2010年9月18日土曜日

「人生の最適化」という新しい人生軸

パソコンをいじっていて、ふと気がついたことがあった。
それは「適切設定」というものの持つパワーである。

二台のパソコンがあったとしよう。それらが実はハードウェア構成がまったく同じであっても、ソフトウェアであるところのOSをきちんと設定するのとしないのとでは、そのパフォーマンス(能力)には雲泥の差が出てくる。
その違いはパフォーマンスだけではない。全体的な方向性というか、何をするために何をしているのか、という部分において、適切に設定されているということは、その目標に向かって格段の速さで到達することができるのだ。
では、適切な設定とは何か。
それは「リソース(資源)の集中」が自動的に行われるよう、仕掛けがうまく成されている、ということに他ならない。(※特にプログラムなどは、作者の能力によって、そのパフォーマンスにものすごい差が現れるよい例である。)

例えば遅いパソコンを見てみると、その動作不良の大きなポイントのひとつは「無用なソフトウェアが動いていること」であり、何かの処理をする際に、同時にその無用なソフトウェアを動作させるためにCPUパワーを喰っている。そして、肝心の仕事、あるいはやりたいことの動作を遅くさせてしまう、ということである。

もうひとつは、「害のある設定、あるいは害そのもののソフトウェアが動作していること」である。害のあるソフトウェアというと、コンピュータウィルスなどは言うまでもないが、その他にも、広告を表示させるためのプログラムや、過去に使用したキャッシュなどがいっぱい溜まっているためにハードディスクを圧迫していることもある。これも無用なデータがリソースを圧迫している、ということになる。

だから適切な設定というものを別の言い方にすれば、「行われる作業が少ない負荷で済むよう最適化がなされ、それを稼働させるために充分なリソースがある」ということになるのかもしれない。


そして、これは普遍的な人生そのものに適用できる、ということが、新しい人生軸として使えるのではないか、ということなのである。

そこで、まず設定の目標になるのが、自分の身体と仕事(とその人間関係)の最適化ある。

まず身体について考えてみよう。これも、ひとつのシステムだと考える。
そうすると、まず、ハードウェアは、口に入れた食べ物を、消化し、血や肉とするか、あるいは運動のためのエネルギーとし、最後は排泄するという、ひとつのプロセスを持っている。

しかし、考えてみれば、誰しも口に入れるものに対して、我々はあまりにも無頓着だ。たまにテレビで「何々が身体にいい」というと、わーっとそれを買って食べて気分を盛り上げたりするが、毎日タバコを吸ってやめられない人も多いし、あまりにも大食いにものを食べる。そして、栄養のバランスなど考えず、人類の長い歴史によって、飢えることを前提にした設計になっている「食欲を醸し出す脳内の装置」によって、特に脂肪分と塩分の多いものを、あまりにも簡単に口にし過ぎる。
糖分もそうだ。甘いものが大好きなので、簡単に甘いものを口にし過ぎる。人工甘味料なんてなんだかわからないものでも簡単に口に入れる。

そして、高脂血症になって、高血圧になって、あるいはガンになって苦しむ。ひょっとしたら、鬱病になったり、どっかが痛いとか肩が凝るとかそういうのものも、そもそも口に入れるものが間違っているとか、生活習慣が完全におかしい可能性も高いのではないかと思える。

つまり昔の船乗りが果物を食べることがなかったせいで壊血病になったり、江戸時代に白米ばかりを食べるようになって脚気になったのと同じようなことが実は起きているのかもしれない。(前者はビタミンC、後者はビタミンBの欠乏症だ)
今よく思うのは、女子で鉄分不足の人は絶対に多いだろうということだけれど。

よく考えてみれば、街を歩いていて、これだけ腹の出た人ばっかりというのは、やっぱり異常だ。タバコを吸いながら歩いている人も多い。
自分が思うに、この「身体」というものは、ある程度自動的に病気が治るような自己回復システムを持っているのと、元々が人類が何百万年も飢えた歴史をふまえた身体設計になっているため、よっぽど理性というやつで行動や口に入れるものをコントロールしようとしない限り、身体設定の最適化ができない、という類のモノなのではないかと推察できる。

また難しいのは、例えば体調が悪くなったとして、その理由が理解しにくいことだ。その口に入れたものが悪いのか(栄養が足りないのか、過剰摂取なのか)、それとも運動しないのが悪いのか、病原菌やウィルスによる病気のためなのか、あるいは加齢による老化のためなのか判然としない。

それでも、多くの本を読み、身体の適切設定をする、ということを思うだけでもずいぶんと違うはずだ。幸い食べ物は豊富にあるし、サプリメントもあるし、運動するためのツールもあるし、体重計や体脂肪計もある。あとは、身体からのシグナルに注意深く意識を向けることで、どういう原因で何がどうなっているのか、何かが不足するとどういうシグナルがでるのか、ということをよく記憶していくのもいいと思う。

まずは身体から、活動というか人生の中心におかれるので、少なくともPC並には適切な設定ができるよう、がんばっていきたい。
というか、まだ我流なのであまり紹介はできないが、最近はとても体調はいい。早寝早起き、食事の大豆中心化、減塩、減脂肪、減酒、水溶性ビタミンのサプリメントでの補給、全身運動の生活への導入、それぐらいだけれども。

何せ、この身体が壊れたら人生が終わりなので。
長くなったので仕事の人間関係の適切設定については、また書きたい。

2010年9月12日日曜日

自転車に乗って街を見ながら考えた

もう日本は成熟したとか、雇用がないとか、やっぱりものづくりだよなぁ、とか言ってるけれど、実際に街をチャリに乗って走ってみると、特に東京の街だからかもしれないけれど、いつもクルマが渋滞してるし、バイクも自転車もぶつかりそうになるし、路上駐車してるクルマがいてそれを避けようとして、右にはみ出した車両にまた後続車がまたぶつかりそうになっている。これどうにかならんのだろうか。

交通事故で死ぬのは年間一万人いるそうだけれども、毎年それぐらい死ぬのが当たり前ということで、皆、何とも思わないものらしい。こんにゃくゼリーをのどに詰まらせて一人死んでも大騒ぎするくせに、自殺者が3万人いても、なんとなくそういうものだよね、というのがこの社会なのである。

それはさておき、この毎日交通にかかる経費、事故の原因は、かなりの部分で道路設計にかなり問題があるからじゃないだろうかと思う。

日本の道は個別に見ればアスファルトがきれいにならしてあるけれども、たまにお花が飾ってある交差点では、繰り返し事故が起こる。小さい子供は最初からDNAにプログラムされたかのように、「わーい」と走って飛び出す。んでまた事故ると。

毎年毎年同じところで同じように事故が起きて人が死んでいるのに、交通ルールを守りましょうとか、そういうことばっかり言っている。もういい加減、精神論は太平洋戦争の敗戦で終わりにして下さいという感じなのだが。さすが役所のいうことは違う。

すべての人間が交通ルールを遵守するなんていうことはできないし、1t以上もある鉄の固まりが時速何十キロで走っているのが何万台もあるようなところでは、遵守しようったって確率的に不注意もあるし、時には眠いときだってあるわけだから、確率的に何かと何かがぶつかるのはもう避けられないと考えるのが自然じゃないだろうか?

で、特に注意力が必要になるような交差点など、そもそも子供が遊ぶところとダンプカーが走るような道路がごっちゃになった設計になった街では、事故が起こるのは必然なんじゃないかとも思う。

もし日本に仕事がなくて雇用が作れないというのであれば、この人間とクルマがごちゃごちゃに密集するこの街自体をもっとスッキリさせたらどんなに良いかと思う。もう日本は発展しようがないとか言ってるけれども、ここら辺の最適化をすれば、まだまだ相当にのびしろはあるのではないかと思う。

もし仮に交通事故をすべてなくすことができれば、まず年間1万人の人が死ななくて良いわけである。実際にはケガなどの後遺症で苦しんでいる人たちはもっといるだろうから、それだけで価値があるし、渋滞がなくなれば無駄なエネルギー利用も時間のロスもない。警察の交通取り締まりに関する経費も削減できて税金を安くできるかもしれない。

しかし、道路は色々とまっすぐにしようと思っても、自分の住んでいる土地を削られたりするのがイヤという人たちがいっぱいいて、その地型が変えられないから道も曲がりくねるのであるので、悪いけどその人たちにはちょっとどいてもらって、まず「子供と走るクルマの分離」を徹底させるというところからやってみてはどうだろうかと思っている。

それにはまず、地型の悪い土地、まっすぐな道路を阻む形の土地には高い税金をかけ、逆に高層化や地下化を達成した不動産には控除をするという方法が考えられる。

あと、首都高とかの設計した人間は、それに関わった人間の名前をどこかにわかるように表示しておいてもらいたいね。自分の名前がそこに載るとなれば、事故の起きにくい設計にしようというインセンティブも働くだろうし。

あと、事故の原因となる自動車そのものを減らす。

あるいは特に高級車やスポーツカーには高い税金をかける。もともと「オレはカネ持ってるんだぜ」「速く走れるんだぜ」という社会に対するシグナルのために所有しているのだからカネを余計に払うのは同意してもらえるだろう。

なので、クルマを所有するのは本来的に必要とする人、例えば子供とか高齢者の送り迎えが必要な家族だけでいいんじゃないだろうか。さらに、1台のクルマに1人しか乗らないというのもやめてもらう。公共スペースの無駄だから。そういうやつは首都高でもカネを倍払ってもらいたい。4人乗れるなら4人乗ってもらいたい。

本当だったら無駄にクルマを所有させようとするエコカー減税とかもやめて、カーシェアリングやレンタカー、バスや電車を使った人に補助金を出すのが良いだろう。

さらに歩数計を渡して、ある一定の歩数を歩いた人には、健康保険料の支払いを減額するとかもいいと思う。

とにかく、今の社会に必要なのは交通に限らず「すっきり感」ではないかと感じる。

ごちゃごちゃして、きったなくて、バカっぽくて、下品で、そのくせ自分勝手で、勝手に鬱になってるという感じがする。ま、自分もそうなんだけどね。

2010年9月5日日曜日

爺達と飲み会

金曜日、翁達に「飲み会をするから来なさい」呼ばれ、いくらか飲んだ。
まあ、話の内容としては:

① 親がかわいそうだから結婚をしなさい。
② 昔話を聞きなさい。特に昔聞いたことのあるヤクザ絡みの話を教えてあげよう。
③ 孫がとってもかわくて優秀だから自慢話を聞きなさい。

の3三本立てだった。①はとりあえずスルーであるが、③は酔っぱらって聞こえないふり、やはりスルーであります。

使える話は②であります。
ヤクザというのが、ちょっと社会で成功して銀座で飲むようになると、「あちらのお客さんからです」ということで、高い酒を送ってくるらしい。
で、なんか関係がはじまり、で、最初は真面目そうな会社の人かと思ったら、よよよ、よよよよ、と関係を構築され、最後は「こんなヤクザと付き合ってることがバレてもいいの?」的なところで、やっぱりカネを絡め取られるというものであるらしい。たいてい、芸能人はコレでやられるらしい。

ごっつあん体質は罠に落ちやすい。誰も下心がなければおごってなんてくれないて。

これをうまく回避するには、とりあえず「お酒を送ってきたら、バーテンさんに値段を聞いて、同レベル価格の酒を送り返す」のがいいらしい。
これをすると「わかっているな」ということで諦めるらしい。

後は、ゴルフ。最初はいい会社の人っぽくしているけれども、賭ゴルフに誘ってくるそうな。で、最初は簡単にコロっとやられてくれて、気持ちを高めてくれるのだけれども、実はセミプロあるいは大学ゴルフ部レベルの腕前の持ち主ばかりで、レートをがんがん上げてきたところで、ある日コテンコテンにやっつけてくれるというもの。
で、その高いレートでカネを取られたからと言っても、警察に訴えることもできず、払わないとヤクザ的なのが出てきて、金払えということになる。

賭ゴルフなどはしない。公序良俗に反することはしない、これが一番強いのであります。