できるような気がする。いい人の友人はいい人、という意味では価値ある人間関係を構築するには、このリンクをたどっていくのが一番いい。
 問題は、自分が価値ある人間かどうか、そこのところが微妙でなかなか友人が増えていかないことなのであるが・・。

ある女子の野望

過日、幸運にも結婚願望がある、という女子と話をすることができた。
実に興味深い話だったので、ここにメモ投稿をしておきたいと思う。
まあ、ひとつの例だとは思うが、あまりにもおもしろかったので、忘れたくないので投稿。

その子に、「どういう男性が好きなのか?」と尋ねたところ、 要約すると以下のような感じだった。

① ある程度許せるルックス
→ 一番重要視するところではないが、ある一定以下のパラメータではダメ。

② 賢さ
→ 学校とかで勉強ができていた方が良いらしい。
結局、勉強とかができるというのは、仕事(企業内)で成績の良さに反映してくるので必要ということらしい。確かに一流大学とか出ているやつは仕事にソツが ないように見える。

③ 安定した職業に就いている
→ できれば自分の実家の近くに、35年ローンで家を買ってもらいたいとのこと。

つまり、自分の生活の安定性と、ある程度のスペックを満たす子供が欲しいという、生物学的に見てとても適合的な話であった。

特に今のように夢のない世の中になると、安定性がキモになるのかもしれない。

しかし、そのために戦略的な動きをしているのかというと、必ずしもそうではない。女子も自分の力だけで世の中を渡っていけるのであれば、もちろんそれを目指したいが、もちろんそうもいかないので、上記のスペックを満たす男を確保しつつ、さらに自分のわがままや自己実現を要求していき、相手にその条件を飲ませられれ ば最高というところなのだろう。

また一般的に、ある程度、能力値の高い女子になってくると、若い内に自分の力だけで自分の希望を実現してきたため、自分中心で人生の方向性の決定をし、行動をする習慣がついているようだ。(そしてある程度、「やってみたいこと」が既に実現されていることが多い。)


結果、「これまで一人である程度、自己実現をしてきたが、最後の壁が結婚」であるわけだ。

これまで、一人で色々とやっては来たが、次は相手のあることなので、なかなかその辺の頭の切り替えが難しい部分でもあるようだ。

さらに言えば、実際に上記のようなスペックを満たすような男には、その辺の下心を持った女子の大群が群がることになるため、彼女の要求を飲むような男は なかなか存在しないか、あるいは既にすごく若い内に売れてしまっているかのどちらかである。

また基本がわがままを相手にのませようという考えが中心に要望の基本に設定されているため、男側がストレスを感じることが多かろうと考えられる。 もし首尾良く結婚したとしても、おそらく男側が浮気するようなところから生活が崩壊してくる予感がする。

2010年6月11日金曜日

名簿売ります。


名簿売ります、というFaxが職場に来た(゚Д゚)
見ると、お金を持っていそうな人たちの名前が・・。公務員とか、一流企業勤務者とかの名簿は、割と金融会社が好きで買うという話を聞いたことがある。お金に困っていることがあっても、きちんと回収しやすいということもあるけれども、誰かにカネを貸してくれと頼むことができないからとも聞いた。
あとは先物投資家とか、アダルトDVD購入者2010とか、おもわず(^m^)プ となってしまうものもあったりする。
こういうのに名前が載ってしまうと、会社にまでどんどん営業電話がかかってきて本当に困ったことになってしまう。
こういう名簿を売るのをやめさせる法律を作ったらどうか(゚Д゚)、と書こうかと思ったけど、単にアングラ化して、余計に高値で取引されるだけかもしれないから、とりあえず言うのはやめとこ。
昔、某楽天とかで情報流出とかの事件があったけど、未だにこういう形で流れてるのかなぁ。

普段使いPC


DSCF0591, originally uploaded by caffe1cac1d.

今日書いた物がいまいちなので、とりあえず自分の環境をアップです。


Apple iMac 20inch, Eizo S2410W, iPod touch, Panasonic CF-W7, ScanSnap S1300, Logitec Mouse, FILCO FKB108Z

iMacは動作音が静かなのが気に入っています。結構、BootcampでXPを使ってる時間が多いです。マルチディスプレイにしています。


2010年6月9日水曜日

IT世界も政権交代終了?

マイクロソフト時代が終わり、アップル時代になったのかもしれないと先日のニュースを見て思ったところだったのだけど・・・。

Apple、株式時価総額でついに Microsoftを抜く
http://jp.techcrunch.com/archives/20100526apple-microsoft-market-cap-2/

最近はスマートフォンへの流れというのが、新型のiPhoneの発表によって加速している感がすごい。 っていうか、世間を歩くとみんな持ってるよ!iPhoneを!(゚Д゚)という感じである。(もっとも、子供はみんなDSを持っているわけなのだけれども。)

クリティカル・マスという言葉があってこれは、日本語で「臨界点」と訳されることが多いみたいだけれども、

http://www.sophia-it.com/content/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%B9 によれば、

ある商品やサービスが市場に登場すると、最初は最も先進的なイノベーター(革新者)と呼ばれる消費者層に受け入れられ、次に新しいものに敏感なアーリーアダプターと呼ばれる利用者層に広まっていく。それから徐々に、保守的な利用者層に広がっていく。このとき、市場全体の普及率がクリティカルマスに達すると、それまでの普及率の伸びが一気に跳ね上がると指摘されている。クリティカルマスとされる普及率は、市場の約 16%であると言われている。


 とある。16%というと、iPod Touchも含めれば、自分の周りに限れば、この「クリティカル・マス」を、既に突破してるんじゃないか?とも思えるのだ。

 もし、この数値を超えてくれば、社会にある一定の周辺の市場ができ、さらにiPhoneの存在を前提にした商品というものが増える。その周辺の製品群が、またiPhoneそのものの普及率を押し上げる、という形になってくるということなのだろう。
 これまで、いわゆる日本の「ガラケー」と呼ばれる携帯電話は、その高機能さとは裏腹に大きなデメリットがあったと思う。それこそが「パソコンとの連携の弱さ」であって、外で収集したデータ、例えばはじめて会った人の電話番号やメールアドレスのデータをPCに持ってきて処理、みたいなことがなかなかできなかったか、あるいはやってみようとすると非常に面倒くさかったことだ。

 パソコンに打ち込んだデータから携帯への転送というのも、別途ソフトを買ってきてやっている人が多かった。もちろん、元からそういう概念での設計にはなっておらず、純正じゃない製品同士ではないのだから、同期機能は弱い。
化けたり、データが消えたり、あるいはモッサリしてたり、うまく認識しなかったりしたものだ。
 しかし、iPhoneだったら、もう周辺機器のひとつとして「同期」が可能であり、ほとんどすべてのデータをiTunes経由でやりとりできるというのが、まずとても便利だ。他にも他者との共有に便利なGoogleカレンダーとか、SugarSyncやDropBoxみたいなもろにファイル同期ソフトもあったりする。
 ついに「自分」のデータをすべて「母艦」たるPCに集めて、楽して自分の行動を俯瞰できる時代であるだけでなく、外にいても自動で勝手に同期してます、という世界に突入している。


 さらに、次に出る新型のiPhoneはBluetooth経由のキーボード入力にも対応しているようなので、ひょっとしたら、外でノートパソコンを使う人の多くもこちらに移行する可能性もあるような感じである。ここまでスマートフォンが進歩してくれば、別に重たくて設定が面倒なモバイルノートは、本当に「重たい」仕事をする人以外、必要でなくなるということはあるのだろうから。

 思えば、ビルゲイツが率いていたマイクロソフトは、Windows CEみたいなOSをものすごーく昔から開発していたし、タッチパネルのXPもすごーく昔からあった。それなのに・・・、今のAppleと同じことができたはずなのに、逆方向に暴走しているようだ。重たいVista、それまで人々が慣れ親しんだオフィスにリボンを付けてみたり、あまつさえ長く培ってきたExchange技術が会社組織のみで終わり、MobileMeのようなApple純正同期ソフトが現れたり・・。

 かつて、あのネットスケープをIEで潰したような鬼気迫る感じの行動があまり見えない。  やっぱり、この手の企業はカリスマがいないとダメなのだろうかなーとか思ってしまった。


追記:ちょっとあちこち変なところを直しました(´Д`)

2010年6月6日日曜日

企業組織について考える

池田信夫氏のブログに、おもしろい記事があったので読んでみた。

企業はなぜ存在するのか
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51409536.html

話の内容は、「なぜ会社が労働者(社員)を雇用するのか。(社長以外)すべてアルバイトだけで成り立つ会社がないのはなぜか」というものであって、これを分析している。結局のところ、会社は資本があって、それを投下して仕事をする。この資本は回収できない(サンクコストになる)ので、経営者側と社員との長期的関係が必要になるから、というのが理由になっている。

もし仮にすべてをアルバイトとして雇用したら、簡単に解雇することができる反面、アルバイト側が半分ぐらいまで仕事を終わらせた後、簡単に給料を上げろと交渉してくることが可能になる。アルバイト側からすれば、途中までの給与をもらってみんなで辞めても、いつ解雇されるかわからない状況なのだから元々状況に変わりがないのだ、という発想がある。なので、こういったことが頻発するようになるわけだ。なので、これを避けるため、ある程度資本家に近い存在としての労働者、つまり社員が存在すれば、いつクビになるかわからないという心配をしないで良い代わりに、仕事の途中投げだしとか、引き返せない状況まできたところでの給料上げろ交渉がなくなる、ということになる。

さらに、ホリエモン氏のブログにはこうあった。

ふと考えてみた民主党の過剰な労働関係規制について
http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10549910978.html
しかし、すでに大量の社員を抱える会社のオーナー社長はいざしらず、私のように会社をクビになったり、うまいことバイアウトしてそれなりの資産を持っている者は、今の日本の状況だと再び会社を作り雇用を創出することなど、あまり考えないだろう。

だって損なんだもん。一生懸命会社を大きくして雇用を創出しても揶揄されるだけ。安い給料でこきつかってるとかね。私なんか本当にのべ数人の受付女子しか派遣を受け入れなかったにも関わらず、ほとんど正社員だけだったのに揶揄されている。
だからもう面倒なので社員は雇わない方針でいきたいなーなんて思っていたりする。


考えてみれば、正社員という存在は、経営者の分身ということでなければ、雇用して仕事を与えることがメリットになってこない。実際世の中の側だって、ある正社員が名刺を切って仕事をすれば、その会社の人間として扱う。個人ではなくて、企業集団の代表としての個人。例えどんなに出来が悪くても、それなりの(相手会社に対する)配慮と敬意を持って接するのだ。(だから大企業の社員は、それを自分の実力と勘違いするという痛い感じの人もいるわけなんだけれども。)そして、アルバイトを派遣に置き換えたところで、「大事なところでサヨウナラされる」という意味においては話の構造が同じなのである。

ホリエモン氏は外部の人間がいる前でも、平気で社員を罵倒するようなことをしていたと聞いたことがあるが、これは社員を使うという意味においては、最も下手なやり方だろうと思われる。 結局のところ、社員は外部から見れば経営者の分身なのだから、自分の分身がスキル不足であることを客先に宣伝するというデメリットを発生させるわけである。一方で、置き換えしても可能であるような部分の人材も正社員にしてみたりと、どうも組織を使うには不向きな性格が読み取れる。

池田ブログでは、高度成長が終わった日本の会社の状況について、労使協調できた今までの日本の会社について、会社が危機に陥ったときは「何も決まらなくなる」と書いている。それで結局、「株主」、言い換えれば会社の持ち主が、自らの資本をどうするか決定するべきだ、と続いていく。 つまり会社というのは、資本(カネ)を投入して、それ以上のカネを生み続けるための一種のバクチのための装置なので、いくら賭けるかはバクチをする人、パチンコ台が装置とすれば、玉を買ってきて打つ人がその決定権を持つ存在で、その最終的な責任を持つ人、リスクを背負う担当の人に「いくら賭けるのか」を決めてもらわなければならないということになる。つまり、株主こそ台を打つ人であるようだ。
結局、社長、社員、アルバイトのいずれもが、すべて「中の人」であって、装置を動かすためのCPU、基盤、周辺機器のようなものなわけだ。 そして株主がユーザーになる。

さらに言えば、会社が社会にとってプラスの存在になるかマイナスの存在になるかは、結局は最終的には株主が決めること、ということになるだろう。ホリエモンも、人付き合いが苦手なら株主になって裏から動いた方がいい。わがまま放題は可能だし、株主がたくさんいるなら民主的なシステムになっていて、決定権やリスク、そして利益も分配されるから、個人の暴走も押さえることが出来る。結局、これが自然の摂理というものなのかな、と思う。

2010年6月5日土曜日

iPadどう思う?

割とiPadフィーバーが起こっているような昨今ですが。それについて雑感を。

① そもそもiPadを何に使う?
 これ、最初電子リーダーって触れ込みだったけど、徐々に「大きなiPhone」という話になりつつある感じ。世間話で「iPadを落として割ったら、中からiPhoneが出てきた(笑)」みたいな話があって、(ロシアのお土産の)マトリョーシカですか!とつっこみを入れたわけなのですが。
 いずれにしても、魅力的なソフトウェアがどれぐらい増えるか、ということじゃないでしょうか。そこが増えてくるまでには様子見の部分はあるのだけど、既にiPhoneのソフトが使えるというのは強いですね。このあたりのビジネス展開はスティーブ・ジョブズならでは、というべきなんでしょうか?

② パソコンは要らなくなる?
 実は10年前から、「携帯が発展してパソコンは要らなくなる」とか言われてきた。パソコンが要らなくなる、というのは数年に一度、周期的に出てくる話なのだけど、もちろん、そんなことはなくて、仕事の道具としては、カスタマイズ可能で安価で、パワフルで、使いやすい今のWindowsマシンは既にコモディティであって消えることはないとは思う。ただし、これはあまりに一般的になってしまった製品であるがゆえに、結局、マイクロソフトがこの市場で今の位置をずっと維持し続けるというのはおそらく難しいと思える。WindowsでOS市場を制覇はしたけれども、ビルゲイツがいなくなってからというもの、重すぎるVistaやOffice2007のリボンやスマートフォンへの出遅れを見ると、少々経営センスが欠けているなという印象がある。一方、ファイル形式、データ構造、ソフトウェアの互換性の部分、マイクロソフトがこの市場を独占的に維持してきた部分が瓦解してきている感じもある。

③ 次のステージへ行きましょう?
 ソフトバンクの孫社長みたいに「インフラを制覇する」とか、グーグルのように「PC上で扱う情報をすべてをクラウド化して制覇する」とか、そっち方向にいかないと今後の成功は難しい感じではある。方向性に多少のずれがあるにしても、一般的にパソコンで得られる利益は、自らのデータを自らで加工できるというところに尽きる訳なのだけど、高速なブロードバンドが発展すれば、端末はどうあれ、やりたいことはネット上の安全なストレージに保管しておいた方がいい、という動きにはおそらくなるんだろうとは思う。外で使うなら大きなノートパソコンより、iPadクラスの製品やスマートフォンが便利だろうし。

 結果、市場におけるシェア争いは、ハードウェアであるプラットフォームではなく、そのクラウドのデータを誰がどうストレージするのか、セキュリティはどうするのか、そして端末で動くソフトウェアはどこが制覇するのか、という流れになっていくのだと思われる。
 そこを制覇したい、ということで、iPadはアドビのフラッシュを排除するという動きになってきている。つまり、端末やブラウザのようなところではなく、その「クラウドとユーザ」の間を取り持つミドルウェア的なソフトウェアの覇権は、いったいどこが取るのか?という争いにシフトしてきているわけだ。

 これまでCDや新聞、出版、テレビ、ビデオなどのソフトウェアは媒体を中心にしてきたものであったが、これをすべて統合するキモはここにあって、しかも顧客が対価を払ってこのサービスを受けるという筋道、すなわちマネタイズのためのビジネス基礎作りでもあるから、ここら辺の競争はさらに激化していくのだろうと思う。
 このあたり、あんまり日本企業が参加してない感じがするのは自分だけ?


ご参考
http://www.yomiuri.co.jp/net/report/20100603-OYT8T00741.htm?from=navlk



「次のステージに行きましょう」ってだけで貼りましたw

都心の住まいについて考える


View from Osaki station

某ブログにこんな記事が・・

うさぎ小屋2.0
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51700208.html

この記事の是非についてはさておき、自分にとって快適な住まいというものについて考えてみたい。自分は広い家が好きだけれども、一方で掃除が面倒なのもイヤだし、維持費もかかるのもイヤな感じである。一方で、交通が便利だったり、近所に友達が住んでいたり、共有スペースがあったり、おいしい料理等々がある便利な街に住んでいる方が重要なのかもしれない。
おそらく自分が日常的に住んでいて、家族一人あたり20平米もあれば良いと思われる。ブログ記事にもあったように、実はもう電子化してしまえば、本もCDもビデオも全部サーバに突っ込んでやればいいという流れになってきているようなので、そうなるとますます広く部屋を使えるようになる。さらに、都会ではおいしい料理屋とかカフェもあったり、どこでも無線LANもあったりするので、寝る場所と洋服置き場以上の意味は、実は家にはなくなりつつあるのかもしれないと思うこともある。

他に何故東京にばかり人が集まってくるのかと言えば、やはり刺激があるのと、人間関係が適度にゆるいからじゃないだろうか。田舎に住むと、娯楽がないせいか他人のやることが気になってしょうがないという人が多く、さらに人よりちょっと成功する感じになると足を引っ張りにかかるところもあって、特にお金持ちになってくると自宅の近所で買い物をしなくなる、という話を聞いたことがある。

他にも、①日本の少子高齢化と、②建築技術の発展を挙げたい。これはどちらも未来を暗示しているんじゃないかと思えるからだ。①は、不動産に対する需要そのものが減っていくことと、②は、不動産の供給そのものが増えていくことを示す。つまり、建築技術がどんどん発展すれば、容積率を増やして高層化したり、あるいはこれまで利用できない場所も開発でき、あるいは便利なところがますます高度化するということを意味する。つまり、日本全体の人口は減る一方、都会の土地(床面積)はますます増えるということなのである。
そうすると、需給バランスによって、不動産そのものの価格は間違いなく下落していくだろう。もし下落すれば、今度は地方の富裕層と若者をますます都会が吸収することになるだろう。結果、都会だけがどんどん経済的に増殖し、巨大化し、高度化し、人口が密集して行くだろう。

そして今、木造平屋の一戸建てみたいな建物がいっぱい建っているところはある。おそらく、そこに住んでいるだろう高齢者がいなくなって巨大な更地が出来た後、そしてまたそこが開発され、東京の巨大化はさらに進んでいく、そんな流れになって行くんじゃないだろうか。

2010年6月4日金曜日

菅さんが総理大臣になったんだって

昔、厚生労働大臣時代、失言したということでカイワレ大根をモリモリ食べたり、頭を丸めてお遍路の旅に出たり、色々な失言や失敗を乗り越えて、ついに総理大臣になった菅さん。弁理士の資格も持っているそうだけど、新しい日本をうまく設計してくれるのだろうか。

しかし、驚いたのは、枝野幸男さんを幹事長にしようということで名前が出ていること。これまで小沢さんが設計してきたであろう、来る参議院議員選挙を、まったく反対派と思えるこの人にやらせようとすれば、相当の反発が出るんじゃないかとか、思わず勘ぐってしまう。そうでなくても民主党として色々な約束も小沢さんと各種団体の代表の間で色々な約束をしてきたであろうから、その部分に関しては、「本当にあの約束守ってくれるの?」という団体の偉い人側からも疑念を持たれかねないわけで、そうすると参院選にはマイナスに働いてしまうだろうと思われる。そういう人事を見ると、「んー、最初からちょっと間違えましたか?」とかいう考えが一瞬頭をよぎってしまう。
もっとも、今まで「陳情は党で一括して処理」とかやっていた小沢さんのやり方に対する反動なのかもしれないけどね。

都心の土地について考える


DSCF0564, originally uploaded by caffe1cac1d.

たまに高速道路にのって地方をクルマで回ってみると、そのさびれっぷりには驚きを感じてしまう。まさにシャッター通りいっぱいありますの世界である。

一方、都心はこの不況だというのに、結構新しいビルが建ち続けている感じだ。それも2〜3年ぐらいでバシバシ建ってしまうのを見ていると、建設テクノロジーの発展を感じる。うちの職場の近くにも22階のビルが建った。ただいま、引っ越し中であるようなのだけれども、この発展する地域とそうでない地域、いったいどこが違うのかとつい考えてしまう。

ひとつは、やはり利便性とステータスだろう。ある程度成功した企業がこういうところにオフィスを持とうとするのは理解できる。もうひとつは、地方で仕事をすると「地域性・公共性」がとても重荷になる部分がある。企業というのは、その時代によって活況を呈するところと徐々に没落する部分があるのは、仕方ないことだ。だが、地方では、ある程度の成功を成した企業(や、起業家)はその地方への貢献を求められる場合が多い。このつきあいは結構なコストになるわけだけれども、例えば海外や各地方にブランチを持つ企業というやつは、逆にこういった企業との地方(のボス?あるい親玉??)みたいなとのつながりがマイナスになる場合もある。

さらにもうひとつ、土地に関して言うならば、特に皇居周辺の区には、武家屋敷や神社仏閣などなど、昔から「ひとまとまりの土地」として存在してきた歴史がある。なので、高度利用のためのインフラが備わっているのと同時に、大きな建物を建てようとする際、権利関係がまとまっていて仕事がしやすい、という部分も存在するようだ。例えば豊島区なんかは僕は好きな土地なのだけれども、一方で住宅密集地があって、しかも古い木造家屋が中心だったりする。これは大地震や火災などでは、最も被害が出るような場所になるだろうと想定されるけれども、そこをすべて整理整頓して近代的な街にしよう、という発想はあまり生まれないようだ。何故ならば、小さく入り組んだ権利関係がそこにあって、大きな建物を建てようにも多くの権利者が納得するような形にするにはとても大きなコストが発生するからである。なので、結局、高度に利用された地域は、どんどん高度に利用され、その高度に利用された建物がさらに地下鉄や道路などのインフラを呼ぶ、という結果になるのだろうか。

しかしこの住宅密集地、あと10年も経つと、住んでいるのは高齢者だけとか、空き家ばかりという状況になるかもしれない。そうすると、日本中の住宅密集地が、ある日突然巨大な更地になるようなことが次々生まれるような事象が日本中で起こるようになると思う。

2010年6月1日火曜日

Youtube 投稿テスト



(HD) Tokyo Monorail -夕方の東京モノレール- 01
くるり「ワールズエンド・スーパーノヴァ」

かっちょいいです。
2:25あたりに出てくるポンジュースがいい味を出している。




掻き消してしまわないように 二つの黒い目が夜に輝いても
冬の雪原に茹だる炎天下 鈍る皮膚感覚 僕を忘れないでよ

かっちょ良すぎる(´Д`)