2012年12月31日月曜日

大晦日に一年について考える

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大晦日ですねー。

今年は、「あれ?もう終わり」的な時間の感じ方を、そのスピードがさらにいっそう早くなったように感じる一年で、ここ数年はやや低調気味だったのだけど、まあ何とか墜落しないようにがんばったという感じでもあった。

ただ日々に任せていても、物事は何も変わらないから、何かの変化が必要なのだけど、世間の人たちも、ちょっと将来が見えないような感じであって、それが世間の雰囲気を醸成しているという印象がある。

今年、少し色々思ったのだけど、やはり旅に出るっていうのがとても楽しくて、特にクルマに乗って自分の好きなところを見に行くというのは、とても刺激になる感じがした。

これは気分転換と、頭の体操になるというか。

どこかに行くと行為をするときには、時間と空間の関係性というやつに思いを馳せないといけない。言い換えると、自分が進める距離というのは、特に実際に地を這って進むとなると、時間の制約をとても受けることになる。

例えばクルマで一般道を交通法規通りに走ると、平均時速ってだいたい30km/hに集約されるようだ。
カーナビで到着時刻の逆算を見ていると、だいたいその速度で計算していることがわかる。
もっとも、それは僕が計算が得意だからそれがわかるわけじゃなくて、時速60km/hで1時間走ると、ちゃんと60km/h先に到着しているから、時計を見てその倍の時間がかかっていれば、その半分の速度だということがわかるという、それだけの話なんだけど。
要は10分後に5km先にいましたという、それだけ。

この簡単なモノサシを使って考えてみても、一日24時間しかないうち、きちんと活動できるのは、8時間と見積もるべきだろうから、どこかに旅立ったとしても、活動範囲はざっくり自分が考えているよりもかなり狭い範囲しか動けないことに気がつく。

そんなわけで、見たいものや、やりたいことの取捨選択が必要になってくるわけだけれども、結局のところ、何が自分が好きで何が好きじゃないのかというのを押さえておかないと、結局、旅が貴重なお金や時間を使いつつも、満足のいかないものになってしまうということになる。

これはおそらく生活や仕事に関しても同じ事が言えるんだろうと思うんだけど、世の中で得られるものには、制約条件があるってこと。そうすると、事前の情報っていうのがとても重要で、地図をちゃんと見て計画するとか、見たいものをメモしておくとか、そういうことが重要になる。今はネットがあるから、本当にそういうのは便利になったね。

一方で、旅(というか外)に出てわかるのは、実際に行ってみて、自分の知らないものに出会えることであって、それが得られるものだと思う。旅をいいものにするには「自分が何が好きか?」というところから出発しないといけないのだけど、実はそれが一番難しくて、自分が何が好きで何がしたいか、というのは、案外、誰も自分でもわかっていないのだろうと思う。でもどこかに行けば、それに出会える可能性がある。
偶然に知らないものに出会って、ああ、自分はこういうものが好きだったんだな、というものに気がつくというか。セレンディピティってやつね。

こういうことを言うと、いい年こいて自分探ししてる、みたいな感じで捉えれるかもしれないけれど、人間、生まれて死ぬまで自分探しで別にいいと思うんだよ。自分の利益のために他人をうまく動かそうとする人に負けちゃいけないよ。

逆に実に貴重なのは友人であって、自分じゃない誰かも当然同じ毎日を暮らしていて、その中で発見や知見というものを持っている、それをうまく交換することができたら、短い人間の人生でも好きなもの、素晴らしいものに出会える可能性は格段に増えるはずだから、きっと人生を豊かにすることができると思うんだよ。それは別に旅でなくても、本でも、仕事でも、なんでもいいわけだけど。

まあ、そうであっても、制約条件の存在は忘れないようにしないとね。
だからベストでなくても、できうる限りベターな手を打ち続ける、それでいいんじゃないかという、ことで。

まとまりませんが。良い年をお過ごし下さい。

2012年12月29日土曜日

選挙とクリスマスを超えて、そして・・・

街中、どこかに行けばクリスマスソングが流れていた時期を終え、スーパーで買い物をしていても第九が流れる時節となり、選挙も経たことで世の中は色々と切り替わったムードとなったようにも感じる。

この12月で大きなトピックは、やっぱり衆議院の選挙があったことだろうと思う。ここから考えてみたい。

民主党:冬の陣の巻(あるいは冬に選挙するっていう事の意味について)

今回、どういうわけだか野田総理がこの時期に解散を決めて、あれよあれよという間に選挙になってしまって、自民党大勝という感じになった。自分は勝手に選挙時期は充分に準備ができる夏だと思いこんでいた。で、参議院と併せて同日選、のような。

なぜなら、この冬にいきなり選挙となると、その準備が組織としてやり慣れている自民党と公明党の候補に有利であって、自分がもし民主党の偉い人だったら、与党になって3年、まだまだ基盤の弱い若い議員を沢山抱えているのだから、1日でも長く与党として活動して、支援者との関係性を強化したいと思うところだろう。

普通だったら総選挙は、世間の人たちの仕事の少ない(?)8月あたりにやって、祭り気分を盛り上げ、投票率が高くなって、浮動票、つまり普段選挙に行かないような人の票が沢山集まって結構、大きな意味を持ってくるところなのだけれども、今回は、やはり60%を割り込む結果となったのだった。

これは、今回話題になった「第三局」潰しのためにやったのだろうかもしれないな、なんてことも感じる。

おそらく第三局の人たちも、えー、もう選挙なのー?困るよー!と思っていた人は多かったようで、またその準備も、第三局の偉い人たちが主導権争いをしていて、連合して選挙の具体案(政策は何を訴えるか、どこの組織と組んでどこと組まないか・・など)も、固めきれず、結果、どう選挙するかを組み立てるところまで行ってなかったようだ。

実際、その第三局の立場から選挙やってるところを見に行ったのだけど、「党本部が機能していない・・・」ということを言っていた。
一方、街は自民党の候補のポスターでいっぱい、みたいな感じ。創価学会の人たちは今回もみんながんばったんだろうね。
自民と公明なんて、目指す政治がまったく逆方向なのによくやるよ、とも思ったものだけれども、ある意味、自民党の暴走を食い止める歯止めになるのかもしれず・・何とも言えない。

だいたい選挙を仕切る党本部の仕事、あるいは政治家たちのバックヤードで働くのは割に合わないことが多い。

仮に党本部の職員になったとすると、
1.公職選挙法に関する非常に高い知識が要求され(これがないと運動員や候補者も捕まりまくりになります)2.多数の候補が、知名度の高い議員や代表が(自分の)応援に来ることを望むために高い調整能力が要求され、3.ポスターやビラの選挙マテリアルを企画するためのセンス、その他、適切に必要なものを調達して配布するなどの高い兵站能力が要求され、4.別に選挙に勝っても自分が議員になれるわけでもなく、負ければ対応が悪かったせいで負けた、などとdisられるなどの役回りとなり、この仕事をやって他人から評価を得るのは、かなり難しい。

それだけの能力があれば、自分で何かをするぜ、ということにもなるかもしれないけど、一方でひとりの政治家を生み出すには、相当の人が組織的に活動することが必要なのであります。
それは間違いない。
さらに、その組織を超えて勝敗を左右するのが、いわゆる風であり、浮動票でもあるわけですね。

今回の衆院選では、12党が選挙に出て、少数政党が集まって「第三局」を作って、自民でも民主でもない政権を作るんだ、などと言っていたけれども、実際、その考えが有権者に浸透し、しかも支持されなければ、その政治信条を納得して、投票の時に名前を書いてくれる、というところに行き着くわけもなく、結局、民主党はイヤだから、よくわからないから自民党にしよう、という心理は働いたのかもしれない。もし第三局潰しが野田総理の今回の選挙の目的であったとしたなら、充分にその任を果たしたようにも思えるのだよね。(もっとも、民主党はそれで小さくなってしまったけど。)

それでも維新の会は、かなり躍進したけれども、これは自民党がいやな人たちが投票した結果だとは思う。
ただ彼らの政策はそんなに自民党と変わらない感じもする。

第三局のある人曰く「結局、自民党に入っても二世、三世じゃないと上がっていけないんだよな・・」という言葉があって、事実、安倍晋三さんは岸信介の孫だし、麻生太郎さんは吉田茂の孫、石破さんだって・・、というところでもあり、そういう意味では、ちょっと日本社会における身分制度的な壁を感じるところもある。

特に維新の会に入った理由というか、入っている候補たちというのは、自民党と同じような考え方を持っているけど、公認をもらえなかったような人たちが多くて、実際、橋下さんの参謀になっているのは、堺屋太一さんとか、あるいは竹中平蔵さんとか、かつて自民党政権で参謀役をやっていた人たちがバックにいて、さらに石原慎太郎さんが党首になったという流れになっている。そう、みんなかつての自民党出身であります。

さて、一般の人の話に目を向けて見る。ネット界隈の人たち(いわゆるネトウヨではない、ちゃんとした人)の言説を見てみると、例えば脱原発についてどう思うかについても、今後どうするかについては、賛否いずれもとにかく色んな意見を戦わせてはいて、割と理性的な人が多いと思う。例えば、福一では原発そのものがずさんな管理だったとか、使用済み核燃料が未だ危険な状態だとか、色々と改革しようにも原子力ムラの存在があるとか、そういったものがあることの危険性について、一応、それを前提に色々と考えているように感じるのだけど、実際に選挙で投票をする人たちのボリュームゾーン、その多数は中高年から以降で、さらにその情報ソースは当然テレビや新聞に偏っていて、ものを考えるという習慣に関して言えば、結構感情的というか。

例えばあるおばちゃんは、「これから中国だって、韓国だって、原発を作っていくのよ!原発がなかったら日本から仕事がなくなって貧しくなるんだから!あたし達はだまされないんだから!」と言っていた。敵対する外国に対して原発がないと、経済的、国力的に不利になるんだ、という言説を、割と(感情的に?)信じていた。

さらに消費税増税について。消費税増税が参議院を通過した日、この日はイミョンバクが竹島に上陸した日でもあるのだよね。
その日に野田総理がテレビに出てきてしゃべっていたのを見ていたのだけど、「今回、消費税増税マニフェストを守れなくてごめんなさい。ところで今回、竹島に上陸した韓国大統領の行動は許せません。断固として毅然とした対応を」みたいな感じで、あれ消費税とかマニフェストはごめんなさいで終わり??と思ったのだけど、さらにその後、この件はエスカレートして、小さな島を巡る日韓の衝突が、いつのまにか日中の尖閣諸島の問題にすり替わっていて、なんなんだろう、みたいな。で、街でもあまり消費税の話はしなくなってきた。

これ、ひょっとしてものすごく巨大な茶番劇なんじゃないだろうかと思うこともある。
なんか、感情を揺さぶって目をそらせるという手は結構有効なのかな、という気がしなくもない。
でもまさか、このレベルで茶番劇をやるのかと思うと、いやまさかそんなことはないよなあ、と思わなくもない。

ちょっと個人的印象の羅列になってしまったけど、言いたいことは:

1.有権者のボリュームゾーンは、中高年層であり、投票活動においては大きな力を持つ。
2.その中高年層の情報ソースは、主にテレビと新聞。ネットを使える人は少数派。
3.テレビと新聞で感情を揺さぶられると、理性を失った投票行動に出やすい(んじゃないかな?と思った。)

という感じで、かつての「B層」という言葉も頭をよぎってしまう。マスコミおそるべし。

次回:第三局:次の夏の陣はどうなるのの巻(参院選はどうなる?)

・・・読む人がいるなら、そのうち書くかもね。(´∀`)

2012年12月24日月曜日

沖縄に行ってきました。

去る12/15-16の土日で、友人たちと沖縄に行ってきました。
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羽田空港は、クリスマスモード。

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きれいな海。そしてのんびり。

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クルマはマツダ・ロードスター。

沖縄は、高速道路も走っていますが、島を南北に縦断する国道58号線がお勧めです。(写真は国道449沿いです。)

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このクルマのナビは、mp3ファイルを入れたSDカードを、うまいこと認識してくれたので、音楽に困らなかった。オープンカーは天気が良くなると焼け死に状態、ちょっと寒いと凍えてしまう、という乗り物なので、楽しめる機会、あるいは場所は少ないのでした。今回は、うまいこと天候に恵まれて良かったですー。
みなさまもぜひ。

2012年10月25日木曜日

携帯モノが色々出てきて楽しくなった。

ここのところ、Nexus 7が出て、さらにiPad miniが発表され、さらにさらに同日にKindleシリーズが出てきて、もともと中華系のタブレット系いいなー、でもなんか買うのは怖いなーと思っていたので、ちょっと眺めているのが楽しい感じであります。

少し前、iPhone5がauとSoftbankから出て、「うーん、やっぱiPhone欲しいなー」なんて思っていたところでもあり、何を買うかについて、色々考えているところでございます。

今使っているのは、docomoでGalaxy S2LTE(以下S2LTE)を今年(笑)買って8ヶ月というところで、まあ、今後どうするかの思考実験だけして脳内買い物を楽しんでいるところでございます。

なぜ8ヶ月なのかというと、その前に今話題のシャープのLYNX 3Dというのを買ってみたのだけど、まあ、悪くはないけど、ちょっとビミョーな感じだったからでございます。それでデュアルコアでLTEでテザリングできるドコモの一押し携帯、ネトウヨのみなさんに大人気の韓国の一流企業、サムスンの傑作、ギャラクシーでございますよ。

S2LTEは、もちろんAndroid端末であって、デュアルコアで、ドコモの電波でそこそこ使えはするのですが、スマホならではの不満点もないわけではありません。
その不満点は:
 1.バッテリーが持たない。(特にいじりまくれる休日は持たない)
 2.通話品質があまり良くないらしい(相手から聞こえが悪いとよく言われる)

この機種はLTEの電波でテザリングできるというところが非常に良いわけですが、ドコモのLTEとは言っても思ったほどのスピードは出ません(せいぜい1~2Mbps程度)。まあそれはそれでもいいのですが、実際LTEでテザリングすると、かなりバッテリーを喰ってしまい、そのせいで携帯のバッテリーが切れ、普通に電話をかけて通話しようとする人から「つながらなかったんだけど。」などと言われ、かなり平身低頭な感じになります。

そうでなくても、普通にゲームしてみたり、ツイッターいじってみたりしてるだけでも、結構、バッテリーを喰ってしまうのでございます。もう飲んで帰る頃には、確実に携帯はバッテリー切れで自動シャットダウンです。
でも、これはギャラクシーというより、スマホ全般の問題と言えるでしょう。

あと、Android特有の話で言えば、やはりiTunesとかiCloudとの連携ほどのシームレス感はないわけであって、そこら辺の洗練さを味わってみたいからApple製品で揃えるシフトへの流れという意味では、MNPでiPhone5に転げるのも悪くないなという感じもしますね。(ただ、auにするかSoftbankにするのかというところもまた考えるわけです。)

いまのS2LTE、まあスマホとしては、まあこんなものだろうということではあるのですが、またこの秋に新機種が色々出てきたので、「どうするかなー」という意味では、また色々妄想もあったりします。今のところ、方向性は以下のふたパターンで悩んでいるところでございます。

プラン1(通話用携帯をドコモのガラケーに戻してiPad miniを追加購入する案)
 メリット:
 1.通話に関してはガラケーに戻せば、特に待ち受けのバッテリー持ちを良くできる。(外で人と会ったりする予定があっても安心)
 2.キャリアを変えないで済む。オサイフケータイ復活。
 3.iOSのアプリで遊べる。(画面がでかい。iPad miniでは、Siriも使えるらしい)
 デメリット:
 1.二台持ちはめんどうくさい。
 2.iPhoneがいじりたいよー。
 3.Wifi+Cell版は未登場。WIFIだけのモデルにする??うーむ。
 
プラン2(いっそすべてiPhone5に集約する)
 メリット:
 1.Apple様の世界で通話とクラウド環境等が1台に集約され美しい環境となる。(笑) ←でも重要。
 2.んで、7インチタブレットはNexus7とかキンドルを選択して追加、それらをテザリングして使用。(ますますバッテリー持たなそう。)
 デメリット:
 1.電池持ち問題は解決しない(と思う)。
 2.キャリア変えるのかー。ううむ。それにインフラ追いついてんの?
 3.お高いじゃん。

 親がドコモ派であるので(特に父親はゴルフ好きであって、ゴルフ場でもつながるのはドコモだけ!で、家族はそのせいで長年ドコモであったりする)まあ、ファミ割で・・なんて、色々あったりする部分はあります。ま、親の悲しそうな顔をガマンすれば別にドコモじゃなくてもいいんだけどね。僕は。世間では親子が不仲な話題でいっぱいな日本国ですが、うちは家族は仲良しなのです。

 あるいはチャレンジャーとなり、舶来の白ロム版を検討するのもありかもしれませんが、SPモードの携帯メールは・・、SIMをカットして・・・とか結構、ハードルが高い。

 さらにiPhone5の話でいうと、自分はあの「ライトニング」コネクタなるものは、認識チップが入っているとか、「うーん」という感じであって、なんかすべての製品はアップルに集約され、サードーパーティは死ね!的な運用になっていくのでしょう。
 しかし、それはなんか好きじゃないんですよ。サードーパーティが参入しやすい自由な雰囲気でオープンな感じでないとね。

 その昔、NECがPC-98シリーズを出して、それが全盛だったとき、外付けハードディスクをサードーパーティが色々と出していたのだけど、その時、PC98から、ハードディスク側へ内部コマンド的に「NEC」の文字列を返さないとちゃんと認識しない、なんてクソなことをしていて、学生の頃にちょっとその分、色々やってお高いハードディスクドライブを購入した思い出などを思い出すと、こういう金儲け主義はアップル様の「終わりの始まり」感を微妙に感じなくもない感じです。
(当時、そこそこ優秀なエプソンのPC-386Sを使っていた。でも本当は、名機PC9801RA21が欲しかったのよね。)

もっとも、現代のコネクタの話というのは、違法コピーとかセキュリティとかそこら辺の話も含んでいるのかもしれないから、一概には言えないけどね。

まだこういう系の話はあって、iPhoneは、人々の行動をマーケティングデータとして自分ところで押さえたいから(?)地図を不出来なものに入れ替えたとかいう話があったり、スマホ全般では勝手にGPSの記録取ってるとかっていう話もあったりすると、iPhone様、あるいはスマホはかっこいいけど、やはりケータイは昔ながらの通話重視のガラケーに戻し、後はタブレットで何かをどうにかする方が、バッテリー持ち関連など別問題を解決する意味を踏まえても、それが正しい方向性なのかもしれない、などと思って、そっとネットを眺めております。

それでもやっぱ、iPhoneは魅力的だよね。

おまけ:
それから、ある人もツイートしていたけど、携帯広告って、どうしてあんなにも混浴できるという旅行とエロマンガの広告が多いの???

たまに女子にのぞき込まれたときに、あれが表示されたりすると・・。
「ちっ、違うんだあああ ウワァァ-----。゚(゚´Д`゚)゚。-----ン!!!!」って気分になります。

2012年8月26日日曜日

日本が悪くなり始めたのって小選挙区制になってからじゃね?

国会議員はもう要らない、どんどん数を減らせ!という声の多い昨今ですが。
自分は結構、こういう動きは恐ろしいなあ、なんて思いながらニュースを眺めています。

国会議員は悪いことして、利権にまみれて、ワイロもらってウハウハ、みたいな話をよく聞きますが、これは簡単に言えば、いわゆるステレオタイプに過ぎないと思うのです。
もちろん、そういうことをしていた悪い人もいたかもしれませんが、実際、そういうことをしていたら、あっという間にマスコミの餌食になって選挙に落選するわけで、そうでなくても、彼らはこの選挙を控えている身であるから、有権者の皆様の顔色を伺って票をもらわないと生活や組織を維持できない立場でもあり、この暑い夏の日にも地元を回って、お祭りで次々に知らない相手に名刺を配って、政治好きのおじさんやおばさんの色々な話を聞いて回っているのが日常なのです。

彼らは、もともと仕事もできる人が多いです。そもそも弁護士であったり、一流企業の社員や、あるいは役人でやっていける、そんな人が政治家を目指しています。
それを何故やるのかと言えば、その理由は人それぞれでしょうけど、一種の使命感を持っているのは間違いはないとは思われるわけですね。

その彼らが最も恐れること・・・それは、選挙に落ちて「ただの人」になってしまうことです。
ただの人と言っても、それだけの偉い人だった人を雇用する人がいるわけでもなく、ほとんどは生活の糧を得られなくなるような状態にもなるわけで、それは絶対に避けなければいけない、そんな感じなわけです。
そうならないためにはどうしないといけないかというと、結局、選挙に落ちないように、有権者との関係を強化して、選挙のときに負けないように、日々政治活動するということになるわけです。

政治家というのは、結局なにをやってるのかというと、簡単に言うと、三権分立の司法、立法、行政のうち、立法府、つまり法律を作るのが仕事なわけですが、そこには行政を監視するという仕事が含まれるわけです。例えば、税金をちゃんと無駄なく使っているか?とかですね。

行政ってなんでしょう?行政とは、国家そのものから、司法と立法の部分を取り除いたすべてです。ここには、宇宙開発から近所のゴミ清掃までが含まれるわけです。

そして、その仕事を執り行っているのが役人というわけですが、彼らは国民から税金を取って、色々な仕事をするわけなんですが、結局、自分の仕事を安定化させるためには、ひとつは自分の仕事が奪われないようにすること、ふたつは税金をきちんと取って給料をとりっぱぐれないようにすること、が自己保身のために必要なはずなんですよ。

結果、自分の生活が誰しも第一になるから、役所の人は一般民に対しては暴走しがちなんですよ。役人が一般国民を愛していても特に得になることは少ないですから。
特に警察官などは、犯罪を起こしている人を逮捕することだってありますし、それが習い性になって上から目線になるのはしょうがないことなのです。
常に相手にへりくだっていては万引きの現行犯を逮捕するとか、無灯火で走っている自転車泥棒のような人を呼び止めることもできなくなるわけです。

また役人(公務員)は、公務員試験を受けて公務員になります。つまり、普通の人より事務処理能力が高い人をペーパーテストで選抜して公務員を選ぶわけですが、面接をするにしろ、IQは計れても、人間性を見ているわけではありません。むしろ、ライバルよりも点数の高くなるよう競争してきた人が公務員になりやすいという一般論が成り立ちそうな感じなわけです。
ですから、結局、行政というものは暴走しないように監視しておかないといけない。だから、行政の方向性というやつを決める権限というのは、選挙で選ばれた人にやらせようね、という発想になったわけです。

さて自分が日本がおかしくなりはじめたのは、小沢一郎さんが提唱した「小選挙区制」が日本に導入された頃からじゃないだろうかと思うのですよね。
・・バブルの頃までは、隆盛を誇ったわが日本国。

その頃は「政官財の鉄のトライアングル」と呼ばれていて、これが悪いことなのである、というマスコミ報道がとても沢山されていました。
でもそれがトライアングルならいいと思うのですよ。人々の声は国会議員を通じて政府を動かすことができたわけですから。

ところが衆議院の選挙制度が小選挙区制になってどうなったかというと、その特性ゆえ、死票が増えたんです。
そして一般の人たちの声(簡単に言うと、一般民がこういう法律、あるいは税制にして欲しい、という声)が届きづらくなったと思うんですよ。

どういうことかというと、小選挙区制とそれまでに行われていた中選挙区制の違いは、ひとつの選挙区から何人の議員を出すかというところが違うのですが、小選挙区制では、ひとつの選挙区から1名だけ、中選挙区制からは、複数名の議員が当選します。

そうすると世の中はどうなるかというと、何かの拍子に国会議員が落ちやすくなるんですよ。

たいていの場合、どこの選挙区も、法案や税制に関しては、A案B案で意見が分裂しているわけです。

さて例えば3人の議員が生まれる地域があったとしましょう。ここでは小選挙区制の場合、3つの選挙区がここに存在して、それぞれ一人ずつ当選することになり、中選挙区制の場合は1つの選挙区から3人が当選すると仮定しましょう。

そうすると、A案B案で意見が分裂している場合で、選挙区の人たちの考えがA(2):B(1)でB案にしたいと思う人たちが劣勢だったとしましょう。
これで選挙をすると、小選挙区制の場合は、各々の選挙区でA案の人たちが過半数を取るのでA案を採用する議員が3人になります。
一方、中選挙区制の場合は、A案を採用する議員が2人、B案を採用する議員が1人となります。つまり、小選挙区制を採用することで、国会でも少数者の意見を代弁する人が減ってしまうということが起きるわけです。

さて、もうひとつの問題点ですが、その前提として、この国の問題点は、マスコミを押さえている企業が非常に少ないということであって、テレビ局でもキー局がいくつかしかないということです。
すべてのテレビやマスコミをいくつかのメジャーなマスコミが押さえているということは、国民の価値観に多様性がなくなり、少ない数の価値観に一般の人たちがまとまりやすくなるということを意味します。

この状況で小選挙区制を採用すると、例えば今回、C案とD案が拮抗していたとき、そのテレビのスポンサーたる大企業や許認可権(その気になれば免許を剥奪できる)を持つ役所の言うことを聞きやすいマスコミが、例えば今度はC案がいい、例えばTPP賛成!とか郵政民営化を進めよう!と言った場合、すべての選挙区において、C案が有利になり、D案は潰されてしまうことになります。

他にも、「刺客」と呼ばれる作戦があります。まず選挙に出ている現職の国会議員にとっては、自分の議席を奪われるのが何よりもいやなことなのです。

だから、政治的に大企業とか社会において自分に有利な法律を欲しいと思う有力者がいて、お金持ちだったりした場合は、気に入らない政策や信条を持っている議員には、有力な若い人をぶつけて落選させようという戦術が有効になるわけです。そして、マスコミはおもしろおかしくその選挙区を煽る。そして風が起こる。ひょっとしたら、有力な大企業は刺客になる人に選挙資金を融通するかもしれない。

刺客をぶつけられる方の議員にしてみれば、そういうことをされるのがイヤだから、それだけの能力のある有力者の言うことは聞くようになるわけ。
逆に協力するようになれば、刺客をぶつけられないようにできるし、あるいは資金的な支援を得られるようにもなるわけですからね。

これは、中選挙区制では起こりづらいことなんですよ。この制度の場合、刺客を立てても気に入らないやつだけ「刺す」ことはできないし、ある程度、世の中に「こうあって欲しい」という意見をまとめれば、相対的にその議員が選挙に弱くても議席を確保することは可能であったりするからです。

こうして、小選挙区制では、議員が議員で居続ける時間は短くなりやすく、またそのために政治家を続けることで長く政治の場に留まり、勉強をして行政を監視するという能力を積み重ねていくことができなくなるわけです。もちろん、有力者の子飼になれば、長く続けることもできるかもしれませんが・・。いずれにしろ、社会のトップ層に富や権力が集中する結果になるでしょう。

衆議院が小選挙区制になってから、派遣労働に関する法律やら、金融に関する法律やら、大店法の廃止などの規制緩和、あるいは金融に関する規制緩和、公共事業の削減などなどの動きを見ると、格差が広がるのも当たり前のような気がしますね。反対者は一掃されつつあり、今後もそうあり続けるでしょう。

さらに言えば、有力議員を倒した1年生議員も、その地域で政治活動をしている時間が短くなるぶん、選挙区の後援会などの地盤が弱いままですから、都合が悪ければ、また別の若者に入れ替えされやすくなる。

こんな流れ故、ほんの20年前は「政官財の鉄のトライアングル」だったものが、今は、「官と財の鉄の壁」の時代になったのかもしれません。

※ちょっと文のおかしいとこ、直しました。

衆院定数半減、歳費3割カット=「八策」に明記へ-大阪維新の会

 地域政党「大阪維新の会」(代表・橋下徹大阪市長)は26日までに、次期衆院選向け公約「維新八策」で、衆院の定数(現行480)を半減させるとともに、国会議員歳費と政党交付金をそれぞれ3割カットすることを明記する方針を固めた。衆院定数削減などの方向性は既に打ち出していたが、数値目標を掲げることで、より具体性を持たせることが必要と判断した。
 同会は7月にまとめた維新八策の改訂版で、国・地方の在り方として「道州制が最終形」との考えを示している。道州制の導入で地方分権が進めば、国の役割は外交・防衛などの分野に限られるため、衆院議員を現行の半分に減らしても対応可能とみて、新たに盛り込むことにした。 
 橋下市長は同日、松山市で開かれた会合の中村時広愛媛県知事との対談で「国会議員を480から240に半減するということをしっかり打ち出していく」と述べた。

2012年8月19日日曜日

2012年夏 ~ そしてお盆休み(世間の雰囲気をつれづれに)

零式艦上戦闘機
お盆休みというのは、日本人の習慣で、先祖の霊が戻ってくるから休みましょう、とかいう話でありまして。
結局、みんなが休むから仕事の効率も落ちるし、そんなら仕事してもしょうがないよね、的にどこも休みになるわけで。

もっとも、この1年で最も暑くなる時期に、わざわざ混み合った仕事をする必要もないわけで、たまに家族と会って話をしたりするには、良い機会でもある。

8月15日、終戦記念日でもあるので、お墓参り代わりにお寺に参拝し、その後、靖国神社に行ってみた。

靖国神社では、この国で行われている学校教育にある「日本は負けて反省しないといけない」とか「君が代には反対する先生が起立しない」とかで小学校の頃に受けた教育の記憶とは全く違う雰囲気がある。

「日本は正しかった史観」がそこにあって、ここに集う多くの人たちは、「国のために亡くなった方々を供養しよう」「この国を守ろう」的な熱気で溢れている。

まるで別世界にいるようだ。

ここにはヤクザっぽい右翼の皆さんもいるけれど、本当に家族を戦争で失った遺族の人たち、政治家とその支持者、外人さん、あと日本兵のコスプレ(?)をして、気さくに人々と話をするおじいちゃん達もいて、実にお茶目で、そのキャラクターは実に魅力的だ。

ここには参拝のための神社という施設のほか、遊就館という、近代日本の戦争に関する文物をキュレートした記念館がある。
 
日本がアジアの中で独立と自尊のために死にものぐるいで戦った記憶が整理されている。日本人が力強く団結した記録や、「侍」の雰囲気を継承した数々の武器や文書、その他様々な貴重な物品、例えば戦闘機である零戦などが展示してある。
そこには、多くの人たちが生死をかけて戦った記憶があって、実に生々しい。

ここに来ると、戦いに明け暮れた中の圧倒的な人間ドラマがそこにあることがわかる。

色々なエピソードもどこか聞いたことがある。子供の頃から観ていた宇宙戦艦ヤマトも、ガンダムも、マクロスも、結局、太平洋戦争の記憶、あるいはそのエピソードのエッセンスを戯画化したようにも感じる。

その中心にあるのは、自分の身を挺して、国を守って亡くなった人たちの記憶の数々だろう。

さて2012年8月現在、福島で起きた原子力発電所が爆発したという、あの事故の収束点はまだ見えていない。

その影響で、ここ最近にも、社会的には色々なことが起きた。

6月頃から脱原発に関するデモが永田町で行われ、実数はわからないけど数万人が集まり、ネットでは「紫陽花革命」と言われたが、あまりマスコミでは報道されなかった。

為政者層に対するデモや活動というのは、別に脱原発に限らず、永田町あたりでは活動家はいつもデモを前からやっていたけど、この6~7月からの流れに違いがあるとすれば、その普段だったら「デモね、ふーん」とスルーするような人たちが、それに参加するようになったのが大きいと思う。

そんな中、消費税は8%、10%と段階を追って増税することが決まった。社会保障の維持のためには必要だと言って、それを世間の人は納得しているように見える。

で、その法案が参議院を通過したその日に、竹島に韓国のイ・ミョンバク大統領がやってきて騒ぎになり、人々は、消費税増税のことについてはあまり何も言わなくなっているように思う。

ここのところ、なんか急に竹島とか尖閣諸島とか、領土問題に関するニュースが増えたのを見ていると、「なんかの目くらまし?」かと思ってしまう。自分には、怒りのエネルギーの矛先をかわすため、日韓の偉い人たちが起こしたプロレス劇場のような感じもする。

逆にこういうことで一般の人たちが焚き付けられて、来年あるだろう総選挙にも、割と強硬的な人たちに権力が渡る原因になるのかな?という感じもあって、その辺考えると、そら恐ろしい感じもする。

で、日本の歴史をざっと眺めると、ひとつの共通点があるような気がする。

それは「偉い人が誰だか判らなくて、結局誰も責任を取らない」ということであって、太平洋戦争では、作戦に失敗した参謀のクビを切ることがなかった。例えば東条さんは、当時、実は人格者と言われていたけれど、戦争という人の命をやり取りする状況であっても、作戦に不具合があっても「あいつの立場が悪くなるから」とか「あいつの顔を潰すから」という理由で冷徹になりきれなかったという話もある。

他にも、アメリカと戦争が始まるときにも「勝つことを前提としてしない」戦いに向かったりしたということもある。(山本五十六大将の「1年から1年半は暴れて見せる」の言とか。)

結果、現場の人たちはものすごく戦ったけれど、それでおしまい。で、A級B級戦犯も、東京裁判という、連合国による茶番の裁判の犠牲になった立派な人たちだったと反論されて、結局、誰が悪かったのかもわからなくなった。

そして今、結局、原発事故の原因って究明されたのだろうか?
福一では、冷却用ディーゼル発電装置が津波の海水をかぶって機能停止してメルトダウン、というのが原因だったと思うのだけど、その経緯やその指揮命令系統がどうだったのかは未だに明らかにされていない。

反原発を言えば、理系的な知識のないやつのバカの発言とか、結局、日本でエネルギーにおける自立のためにはしょうがなかった、とか、デモがあれば「あいつは○○の組織のスパイだ」とかで分裂したり、なんかまったく方向性の違う話になってしまうのが、ちょっと残念な感じ。

戦前の「非国民」とかいって戦争に協力させたピアープレッシャーのやり方、今も変わっていないような。

今、原発で働く作業員の人と、戦争で散華した人たちがどうもかぶるんだよね。


BEGIN - 君を見ている

2012年8月12日日曜日

FizzBuzz 問題どや顔で解くひとなんかよりも "KEN_ALL.csv" をうまく扱える人の方が社会的貢献度高い

 仕事でデータベースを作っていると、住所情報作成にあたって、必ずぶつかるのがこのデータ、KEN_ALL.csv(全国の郵便番号データ)です。結構、日本は広くて件数もいっぱいあります。(12万件ぐらい)

ネット界隈で、仕事のできる人は「なんじゃこのデータは!」と色々disっておられるのですが、その昔、自分は、ちゃんとcsvになってインターネットでダウンロードできるだけで「すごい時代になったものだ」と思ったものです。

ただその後、PC-9801時代から進歩はしていないようです。残念。

その昔、LZHっていうアーカイバがすごい!とか言って、よく使ってました。(LHAですよね^^;)
あと最初、zipは舶来だったので、Windowsで標準機能として採用されるまで、なんか近寄りがたかった。

FizzBuzz問題というのは、要するに3の倍数と5の倍数だけアホになります、という話のようです。

http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/352382
理系の人たちが、「データの質が悪い」とdisっておられるw うん。その通りです。

http://d.hatena.ne.jp/at_yasu/20090115
整理されたメモ書き。

郵便番号データのダウンロード - zipcloud
http://zipcloud.ibsnet.co.jp/
便利そう。

国民所得と物価指数

 
ネットを探すとほかにも同様な図があったが,どれも出典は不明である。
Okumura's Blog: 一人当たり国民所得のグラフ

グラフで見るとすぐ信じちゃうけど、本当のところ、どうなんだろ?

ただ言えるのは、バブル崩壊以降、日本が停滞しているのは間違いない、ってことかなぁ。

それにしても、Tumblrの方にUPしようと思ったのだけど、うまくいかなかった。なんでだろう。

2012年8月2日木曜日

楽天koboってどう思う?

楽天のkobo

まあ、koboっていうより、楽天という会社のことなのだけど。

この前、ある書店に行ったら、ニコニコしたお兄さんとお姉さんがいて、「楽天コボ」なる読書リーダーを売ることになったということで、デモをしていた。
 自分は本を読むのは嫌いではないし、値段は7980円っていう価格だから、最初、へ~、買ってもいいかな?と思ったのだった。

しかし、実際に色々とネットで調べてみると、最初に不具合が色々あったり、店が充実してなかったり、ミキタニさんが、不具合はあっても最初の対応ちゃんとしたから大したことない的なコメントがあったりとかしていたようで、それより素早く対応できて良かった的な話をしたらしい。

まあでも、こういうデバイスっていうのは、いわゆるネットユーザーが使うのだろうから、ちょっと対応をしくじったかな、と思えなくもない。
何せ、これから、あのアマゾンのキンドルっていうやつと競合しようというわけだから、相当にがんばらないとダメっぽい感じもする感じである。
だいたいKoboを買おうっていう層は、当然キンドルのことも知っているだろうからね。

自分はアマゾンも楽天も、別に大好きっていうほどではないけど、結構利用している。

で、楽天について、「こんな商品出して、キンドルに勝てるんかいな?」と思っているところです。

ミキタニさんは、自分のことをジェフ・ベソスの日本版ぐらいに思っているのかなーと思うのだけど、楽天とアマゾンのイメージって、あくまで個人的なイメージの中では、結構違う。

アマゾンは、スタート当初、やはり書店から出発しているだけあって、洋書→和書→その他の商品、っていう感じで商売が広がってきているイメージ。だから、本を買うときはアマゾンで検索して買うっていう習慣がついてしまっている。(ちなみに書店で買うのも好きだけど)

自分が楽天を使うのは、お中元とかを買うとき、あるいはアマゾンにいい商品がないときに一応検索してみるっていう感じで使っている。
楽天のビジネスモデルっていうのは、一般の小売商店を、楽天という「市場」で出店できるようにする、っていうものだろうだから、書店からひとつの巨大なデパートになったのがアマゾンで、楽天は、やはり商店街的なイメージがあった。

つまり楽天にはドメスティックなイメージ、つまり日本の文化というか、地域的な商品を買うにはいいかな、と思っていたわけなんだけど、ここのところ、ミキタニさんは、割とアマゾンの戦略をおっかけているのかな?っていう感じであって、社内英語化だの、koboリーダーだのっていう話をするようになってるように感じる。

まあ別にいいのだけど、なんか御社はそっちの方向性じゃないんじゃないの?って感じもする。

楽天に関しては、自分にはすごい昭和なイメージがあって、強力なリーダーが「やるぞ!がんばるぞ!」的な感じで、いわゆる昭和なサラリーマンがプログラム書いてるって感じがする。高い技術力も、あるのかなーっていう感じ。実際、koboもカナダかどっかから買収したものでしょ。
自前で作ったモノじゃないよね。

実際、新しいデバイスとか使って新しいビジネスモデルの商売をしようとするなら、まず、その企業文化っていうものから派生するか、あるいは脱皮した方がいいような気もするのだけど。

まあ、楽天ではグーグルのような美しい遊び場のような洒落たオフィスでエンジニアの皆様がクリエイティブな世界に生きておられる、っていう、ああいう「こっちの水は甘いですよ」的な職場を作るところには、たぶん行き着けないと思う。
少なくとも楽天で働くことが、そんなにエンジニア的に楽しそうかっていうと、なんかそういう感じはない。まあ、今自分、プログラムを書く商売はいたしておりませんが。

あくまで、アメリカで流行ったもの、流行りそうなものをいち早く先取りして、気合いと根性で日本のサラリーマンががんばる、的な。それが楽天の僕が持つイメージ。

それも、ひょっとしたら実は戦略的にアリなのかもしれないのだけど、なんか表面上だけ西海岸文化を取り入れて、Tシャツにこだわって仕事しようとしていたら、逆におなかの肉とアロガントさばかりが目立ってしまって、最後、モヒカンになってしまった「ホリエモン」さんに似たようなオーラを感じてしまうのでありました。

中途半端に向こうの文化を取り入れるよりは、日本国内の文化っていうか、地域社会みたいなところには、米国文化にも負けない、とてもいいものって色々あると思うんだけどね。

だって商品が持つオーラっていうか、バックグラウンドにある哲学的なものに関して言えば、 やっぱり本家にはかなわないもの。

本屋が読書リーダーを作るっていうのはわかりやすいけど、先にそういうマーケットがありそうだからって、商店街の売る力で市場を先取りしようっていうのとでは、やっぱ専門家が自ら考えた商品と、あくまでマネっていうかパチモノの品の差があるように思っちゃうんだよね。

2012年7月4日水曜日

キャンディキャンディのオープニングから女性心理を考える


キャンディキャンディのオープニングテーマは、今聴いてみると、なかなか興味深い名曲である。

このアニメの本放送の頃、私も子供であったため、「あー、女の子の観るアニメじゃーん」ということで、恥ずかしさもあり、すぐにチャンネルを変えてしまったものだが、この歌詞をよくよく聴いてみると、なかなか女性心理のありようとしては、かなり深いモノが感じられるような気がするのである。

今思えば、もっとちゃんと観ておけば良かった。

この子は、まず、自分の容姿が社会的に受け入れられていない、という前提でモノを考え、行動しており、そして、そういう前提で、自分は「キャンディ」という自分である、と宣言する。

実際アニメでは、いがらしゆみこ先生描く、かわいい女の子の絵で進んでいくので、特に子供には、その彼女の内面的なコンプレックスは見えにくい。

しかし、そばかすがあっても気にせず、鼻がぺっちゃんこであっても、気に入っていると開き直るその態度は、今、大人になって聴いてみると、かなりの強がりさ、を感じる。
そして、結局、彼女はどう行動するかというと、かけっこやらスキップやら、とにかくアクティブな活動をすることで、自分自身の精神の平衡を維持しているようにも感じる。

で、この曲の特徴で、心に残る部分でもあるところは、途中で転調するところである。

つまり、ひとりぼっちでいると、アクティブな活動もできないという事態に陥る。そうすると、「さみしくなって」しまうというような感じなのである。

そして彼女は、さみしくなってどうするかというと、結局、一人で鬱々とするのではなく、鏡を利用して、自分が、もう一人の自分に対して「笑いなさい」と命令するわけである。
一人で解決できないはずの状態を、さらにもうひとつの自分(スーパーエゴ?)が励まし、アクティブな活動に戻し、そして、転調した鬱展開から、また明るい彼女に戻るというループが存在することが伺えるのである。

ここに女性心理の複雑さが感じられるのである。

スーパーエゴ(超自我)
超自我は、自我とエスをまたいだ構造で、ルール・道徳観・倫理観・良心・禁止・理想を自我に伝える機能を持つ。厳密には意識と無意識の両方に現れていて、意識される時も意識されない時もある。ただ基本的にはあまり意識されていないものなので、一般的には無意識的であるとよく説明される。理想的な親のイメージや倫理的な態度を内在化して形成されるので、それ故に「幼少期における親の置き土産」とよく表現される。精神分析学においてはエディプス・コンプレックスという心理状態を通過して形成されると考えられている。

超自我は自我の防衛を起こす原因とされている。自我が単独で防衛を行ったり抑圧をしたりするのは稀であるとフロイトにおいては考えられている。また超自我はエスの要求を伝える役目も持っており、例えばそれは無意識的な欲求を知らず知らずのうちに超自我の要求を通して発散しているような場合である。他にも超自我は自我理想なども含んでいると考えられ、自我の進むべき方向(理想)を持っていると考えられている。夢を加工し検閲する機能を持っているので、フロイトは時に超自我を、自我を統制する裁判官や検閲官と例えてもいる。
(ウィキペディア)

さて、女性というやつは、自分が美人であると認識したときに、まったく違う展開になるという例を見てみよう。
最初から自分が美人だと思っている、「魔女っこメグちゃん」を紹介しよう。彼女はキャンディとは違うのである。


まずメグちゃんの歌詞は、実に挑発的である。
子供扱いする大人の男性に対して、「子供だなんて思ったら、大間違いよ」という、もう最初から攻撃的なのである。そんでもって、「子供だと思っておられたようですが、女性としての機能はすべて持ち合わせておりますよ」というような歌詞が続き、そんでもって、彼女はどういう行動に出るかというと、涙を浮かべて、男の子をイチコロにするんだ、という歌詞になる。(なんとまあ、チョロいもんだ、という隠れた歌詞が聞こえるような勢いである。)

鏡に向かって笑いなさいというキャンディとは、まったく別次元である。

しかも、アニメの部分でも、もう一人の美人「ノン」と魔法対決で戦っている姿が映し出される。
美人の敵は美人であると、言わんばかりの展開である。

そして、魔女っ子メグちゃん最後のシメは、「あなたのココロに忍び込む」というものである。
ううん、男性向けだったのか。最初から。なんと。

メッセージというやつは、ときに誰に向けて書いているものかは、わかりにくいものだけれど、特に一人称の文章は、よく読んでみると、人間関係の関係性をよく理解できるものである。

かわいい絵にだまされちゃ、ダメなような気がする。

2012年5月17日木曜日

All your base are belong to us


結構、僕はゲーム音楽が好きなんですよ。
中でもシューティングとか、ドライブとか。

特に、シューティングは「禅」な世界に突入できる感じがする。今回は、そんなシューティングゲームを、昔たくさん作っていた(今はもうない)、「東亜プラン」のゼロウィングという作品を紹介したいと思います。

ゲーム自体は、 達人みたいな色使いの横スクロールシューティングですが、実は個人的には、ゲームよりも音楽が好きであります。(何故かって?下手だからですよ!)

もちろん、思い出補正は入っております。

 
New day for me


 
Hit Man

オリジナルのアーケード版の音楽は、また風情が違っていて、聴く人が聴けば、例えはじめて聴いたとしても、ああ、東亜プランの音だなあ、という感じがします。ドラムのパートなんか、非常に電子音電子音してます。

上記の動画はサターン版。(これは、実はやったことない。)

また、その昔、 X68000用に、MDXという形式の音楽データが当時のパソコン通信でやりとりされておりましたが、この音色も、これまたFM音源好きには堪らない出来映えであります。


ところで、このサターン版ゼロウィングという作品では、

All your base are belong to us

というフレーズが、シリアスなシーンと、間違え方のギャップが外人たちにインパクトを与え、このゲーム以上に、英語圏で非常に有名になって、今日、「その言葉は間違っているよ」 という意味で広く使われているようです。

僕も、日本人として、All your ○○ are belong to us を、機会があれば、外人さんに使ってみたいと思います。(^_^)

  
All your base are belong to us (wiki)


参考キーワード: これで勝つる!

2012年5月4日金曜日

CMについて考える



以前から思っていたのだけど、特にテレビCMにおける父親は、なぜかはわからないけれども、いつも誰かにdisられている役が多い。

父親は家族の中で、かつては大黒柱と呼ばれ、いまでももちろん、家庭という社会の最小単位の中心、エンジンとも呼べる存在のはずだ。

しかし、特にテレビCMの中での父親は、なぜかいまいち家庭内で威厳がある立場として扱わない傾向が多いような気がする。上記のCMでも、イケメンな感じの息子が、自分の父親に対して「キモい」と発言する。

自分の父親にキモいと言い放つこの神経は、いったいどこから来るのだろうか?

誰が、こういう「父親が家庭内で弱い」というプロットを考えるのだろうか?

あるいは、広告代理店には、父親が弱い社会を作ろう、という何かの意思があると思うのは、考えすぎなのだろうか・・・。

社会心理学とかの本を読めばわかるように、他人の行動は、人の行動に対して、すごい影響力がある。
テレビCMも、もちろん、その影響力は大きなものだろう。

ぶっちゃけ、自殺のニュースが報じられれば、有意に自殺の件数が増える、というのが、この人間社会なのだから。

そんなわけで、アタマの中身(無意識)も、クリーンに保ちたいものだね。(パソコンもだけど)

・・・で、話は関係ないけど、一太郎は周りの人が使っていないので、ファイルの互換性とかの絡みで、もう10年以上も使ってない。でも、ATOKは毎日使っている。

で、新しいPCに、ATOKを入れてみようかと思ったわけ。

昔は、VJEとか、WXPとか、松茸とか、いろんな日本語入力のためのフロントエンドが存在したけれども、いまの世間の人たちはMS-IME、ワープロなら、マイクロソフトワード一択のようだ。

自分も仕事で慣れたから使ってはいるけれど、未だにワードは、あんまり好きじゃないね。
MacのワープロのPagesに至っては、なんと縦書きもできないんだって。

と思って、今回は、一太郎、買ってみようかな、とサイトを見たら、なんか微妙だったという次第。

2012年4月21日土曜日

東京について考える

東京タワー

自分は東京が好きだ。私事になるけれども、自分は中学生の頃に3年間ほど九州の田舎に住むことになり、しばらくして「ああ。ここには住みたくない。東京に帰りたいなあ」と思っていたものだ。

もちろん、田舎にはいいところもたくさんあったのだけど、何というか、「ピアープレッシャー(同調圧力)」が強すぎたので、住みづらかったのだよね。「みんな、これをやってる。だからお前もするよな?」みたいな。

あるいは、いいやつと友達になり、人間関係が密になるのは良いのだけれど、その人間関係を維持するために、田舎では人々の間には異常なほどに上下関係にこだわるところがある。人よりも上に立てば、その地位を維持するために人を押さえつける必要があるし、人よりも下に立てば、その地位を維持するために人から押さえつけられてしまう。
他人を支配するのも支配されるのも、あんまり好きじゃない自分にとっては住み心地が良くなかった。周りがそうだからしょうがないのだけど、ちょっとヒキコモリがちになりたくなる。

で、高校生になって東京に戻ったとき、まずテレビで天気予報をやっていたのだけど、その時に関東地方に晴れとか雲のマークがついていて「ああ、帰ってきたんだなあ」というほっとした気分になったことを憶えている。

東京では、住んでいる人たちの文化度が、(その九州の田舎に比べれば)圧倒的に高いことや、同級生の女の子たちのファッションが洗練されていて、とても美しく感じたのを憶えている。(だいたい、田舎の最もかわいい子が、東京の中間レベル、という感じ。)

ゲームセンターにいけば、田舎の中学生が「ゼビウスでオレはエリア○○まで行った」と自慢するレベルであったのに、東京ではゲーマーによる「ジェミニ誘導で誘導弾を3つ回す技を見せた後、カンストする」というものを見られるぐらいに文化レベルが違うのである(・・ってわからないか(´∀`))

特徴的な違いは、なんといっても他人からどれだけかまってもらえるかが全然違う、ということだろうと思う。田舎では、少ない人口の中で、人間集団を作り、その中で最も偉くなるという(地位を維持する)人生ゲームであるのに対し、東京だと多くの人口や、そこで発信される才能が既にあふれているので、その中で、いかに自分の好きな人にかまってもらうか(仲間になってもらうか)のゲームとなっていて、なんだか人々の行動基準の発想が逆転しているような感じを受けた。

その才能(あるいは文化と呼ぶべき?)を発揮する人たちが、色々と競争をするものだから、東京という都市がそれを糧に、ますます発展していき、地方にいる若い人たちを、ますます呼び寄せるという仕組みフィードバック現象もあるんじゃないかと思う。(地方では、なかなかその才能を発揮させるところは少ないからね。)

かつて、エリック・レイモンドという人が「伽藍とバザール」という文書をネットで発表して話題になったけれども、その相似形が「田舎と都市」の差となって、特徴的に現れているようにも思えるんだよね。

だけど、自分をそれなりにプロデュースすることを考えないと、逆に東京での生活は、かなりさびしいものになってしまうだろう。
なので、ここで東京での生活に失敗し、田舎に戻る、という人生ルートも考えられるんだけどね。

あちこち日本を旅してみると、日本の地方は、大企業が設備、インフラ、文化を一体的にパッケージ化したものを、コピーして貼り付けした、どこに行っても代わり映えのしない、あるいは独自文化の育ちにくい感じになっている印象を受ける。

クルマ、国道、パチンコ屋、工場、大型ショッピングセンター、ファミレス・・などなど。
そこそこ文化的に暮らせるけれど、独自文化は消えつつある。その地方の独自文化を担う人材を、東京が吸収してしまっているせいかもしれないね。

参考に:

銃・病原菌・鉄
「なぜヨーロッパ人がニューギニア人を征服し、ニューギニア人がヨーロッパ人を征服することにならなかったのか?」という疑問から始まった、人口の稠密化についての考察がある。ピューリッツァー賞受賞。

参考ブログ記事:
池田信夫氏ブログ(西洋と中国の「大分岐」
Wired.jp (日本のゲームセンターを描くドキュメンタリー『100円』)

2012年4月20日金曜日

東京の風景


桜はあっという間に散ってしまったけれど、自分は東京が好きだ。
これ眺めてどこかわかる?渋谷のマルイシティ(書いてある)と、港区の三田国際ビルの近くだね。
後は・・どこかな?

小学生がとってもかわいい。

2012年4月18日水曜日

北朝鮮って本当に日本を攻撃する気、あると思う?

三菱のロケットエンジン
ちょっと、素人考えを整理しようかと思ってね。
聞いた話とネット情報を中心に(なので、真に受けないで下さい。ネタってことで。)

先日、新しい将軍様の下、各国からミサイルと呼ばれているロケットの発射が失敗した北朝鮮。
彼らのミサイルが脅威だという話もあるのだけど、彼ら自身、それを使って、例えば、韓国や日本に戦争を仕掛けるという気は本当にあるのかなーという気がする。
一応、日本も彼らの仮想敵国なのだろうけれども。

聞いた話によると、かの国は鳥取県と同じぐらいのGDPなのだとか。
これだと、ガチで戦う本物の戦争をしかけても、確かにミサイルに核を乗せて相手国の首都を直接攻撃するしか勝つ方法はないと思える。

実際、戦車や戦闘機もロシアや中国製のお下がり的なものを持ってはいるのだけれど、仮に暴発するにしても、それだけの石油の備蓄がないから、実際にそれらを運用して戦争をはじめるのはムリなんだそうだ。
それどころか、中国とかが石油を融通しない限り、普段の経済もそんなにまわらない感じじゃないかと思う。

で、結局、北朝鮮は、海外から資源を買うために外貨を稼ぐ必要がある。

色々ニュースを見てみると、結局、今の北朝鮮のミサイル開発の目的のひとつは、そのミサイル自体を、他の第三国に売って外貨を稼ぐ材料にするとからしい。核はそのセットというか。

核がどうしてミサイルに必要なんですか?それはミサイルが相手の首都を壊滅させるのに、50kmほど目標を外れる可能性があります。じゃあ、半径50kmは廃墟にしちゃえばいいじゃん!まあ、狂ってるね。

でも結局、彼らの真の目的は、今の体制を維持したまま、喰っていきたいだけ。それだけなんじゃないかと。
ただ、あんまり本当に食い詰めて行き詰まると、人間が少数で起こせるテロみたいな感じで暴発する可能性は残されてはいると思うけど。(戦争中の国民の気合いっていうのは、甘くみるべきではないし、大韓航空機爆破とか、ラングーン爆破事件、とかはやってきているからね。)

まあ、それにしても核とミサイルがあれば、とりあえず自分の国を他国の攻撃から守れるだろう。
うちの国を攻撃したら、そっちも攻撃するからね!という脅しのための道具。
で、インドと仲が悪いパキスタンとか、アメリカと仲の悪いイランとかが、北朝鮮のお客さんらしいよ。

だから今回、打ち上げに失敗しちゃったのは、彼らにとっては、そんなお客さんたちを失望させる結果になっただろうね。

あと、この地域に、ああいう無法者国家があるっていうのは、日本というか、この地域に軍事的な仕事が常に発生するから、その関係者にとっては、実はプラス面がないとは言えない。

もし北朝鮮がなかったら、日本や太平洋に展開している軍隊が、単にアメリカにとって中国を封じ込めるための存在となってしまうだろう。それをやたらに大規模に展開してる、っていう意味にしかならないということになるわけで、少なくとも、中国からは「縮小してよ」「やだ」「なんで縮小しないんだよ!」みたいな話になっていくんじゃないかな。

ガチで米中がぶつからないための装置?

そういうわけで、無法者国家を中心に、東アジアのバランスは、今日も微妙に保たれていくのでした。
(まじ?)

他にもヨタ話はある。

実は日本の宇宙開発技術っていうやつも、平和利用に限定とか言ってるけど、外国から見れば立派なミサイルらしい。ただ、よくH2ロケットが紹介されるけど、あれは液体水素ロケットというやつであって、長期的にいつでも発射に備えるというものではないそうだ。そうではなく、いつでも攻撃命令に応じられるのが固体ロケットだそうなのだけど、実は日本はこっちも立派なものを持っていたりするんだよね。

他にも、あの小惑星イトカワからサンプルリターンで戻ってきた「はやぶさ」の宇宙開発技術などをみると、それはそれはものすごい技術であって、宇宙の彼方から、オーストラリアのウーメラ砂漠にピンポイントで衛星を落下させるという離れ業をやってのけたし、あれに核技術を組み合わせれば、例えアメリカであろうと滅ぼすことは(その気になれば、技術的に)たぶん可能ではある。プルトニウム、日本にはいっぱいあります。きっと。

実際、イトカワからサンプルリターンで戻ってきた「はやぶさ」を、オーストラリアでアメリカの航空機がその様子を追っかけている様子がニュースになっていたりしたのも記憶にあたらしい。

で、おもしろいのは、H2ロケットって日立だから、頭文字を取ってHっていうのが付いているそうなのだけど、Nとかって名前が付いているのがあって、これは日産を意味するらしい。この事業、今の日産とどれぐらい関連性があるのかは知らないけど、実は核技術大好きなフランス人が、ルノー傘下として日産を買収したのは、ここの部分との関係性を作りたかったから?なんて妄想もできるわけで。

いとおかし。


北朝鮮っていうところしか、話はかぶってないですが、おもしろいです。わんわん!(笑)

2012年4月14日土曜日

オワコン化するSNS、mixiをダシに商売について考える

オワコン「終わったコンテンツ」という言葉があるけれども、昨今は元会員制SNS(てかmixi)の凋落ぶりがひどい。
自分もmixiを見に行くのは、自分が書いた過去の日記を読みに行くときだけ。

なぜここまで使わなくなってしまったのだろうか?と、自分なりに考えてみたけれども、大きいのは「みんながいなくなったから」というのがひとつ。
でも、これは結果が原因に作用しているので、直接的な原因とは考えにくい。

自分的にはふたつ、ひとつは日記検索機能がなくなったこと。何かを書こうと思ったときに、参考になる文章を押さえてからがいいというのは当然。前に言ったことと今回言うことに整合性がないのはイヤな感じなので。
足跡機能がなくなったのも、ちょっとマイナス。自分の狙った相手に読んでもらえているのかどうかわからなければ、これまたモチベーションに影響する。

このふたつは、おそらく招待制ではじめながら、だれでも入ってOKに途中から変えちゃったことによるだろう。

その招待制のメリットの上で栄えていたものを、安易にメンバー数を増やそうとしたのかどうかは知らないけれども、誰でも入れるものにしてしまったので、もう普通にブログを匿名で書くのと変わらなくなってしまったし、あろうことが本人バレすると自分の友人関係まで誰だかわからない人に芋づる式にばれるとなると、もう行く気が失せるのも当然である。

mixiに限らないけど、そろそろネット界のサービス提供者は、ネットを利用していても、誰も何のメリットもないのに個人情報をネットに晒したいバカはいない、ということを理解するべきじゃないだろうか?

おそらく、この流れはお金を出してる偉い人が色々言ってることを、ハイハイと聞いた結果なのだろう。

誰が何に興味があるか、それを掴めば商売は簡単だからね。

しかし、欲しいものが「あなたこれが欲しいでしょう」と言って、どんどん知らない奴からアプローチがかけられるというのは、はっきり言って、気持ち悪いから相手にしたくない。

自分がそうされればいやなことを、人にするなっていうルールを、時に商売人っていうのは忘れる傾向があるんじゃないかと思う。

でも、本当に愛される仕事というのは、そこのところを、きちんと押さえているってことじゃないだろうか?

2012年4月13日金曜日

今日見た動画


東電学園っていうのがあるっていうのは、知らなかったなあ。



津波がきたら、非常用ディーゼル発電電源装置が水没して、こうなることは、前からわかっていて、それを警告していた人が内部にいたんだね。

そもそも論で、水没する蓋然性が高い場所に大事な装置(発電機)を設置した東電。素人でもわかるほどの危険をなぜ冒したのか、未だよく理解できない。

僕は原子力は否定派じゃないけど、運用する偉い人たちの価値観には、かなり問題ありだね。

コスト削減のため?だけど、赤字にならないように電気料金を値上げできる特殊な会社のはずなんだけど…。
しかも、誰も責任取ってないし。本当のところ、誰が責任者かもわからない。

ほんでもって再稼働とか言ってた今日、13日の金曜日なのでした。

危ないところに、それなりのコストを当たり前にかける経営ができる幹部がいない限り、原子力は触らない方がいい。あまりに危なすぎるから。

ちなみに8:30ぐらいから、ミュージシャンの人がギターで弾いてたの、ビートルズのBlackBirdだよね。
実に渋い選曲。

2012年4月8日日曜日

【メモ】MacBook Air 設定中


my macbook air, win7 by bootcamp, desktop pic

昨日から、Bootcampにて、MacBookAirを設定中。現在のデスクトップを晒してみる。

とりえず入れたもの。
Microsoft Security Essentials(ウィルス対策)、 Firefox(ブラウザ)、Windows XP mode(及び、Windows Virtual PC)(仮想化ソフト)、秀丸(エディタ)、Everything(検索ソフト)、Dropbox(オンラインストレージソフト)、Janetter(ツイッタークライアント)。

壁紙は、デスクトップPCである、iMac20インチから、Snow Leopard のをもらってきた。

これから入れるもの。
TrueCrypt(暗号化ソフト)
桐9 - 2012 (データベースソフト)
ゼロックスのDocuWorks(文書管理ソフト) 

入れるかどうか考え中。
ScanSnap関係のドライバなど。(文書スキャナ)
ATOK(日本語入力プログラム。購入してインストールするかどうかは未定。)
オフィスソフト(2010にするか、2003を流用するかは考え中)

・・・その他、コマンドラインツール類、開発キット。(ただ、でかいものは入れないつもり。)

設定的に考えるもの。

自宅とのVPN(PPTP?)

※昨日、外に出たついでに、Galaxy S2 LTE(スマホ)でデザリングしてみた。
特に問題なく接続できた。ただLTEの電波がいつも自分の都合よくつかまるとは限らないのだった。

SkypeやiTunesは、Mac側にあるので、どうするかは未定。


全体的な感想。

7は、なかなかいいと思った。細かいところまできっちり作ってあって、Vista開発時には、こういうものを作りたかったんだろうなあ、という気持ちがわかる感じ。
もっとも、SSDだからディスクアクセスが速くて、(全体的なパフォーマンスが上がり)、あんまりストレスがないからかもしれない。

あとやっぱり、OSは素の状態からインストールするのが、いいと思うのだった。

追記:

MacBook Air 13のサブスコア(BootCamp)
こんな感じ。

本格的に桜が咲き始めた今日。まだ九分咲きの桜もあったけれど、特に午前中は青空にもめぐまれた。

一気に平和な雰囲気に。

近所の桜 
近所の桜。

桜とおまわりさん
某所に移動。

f460 057
さらに某所に移動。

うーん、どこの桜もきれいだ。

お花見船

目黒川は、散策するにはいいですね。

で、歩いていたら、船でお花見する人を、結構みかけました。

花でいっぱいの風景を、携帯で写真撮りまくる高齢者がたくさんおられました。

今の日本の風景です。

2012年4月5日木曜日

MacBook Air

2月に手に入れた、世間的にも評価の高い、Airの13インチ2011。ジョブズ存命中にアップルが出した最後のPCじゃないかな?
Lionも世間で言われているほどには、使いにくくないと思います。
でも、SnowLeopard時代にはできた、NTFSパーティションへの書き込みができないとか(ここは、がんばって設定します!)、Windowsネットワークの仕様が変わってるそうで、そこは、うーんって感じです。他にも、うーんなところは色々あるようです。(多分、ライセンス的な部分とかもあるんでしょうけど、AppleってOSの互換性的には、ちょっと冒険しすぎの感じもしますよね。)
そんなわけで、ちょっとデスクトップででもLionを使いたい!という感じはしないですね。操作性的にはノート用としてはいいかもしれないですけど。

で、今後の予定としては、そろそろ我が家初のWindows7を、BootCampにて入れる予定。(仮想化は、あとでまたゆっくりやる予定。)

本当はXPを入れたいのだけど、周りで7が増殖しはじめたこともあり、7を導入します。
一応、 7になるメリットと思うのは、フォルダを作るショートカットキーがあるのと、コマンドライン使いなので、フォルダ名がシンプル(Documents and Settings → Users)なのと、あとXPモードがあるところ?です。その他、8も出るっていうのに、XPと比しての新機能を試してみたい感じです。まあ、今更?って感じですが、もうさすがにもう枯れてきたでしょうしね。まあ、普段使いのOSなんて、これぐらいのペースでいいんじゃないかと。

Airのキーボードは英語版で、SSD・256GBモデルにしました。手のでかい外人さんでも打てるようにするためか、結構広めに感覚を取ってあります。ストロークは浅くて堅いです。

 ・・ではここで、インテルの洗脳ソングをどうぞ。


このトラちゃんは、ちょっと動きが謎な感じですが・・

・・・Windowsだけしか使わない人は、Windowsのウルトラブックを選ぶのもいい選択ではないかと思います。特に最近出た、デルのウルトラブック、まんまマックブックエアーじゃん!っていう感じの筐体ですし、価格性能比で、うーん、これは安いなあ・・・とも思いますので。

2012年3月30日金曜日

コミットメントと一貫性と、そこからの脱却について


 自分の大好きな本のひとつに、ロバート・チャルディーニという人が書いた「影響力の武器」というものがある。
 この本を著すにいたっては、著者自身がいつもカモにされていたことがきっかけであったようだ。この本の中では、社会に色々とはびこる心理的なプレッシャーには、どういったものがあるのかというものが、カテゴリ分けされ、分析されている。
  さて、そのカテゴリ分けの中には「返報性」とか、「社会的証明」とかがあるのだけれど、ここでは「コミットメントと一貫性」を紹介したいと思う。

 コミットメントとは、約束、誓約、関わりにおける明確な立ち位置の表明、みたいな感じだろうか。

 この本は、色々な本の中で紹介されていて、「ああ、また紹介されている」というぐらいに、毎度毎度出てくるので、名著であるようだ。

 その中のひとつ、「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」(橘玲・著)によれば、以下のようにある。

 社会の中で生きていくためには、約束を守ったり、言動に筋が通っているのはとても重要だ。会うたびにいうことがちがうようでは、誰も信用してくれない。「前の話とちがうじゃないですか」といわれると、ぼくたちはとても動揺する。一貫性がない→信用できない→社会的に価値がない、という無意識の連鎖がはたらくからだ。
 だからぼくたちは過去の判断をなかなか覆せないし、その判断と現状が矛盾することに耐えられない。要するに、失敗を認めることができない。

 ひとがいかに容易に一貫性の罠に陥るかは、オウム真理教の信者にその典型を見ることができる。周囲の反対を押し切り、すべてを捨てて宗教の世界に身を投じた以上、彼らは無意識のうちにその決定を正当化する強い圧力を受けている。
 (中略)

 マスメディアはこれを「オウムの洗脳」と報じたが、彼らは自分で自分を洗脳している。この状態が恐ろしいのは、けっして洗脳を解くことができないからだ。他人から注入された信念を否定することができるかもしれないが、自分で自分を否定するのは不可能だ。
 いったんコミットメントしてしまうと、ひとはそこから逃れられなくなる。これはカルト教団だけの話ではない。恋愛でも就職でもマイホームの購入でも、ぼくたちはきわめて簡単に自己洗脳状態に陥り、過去の選択を正当化してしまうのだ。

 自分自身が何らかの選択をして、その行動を続けてきたとして、もしある時、そのことが間違っていたということに気がつくのは、どれほどの苦しみだろうかと思うことがある。

 かくいう自分も、意地を張って損をしていることがわかっていながら、適当に自分をだます理由を紡ぎ出して自分自身を納得させることが多くあったような気がする。

 だけれども、仮に「それは正しいことじゃないから、あらためなきゃ」と思ったとしても、今までの選択が正しくなかったいうことを認めたくないし、もし認めたとすれば、じゃあ、それまでの自分の行動は何だったんだ!?ということになりかねない。
 しかし、自分の行動というやつは、割と他人にも影響を及ぼすことが多い。さらに、自分の間違った行動の結果、周りに迷惑をかけたり、損害を与えたりすることもあるし、挙げ句の果てに、間違った行動を他人が真似することもあったりする。

 そうであってもなお、自ら選んだ「間違った道」へのコミットメントからは、そう簡単には逃れられない。なぜならば、この状態は、そのコミットメントを否定することが、そのコミットメントに反する、つまり、缶の中に缶切りが入っているとか、金庫の中に、その金庫の鍵が入っているようなものだからだ。

そこで思い出すのは、別の缶切りを使うとか、スペアキーを使うという方法である。

心の世界の問題に詳しい仏典には、「鬼子母神」のエピソードがある。

鬼子母神は、自らの子供がいながら、他人の子供を食べてしまう鬼だった。それを見かねたお釈迦様は、この鬼子母神の子供を隠し、子供を奪われる苦しみを教えることによって、彼女は改心し、その後、子供を守る女神になったのだった。

 子供を食べる鬼を改心させ、逆に子供を守る神に変えてしまうお釈迦様というのは、やはりすごいなと思ったものだけれども、今、このコミットメントと一貫性の話を踏まえ、この話をもう一度考えてみると、(他者の子供を食べるというのは、「悪行」を示す、ひとつのメタファーであって、)鬼子母神自体に、他人の子供を食べ始める何かのきっかけというものがあって、このコミットメントと一貫性の罠に落ちている自覚が、多少なりともあったんじゃないかと思える。

 そこからの脱却、神になるきっかけというのは、実はお釈迦様でなくても、別のものでも良かったというか。
 だって、その後、神になったのだから、元々素質はあったんじゃないかと思うのだよね。



()内を追記しました。

2012年3月29日木曜日

合理的な豚さんたち

豚出沒注意
Via Flickr:豚出沒注意 by infilmity


 ゲーム理論の本を読むと、「合理的な豚」の話が出てくる。

「檻の中に大きな豚と小さな豚がいる。エサ箱は2頭のすぐ近くにあるが、蓋がしまっている。この蓋を開けるには、遠くにあるスイッチを押さなければならない・・・。大きい豚は、小さい豚に比べて食べるのも早く走るのも速い。」

結局のところ、力の強い大きな豚がエサのスイッチを押して、小さな豚がそのエサを食べる。

そして大きな豚が押しのけ、残りのエサを食べる、ということに、実際なるそうだ。

ここの事象だけ見ると、まるで小さい豚に操られているかのように、強い立場であるはずの大きい豚が檻の中で走り回る状況になる。

これは小さい豚がスイッチを押してエサを出して、大きな豚にエサを食べられて横取りされてもどうしようもないから、何もしないで大きな豚がスイッチを押してくれるのをエサが出るところで待っているのが、小さい豚にとっての「最適反応戦略」だから、に他ならない。

翻って、いろんな職場の話。組織を動かそうと思えば、すべての案件について皆が協力して仕事を進めていくのが良い、それは当たり前のことだけれども、実は仕事場の皆は「最小の苦労で最大の給与(等)をもらう」ということを狙っている。

ここで気がつくのは、職場のトップをはじめとする人たちと、単にサラリーマンをしてる社員が二種類いたとして、単純に個人の仕事における能力の差を単純に比較してみることの意味、そして、その動きの観察である。

実際に会社を経営している人間と、単にそこで雇われているサラリーマンとを比較してみれば、仕事に対する情熱、あるいは単純にその能力、等々を比較しても、おそらく会社を経営している側の人間の方が能力は高いだろうと思われる。

だからこそ、経営層として抜擢されるということもあるわけだが、この二種類の人間、つまり経営する人間と、命令を受けて経営される人間(集団)は、そのまま「合理的な豚」のような形の関係性にあると言えるのではないだろうか?と思える。

資金繰りに奔走するなどのツライ目に遭う会社の偉い人たちと、一方で言われたことを、なんとかこなすレベルで毎日を送る下っ端サラリーマン。偉い人の地位を占めるの人間は、時にパワハラまがいのことをやって、何とか日々の経営を維持している。

一方、雇われた側は、好きでもない仕事を権力的に押しつけられて毎日にうんざりさを感じながらも、自分で経営をする能力もなく、仕方なく組織の一員として日々の生活を維持する。

どちらも楽じゃない仕事はイヤだと思いつつも、この大小の豚が入った檻の中のフタとエサの関係性を巡って、似たようなパターンの動きを全力で行いながら、毎回、結果は似たようなパターンとなり、また次の日も似たようなパターンの日常が始まる。

大きな豚は、小さな豚のために懸命に走り回り、小さな豚は、自分の力のなさ故に横暴な大きな豚に(精神的にも)蹴散らされるという、その毎日をね。



※今日はなんかシニカルに、まとめてみました(´∀`)