2010年10月17日日曜日

マイペース人間の戯言

社会的に見ると、自分はとてもマイペースらしい。
最近、コミュニケーション系の話で怒られることが多い。で、その怒ってくる人というのは「自分は当然こうしてくると思っていたのに、その形で戻してこない。おかしい!」というものである。

要するに慮り度が足りない、というものだ。

しかし、これは相手側において、単に「この人(僕のこと)はこういう風に動くだろう、こう動いて当たり前」という勝手な思いこみが前提にある。
確かに少しこちらが努力すればその気持ちに応えることはできるかもしれないが、「必要のないものは、徹底的に捨てる」という自分のポリシーがあるため、ここの部分とコンフリクトするわけだ。

言い換えれば、社会においては「これぐらいやってくれて当たり前」という相手側の甘えにも似た色々な人の思いこみに対して「そのために支払うコストは莫大となり、面倒(苦痛)なので、やらなくても良いことはやらず、目の前のやるべきことのみにフォーカスしたい」というこちら側の考えとは衝突が起こってきているとも言える。

これは、ある面で避けられないのかもしれない。それに別にどっちが悪いとも言えないだろう。相手側にも慮り度と、勝手な思いこみで失敗しているのだから、コミュニケーションロスがないように歩み寄るべきなのだ。でも、自分からは歩み寄らず、相手ばかりを変えようとするのが人間というモノなのだ。(まあ、自分にもそういうとこあるんだけど)

結果、どうするかというと、相手が怒ると言うことはよっぽどそれをやってもらいたいのだろうから、そこら辺はやるようにしましょう、と修正する(折れる)わけであるが、別にそれ以外のことについては問題がないわけであるから、別の部分については変える必要はないともいえる。相手が怒るまで特に何もしないというのはある意味妥当な行動パターンと言えるだろう。
言い換えればローコストである。相手との人間関係の重要性も関わってくるわけであるけれども。

自分がこうなってしまったのは、こちらが色々と慮って行動したとしても、結局それは必要ないということで空振りになることが多かったこともある。何をして欲しいのかよくわからない言動が多かったり、過剰に要求が多かったり、そもそも情報を提供してこないのでこっちが動こうと思うキッカケさえ与えないでうまくいかないと怒ってくる。

その人に対して情報が充分に集まれば、論理的に考えてこれは必要になるだろう、ということは先に準備するというのは、相手と衝突の数が減る分だけいいだろうと思うのだけれども、だいたい世間の人間共ときたら、物事がうまくいった、うまくまとめた、未然に問題を解決した、等々という部分については、理解も感謝もなく、当然にその果実が得られるものだと勘違いしてしまうものだ(笑)

だからたまには衝突してみるのも、相手に対する「世間(っていうか僕)なんて、こんなもんなんだよ」という教育としては、別に悪くないのかもしれない。

だけど優秀なやつっていうのも一方で存在する。
必要な情報を必要な量で、簡潔にして欲しいことを的確に伝えてくるヤツ。
そういう人に自分もなりたい。