2010年7月31日土曜日

社会を生き抜くためにその本質を見抜け

このブログのアクセス解析を見ていると「自殺しないで良い方法」っていうのが、何故か知らないけれどもすごく人気があるようだ。なので、さらにもうひとつの考え方を紹介したいと思う。

① 社会における各メンバーの行動パターンが各々の幸福水準を左右する

恐竜が滅んだのは、最近では隕石の落下による地球環境の激変によるもの、という説がほぼ確定されてきているようだけれども、それ以外にも実に興味深い説を聞いたことがある。恐竜同士があまりにも長い平和に漬かりすぎたために「いい人(恐竜)ばかりになって、ある日出てきた悪(い恐竜)人に社会的に対応できなくなって崩壊した」というものだ。
どういうことなのだろうか。その前に前提知識として簡単にゲームの理論についてご説明したい。

ゲーム理論の話をするとき、必ず登場するのが、「囚人のジレンマゲーム」である。
ネット上にこの手の情報はあふれているので、そちらを読んでもらいたいが、一応簡単に説明する。

二人の犯罪者が共犯で犯罪を犯し、取り調べを受けている。
両者は別々の部屋で取り調べをしているので、情報交換はできない。警察において、二人がそれぞれ選択できる行動は「自白」と「黙秘」である。

それぞれ、相手の行動によって、以下のようなパターンになると仮定する。青の犯罪者と赤の犯罪者について考えてみよう。
数字は懲役年数の数だとする。この表によれば、お互いが黙秘すれば5年、お互いが自白すれば15年の懲役年数だとする。
もし、自分が囚人だとして、相手に黙秘してもらってこちらだけが自白すれば無罪で済むとする。
そうするとたいていの場合、犯罪者同士なので互いに裏切り合うため、各々15年の懲役をお互いがくらってしまう、ということになる。


しかしこの表には別のパターンもある。お互いが黙秘することを信じて一方が黙秘、もう一方が自白した場合、一方は黙秘したのに懲役に行き、自白した方は相手を裏切ったにもかかわらず、無罪放免ということになる。この場合、懲役に行った方は裏切った相手に「うらみ」を持つことになるだろう。

そうすると、相手に対して裏切り行為を行おうとすれば、相手のうらみを買うことになる。なので、これが一回こっきりのゲームであれば、おそらくお互いがお互いを裏切るような結末になると思われるが、もし「連続的な」囚人のジレンマゲームとなっていた場合、もし相手を裏切ったら、出所後、相手からの仕返しを受けることになるだろう。

このようなマトリックスは社会のどこにでも存在する。仕事においても、黙秘と自白というものを裏切りと協調という言葉に置き換えればいい。会社においても、学校においても、他人との関わりの上で生きていかなければならないからだ。

ここでいくらか時間が経つと、このゲームのプレイヤーは、少しのマイナス部分があっても協調し続け、相手との少ない損を積み重ねていく結果、お互いが大きな損を積み重ねていくことを回避することができるということに気づくようになる。話し合いや信頼関係というものが生まれてくるわけだ。

一回こっきりの関係では、相手を裏切った方が得する部分が多いが、あるいは得が少なくても、連続的な関係を長期に続けていけば、協調関係を維持した方がトータルで見ると大きな得になるんだよー、というのがこの理論のすごいところなのである。

こういうゲームが人生の裏側、動物の世界、昆虫の世界などにも見られ、多くの人々が研究しているようだ。

まずこれさえ押さえておけば、人間関係を構築するのは簡単だ。後は、相手の行動パターンがどういうものであるか、を研究すれば良いことになるからだ。もし、自分を取り巻くメンバーが、行動パターンにおいて、「協調する」ということで長期的関係を築いていこうという気持ちがあるのかどうか、というところを見なければならないだろう。もし、短期的な関係のみに終始するパターンにおいては、相手を裏切ったまま逃げ切るのが上策パターンということもあるので、それも一応、加味しておくべきかもしれない。

さて、恐竜の話に戻るけれども、その絶滅した恐竜というのが言ってみれば「うらみって何だっけ?」という仕返しという概念を失った生き物になったせいで絶滅したんじゃないか、という話なのである。それはあまりにも恐竜の時代が長く、お互いが協調するのが当たり前の時代があまりに長く続いたせいで、この「うらみ」や「相手が何をしたのが憶えるという習性を失った」ので、ある日、とてつもなく悪い恐竜が現れても、それに対してブレーキが効かなくなってしまい、うらみを持たない生き物は全滅し、またその後、その生き物をカモにしていた悪い恐竜もその生活基盤を維持できずに滅んだ、という説である。
例え、恐竜が滅んだのが隕石衝突のためであったとしても、この説は何だか日本の社会とそこにおける暴力団の関係を思い出させ、非常に興味深い。

② 社会は良い局面と悪い局面のサイクルがある?

自分が思うのは、社会にいい人ばかりが充満すると、あまり相手に対して恨みを持ったり、仕返しをしたり、そういったことが「めんどうな」ことになり得ると考えられるが、一方でそういうことをするのが平気という人間もいる。こういう社会では、実に利己的に相手に対して悪いことをしても、相手からのしっぺ返しがきづらくなるので、悪いことするのがヒャッハー状態になることになる。
言い換えると、他人をこき使ったり、暴力や圧力や脅しみたい手段そのものがそのコストに比して、大きな利益を獲得する材料になってくると思われるのである、しかも、一方でいい人がその悪い相手に対して反撃に出るのではなく、自ら力尽きて自殺、みたいなパターンに陥りがちになるのである。

なので、もし何となく心を病んでいるのであれば、まず、上記をふまえ、「常にいい人でいることをやめる」ことがひとつと、もうひとつは表現の形は色々にしろ、人(生き物)というのは、基本的に利己的な存在なのだ、ということを理解すればいいと思う。

最初から頼まれもしないのに信じ切ったりするから、裏切られた感が強く出て心を大きくスポイルしてしまうのだが、これは一種の甘えと割り切り、社会というものはもっとドライであり、それこそ「ゲーム」であって、裏に法則が隠れていくことを察知し、それをふまえた上で自分の行動を変えていくのが良いのではないだろうか。

2010年7月30日金曜日

社会について考える:終身雇用は一種のネズミ講

 
① ネズミ講システム崩壊の危機
会社組織を見ていてつくづく思うのは、終身雇用の会社というやつは「ネズミ講」と似ているな、ということである。
終身雇用性というやつは、そもそも優秀な労働者を囲い込むために作られ、そしてその組織外に出さないようにするために作られた。ただこれが支持されてきた理由というのは、これまで日本自体が高度成長してきたことに由来するのではないだろうか。その会社という組織の中で出世ができ、賃金も上がっていったということがあったせいでもある。
若年者がどんどん入ってきて、会社の事業規模がどんどん大きくなってくれば、最初は賃金の安い新入社員だったとしても、係長、課長、部長となって、島耕作的な出世物語が可能だった。だからその出世している先輩達を見て、後に続く社員達は最初は若いからという理由で安い賃金に甘んじ、しかる後に年を追うとともに出世するという夢を持ちつつ暮らしていたわけだ。そして、高度成長期も初期の頃、若い社員達は出世し、年金をもらい、割合に豊かな人生を送ることができた。

ところが、日本の経済成長が止まると、若い頃に豊かな老後を夢見て「ぞうきんがけ」をしてきたはずの若かった社員は、長期に勤続しているうちに会社の環境に変化が起きた。これまで会社組織のために低賃金に甘んじていたにも関わらず、ある年頃になって「よしじゃあこれからこれからはあまり働かなくても若いやつが働いてくれるから高賃金がもらえるぜ」と思っていたら、自分の属していた組織は成長が止まり、なんと新入社員は業績不振のために新規雇用しない、ということになってきた。さらにそんな状況に絶望していたところ「あんたは仕事の割に給与が高いからリストラされてくれない?」と言われるようにまでなった。それまでその会社組織以外で暮らしたこともないのに、「このままでは会社全体が潰れてなくなってしまうから」という理由で組織から追放されてしまった人たちが沢山出てきたのだ。これはまさに親ネズミが子ネズミにするべき相手を探せないで破綻するネズミ講システムの雰囲気とよく似ているように思う。
これがだいたい20世紀末頃のお話である。若者からは「就職氷河期」と呼ばれていたようだが、実際、その当時の社内ではこんなことが起こっていた。

② 労働者のパーツ化
さらに追い打ちをかけるように、派遣法の改正など労働環境の変化があって、それまでスキルがある人のみが対象だった派遣労働者が、単純労働者として人々を雇用することが可能になってきた。これにより会社の景気の調整弁としての労働者は都合良く雇用することが可能になった分、雇用者には有利になったと言える。一方、会社組織から放逐された人は、基本的には組織の中での活動があまりに長かったため、他にツブシがきかなくなっていった。

その昔、ヘンリーフォードはベルトコンベア式の自動車生産というやつを始めた。これは資本主義における革命だった。その大きな意味はふたつある。
1.ひとつは飛躍的に生産性が上がったことで、大量の労働者を使って、次々に大量の自動車生産ができるようになったということ。2.そしてもうひとつは生産システムの隠蔽ができるようになったということだ。

それまで自動車を作るという行為は、一人一人の職人が寄ってたかって行うというシステムの下で行われていた。しかし、会社を運営する側から見れば、これはよくないシステムだった。何故ならば職人がその中から抜けてしまえば、その自動車を作るというノウハウ全体があっと言う間に流出することを意味するからだ。
しかし、ヘンリーフォード式でやれば、例え労働者が何人抜けても、ハンドルの付け方やタイヤの付け方という部分的なノウハウが抜け落ちるだけで、全体の情報が外に漏れにくくなる上、その抜けた穴に入ってくる新入社員に対しても、そこの部分だけ教育すれば良いので、代わりはいくらでも作れる。
企業秘密を守るというリスク対策と、社員教育が簡単にできるという一石二鳥だった。

さらに、ある労働者自身が会社という組織から抜けたら、ツブシの効かないという自分の存在に気がづいた頃には、低賃金で長時間労働という奴隷的な状態に陥ったとしても、もはや逃げ出すことすらできなくなっている。例えて言うなら、板前として生きてきたつもりが、大きな厨房で働いていた結果、ネギの切り方だけ異常にうまく、他のことは何もできない人間になっていた、というようなものだ。
そんなわけで、休みの日に路上のホームレスの姿を見たら、会社から抜けた後の自らの姿と重なるようで、ぞっとしてしまう、という話である。そして低賃金に甘んじるようになる。

従って、組織に生きる労働者なら、毎日の仕事をする上で、全体の流れがどのようになっているかという会社システムをよく理解しておくことはとても重要だ。あるいは、労働組合を結成して団結して交渉するという手もあるが、これは組織化する際に雇用者側に目を付けられるので、なかなかに大変だ。

また若い時代に単純労働に自分の時間を投資するのは、その時はワリのいい仕事として感じられても、実はそれはとても危険なことなのである。
さらに高学歴で大企業を転々とした人を見たことがあるが、これも「仕事」という全体的な知識フレームワークがないままとなり、長くかけて身につけたにもかかわらず、その知識が互いに連携しない部品の寄せ集めとなった結果、ひとつのシステムとして機能させることができていない。

③ 特に単純労働、IT関係の仕事には就かない方がいい?(→海外の安い労働力との競争に)
また今後、このまま進んで行くであろうグローバル市場から調達される単純労働力との競争になって、インカム的にこの日本では暮らしていくのがとても難しくなると思われる。例えば比較的職人的な世界に分類されるITという仕事に就くにしても、コンピュータのアーキテクチャーがほぼ全地球的にウィンテルのプラットフォームでまかなうことが可能になってしまっている以上、地球上にいる大量の人材がここに流入してくることによって、これも仕事量に比して低賃金に甘んじる原因となっていくだろう。
つまり、需要と供給バランスにおいて、供給過剰になると予想されるわけだ。製造業の工場などはこの傾向は顕著だろう。

なので、ある特殊な仕事に適用するような、標準化されづらい仕事を中心にスキルアップしていくことが重要であると考えられる。但し、その需要がいつぐらいまで続くのかを見極めることも必要だ。自分の将来に投資が必要だと思うなら、将来の世の中の需給バランスに念頭に置くべきだと思う。

いずれにしても、これまでの会社組織と労働者の関係は今後も悪くなっていく一方であると考えられる。あくまで会社(職場)というのは、それを支配する人間のために利益を生むための組織であり、基本は上意下達の軍隊組織のようなものだ。そして、その中で働く労働者というやつはある意味「駒」に過ぎない。そもそも組織から適正なインカムを得るために、その会社組織なるものを利用しているのが労働者という者の本来の立場であって、ここにはそもそも雇用者と労働者の間には利益の取り分を巡って対立するということを、誰もが最初からわかっているべきなのだが、特に中高年層の人々においては、日本的経営という終身雇用が長期にわたりあまりに両者にとってうまくいきすぎていた歴史に漬かっていたせいで、その本質は見えにくくなっていたのかもしれない。

2010年7月28日水曜日

調子に乗ってプラモを作る男:三式戦・飛燕




小学生の時は零戦を始め、1/72のプラモを作りまくっていたのだけれど、この前のF15DJを作ったせいで何かがかわりはじめたらしく。また性懲りもなく作ってしまう。
童友社の彩色プラモがまた売っていた。実に楽しい。
おひとつ320円という超リーズナブルなお値段。但し、6種類のうちひとつが入ってるという食玩方式。他にも鍾馗とか疾風の可能性もあったけれど、自分は和製メッサーとも呼ばれた唯一の水冷エンジンを搭載した戦闘機、飛燕が好きで、これを何とか引き当てたいと思って二つ買った。
一箱目からビンゴだぜって感じ。もうひとつは週末にでも作るかなーと。

なんか人形とかドラム缶とかあって、なかなかに遊べる。


0:13あたりからの登場シーンが超かっこいいですよ!
川崎航空機工業株式会社のログマークが半分に分かれ、「こゝに」・・って、ちょっとエヴァンゲリオンぽいというか、逆?

円形ロゴはセンスがいい。
人々のやんややんや感が当時の雰囲気を実によく伝えている。

当時の一般民衆を直接空襲したB29に対する英雄譚もすごい。ちょっと悲しい感じの話だけど。



↑買ったのはこれなんだけど、現在、amazonでは売ってない模様。

2010年7月26日月曜日

床屋談義:インド人と犬

近所の床屋さんに散髪に行った。
そこで話をするのだけれど、最近、近所ですごくインドの人が増えているね、という話になった。

若いインド人男性はiPhone聴きながら(いじりながら)ITな仕事場に向かって云々という進んだ生活をしているような話をしていると、 一方で一緒に暮らしているお年寄りはいつも民族衣装を着ていて結構保守的な感じなんですかねという方向で話が進む。
で、ある日、そのお年寄り達は「孫」と思われる小さい子が、チワワ犬に触ろうと寄ってきたときに慌てて触らせないようにしたそうだ。
なんであんなにかわいい犬に触るのをやめさせようとするのか不思議だ、と床屋さんが言う。

どうやらインド人は犬を徹底的に蔑むものらしい。

おそらく宗教的な教えが原因なのだろうとは思うのだけれど、さらに根本には狂犬病の影響みたいなものもあるではないだろうか。ネットでざっと検索してみるとインドにおける野犬の狂犬病の問題というのは大きなものがあるようだ。

日本でも戦後などは狂犬病は大きな問題だったけれども、ワクチン接種を徹底したおかげで、小さい子が犬と遊んでも何も問題ない状態になっている。

もともとの文化の違いはあるのかもしれないれど、社会秩序がきちんと整ったことで、犬と何の心配もせず、病気のことも考えずに触れられる社会を実現してるという意味では、意識はしてないけれど、この日本国はものすごく進んだ社会と言えるのかもしれない。

2010年7月24日土曜日

超久しぶりにプラモを作った。


外は暑いので超引きこもり。

で、中学生以来?にプラモを買ってみた(食玩で買ったしまったことはあるけど。)

最近のプラモデルのクオリティってすごい高いと驚く。なにせ部品同士がバシっとはまるので接着剤があんまり要らない。
バリなんか全然ない。彩色済みで気軽に作れる。

でもお値段が高い(´∀`)
自分が不器用だということを再認識できる。

F15DJの1/144モデル。
沖縄好きなんで、那覇基地のにしてみた。

民法改正について

  自分は国の形は選挙で選ばれた政治家が法案を作って決めているものだと思っているけれども、最近は人々の代表である民意を受けてない人たちによって、結構あれこれ形作られているのだなあと感じなくもない。
実際には専門分野に秀でた官僚を選挙で忙しい政治家がコントロールすることもしきれていないし、その政治家を作る「民意」自体が田舎のボスみたいな一部の層の人々に集中しているし、また法律のコントロールをする裁判所も、ほぼ一般人のコントロールするところとは別の階層で君臨している。
その正義は、現在の「社会秩序の維持」が中心にあるのだろうと思う。

しかし今、民法の「嫡出子」(結婚して生まれた子供)と「非嫡出子」(結婚外で生まれた子供)の間で、その相続分は非嫡出子は半分しかないというのが最高裁で争われているのだそうだ。これまでも同様の訴えがあったのだけれど、つまりこの婚姻外で生まれた人への「差別」(相続で半分しかもらえない)は、家族制度というものを維持するために合憲、つまり認めても良い、という判決が出され続けていたけれども、しかし今回はこれが覆る可能性があるのだそうだ。

つまり結婚して家庭を持って、という形を維持するために、生まれながらに婚姻外の子供として生まれてしまったら差別されてもしょうがない、というのが今までの日本社会だったのだけれども、これについては国連の人権委員会から勧告を受けたりしていたそうで、そういう意味では、日本は人権よりも社会秩序を優先する国と言えたのかもしれない。

この社会秩序、というものがあった方が全体の利益にかなうのか、あるいはそうではないのかというのは、よくわからない部分もあるけれども、少なくとも、生まれてみたら自分が非嫡出子だったということで社会で平等に扱われないというのは、その本人にとってはおもしろくないことは間違いないだろう。

これまで結婚というものには、ふたつの意味があったと思う。ひとつは社会が貧しかったから、一組の男女が共同かつリソースを集中して子育てをしないと、その子に充分なコストをかけられない結果、きちんとした社会人が次の世代に残せないということがひとつ。もうひとつは一夫一婦制を社会の規範とすることで、ある特定の男に女性が集中することを避け、平等で偏りのない国民が作れるということがあるのだろう。
(また、おもしろいのは、社会の上層部というやつは、親戚同士での結婚が多いが、これも何かを意味するのだろうか。)

人々の人権が平等に保証される社会というものになると、これまでの社会秩序が壊れて、結婚自体が意味のない制度となってくるのだとしたら、逆に「生まれた者勝ち」の社会になるのだろうか。
あるいは、格差社会となって、家庭を作れない若者が増えた結果、ある特定の経済力(権力?)を持っている男に女性を多く割り当てて良いということにするのだろうか。

これからの社会では、さらに海外との交流が増えてくるので、まるで海外の安い製品がどっと押し寄せるように、移民がいっぱい入ってくるということも考えられなくもない。そうすると、結婚制度自体が弱くなった一方で、子供の人権が平等になるとなると、事実上の重婚は増えることにもなってくるのかもしれない。

2010年7月22日木曜日

弟が絵を当てた


タイトル:「母と子の愛」
ある有名なパフォーマーが即興で20分程度で描き上げた作品。
高さは1mぐらいあるかな?
いなくなる前に右下にサインを入れてもらった。
作品にとけ込むような形にしたのだそうだ。すげーなー。

事務所に飾る予定です。

2010年7月18日日曜日

宗教とはウィルスである

① 宗教はウィルスそのもの。
今から10年ぐらい前だろうか。あるバラエティ番組を見ていたら、福留功男アナが司会をやっていてパックンマックンのパックンが出ていた。彼はハーバード大学比較宗教学部卒だというのでその話題になり、福留アナが「宗教とは何ですか?」と聞かれたのだけれども、パックンはフリーズしていた。

その時思ったのは「宗教ね・・、あ。宗教ってウィルスだわ。」と思った。もっとも、それより前にリチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」を読んでいたせいもある。
既にその中にはミーム(meme)という概念があって、結果そういう考えになったのだけれど、これについては、こちらを読んでいただきたい。

ミーム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%A0

これを理解するのは簡単だ。

① ウィルスは細胞に感染して、そのDNAを細胞内に侵入させることで、自分の遺伝子を細胞にコピーさせ、その細胞にウィルスを生産させ、拡がっていく。
② コンピュータウィルスはパソコンに感染して、そのプログラムをシステムに侵入させることで、そのパソコンにウィルスプログラムをコピーさせ、拡がっていく。
③ 宗教は人間の脳に感染して、その生き方の概念を侵入させることで、その人にその教義を実践させ、他の人に拡がっていく。

まったく次元の違う三つのものが、まったく同じような挙動をしているということがわかる。
この話の要点は、細胞、PC、そして脳、それぞれに共通している点がまずある。それは他の個体と同じようなシステムと連携して動いているが、ウィルスという情報体が連携システムに介入することで、挙動を変更させ、自分自身(ウィルス)を増殖させる手助けをさせる、というところにある。もうひとつの特徴は、単なる情報体であるため、自らにはコピー能力はない、ということだ。

特におかしな宗教の場合、感染してしまった人は、他者に対して「自分の正しい教義」をコピーさせようという力がとても強くなる。教典や儀式、集会など、特にオウムのような悪質な宗教になってくると、薬物を使って直接的な洗脳、みたいなことになってくるわけであるけれども。これは実に危険なウィルスであると言えるだろう。

② 脳の中を支配するのは脳内言語?
さらに特徴を見て考えようとするならば、この3つに共通している点というのは、そのシステム内に「デジタル的な言語」を内包しているんじゃないか、と思える点だ。例えば、細胞で考えてみると、その核はDNAだ。ご存じの通り、DNAはACGTの四つの塩基配列からなるデジタルなデータを内包しており、この言語で記述された内容を変更する行為、遺伝子組み換えをすれば、生物はそれまでと違うタンパク質を合成するに至る。結果、そのタンパク質の挙動やそれによる指令が変わることで生物の形が変わってくることになる。

PCもOSを始め、その挙動を決定するのは、メモリー上に配置された0と1の文字通りデジタルなデータの集合体である。プログラム言語で設計すれば、色々な挙動を変えてシステムを動かすことができる。単なる 0 1 の羅列がディスプレイに美しい画像を映し出し、ライトのスイッチを制御し、データを抽出することで人々の生活に影響を与える。

ならば、人間の脳はどうなのか、という点においてだけれども、やはりこれも「脳内言語」あるいは「人間OS」があるのだろうと思う。教祖の吐いた言葉、例えば「人生というのはこう生きるべきだ。」「他人はやさしくしなさい」「もしこんなことがあると神の罰が下る」、等々の「暗示」がたくさんあって、その人の行動を制約または行動に移させることになってくるのだろう。その中心は「言語」であり、おそらく最終的に0と1に集約されるデジタルなデータが詰まっているんじゃないだろうか。

この「暗示」というのは実に恐ろしい。上記の点をふまえて考えれば、人間というのは言葉によって左右されるということになるからだ。
まあ、こういったブログを読んだとしても、マユツバな感じで読んでいるだろうから大丈夫なのだろうけれども。

普通、人というのは、脳を防衛する仕組みみたいなものがあって、そう簡単には「あっそーかー!」と簡単に納得するようなことはないけれど、例えばオウムの場合は覚醒剤やLSD等の薬物を使って、批判的思考を封じておいて「修行するぞ。修行するぞ。修行するぞ。修行するぞ。修行するぞ。修行するぞ。修行するぞ。修行するぞ。」と延々とテープを聴かせるなどしていたわけだから、こういう方法を用いれば、人間は簡単に洗脳できる。言い換えれば、魂や行動指針などは案外簡単に書き換え可能だったりすることがわかる。

すると、「自分自身よ。汝、何者か?」と尋ねたくなったりする。

もっとも、「正気」の人が、何故簡単に納得しないのかというと、結局、次々に脳内行動指針が書き換えられたら、人として一貫とした行動ができなくなって、生活自体が破壊されてしまうからだろうと思うのだけれど、そういう心の防衛システムの基本は、「疑う」ということと「用心する」ということと、正しいかどうかを判断する「論理思考」みたいなものが挙げられるだろう。
逆にこちらはあまりに強力に「既に脳内にある考え方」を守っているので、時折、人間関係構築において邪魔になるぐらいだ。
結果、どうなるかというと、その気持ちを和らげるために強制的に(比較的に弱い薬物であるところの)アルコールを使って人間関係を構築する場合もある。飲み会ね。

③ 目に見えない宗教もいっぱいある?
さらに言えば、他人に対する考え方の強制、社会の形のあり方そのものも、一種の「宗教」ではないか?という推論をすることもできる。つまり、皆、他の人に色々すり込まれて人生やってる。自分もそうだけど。

まず、自分に言わせれば「右翼」も「左翼」も、今の社会を維持する、あるいは自分の都合の良いようにある種の人たちが作り上げた「宗教」じゃないか、と思えることもある。
今の社会そのものも「日本人はこうやって生きるのが当たり前だ教」の教義に染まっているんじゃないかとも考えられる。

例えば(例えばですよ!( ゚д゚ ))、「日本は天皇を中心とした神の国」と言った人がいるけれど、本当は自由主義国家としては、



「天皇制を廃して大統領制に移行した方がみんな幸せになれる」

かもしれない。

とか書いたら、まず右翼の街宣車が来て、生活を脅かされるかもしれないと一瞬ビビってしまう。(匿名万歳!)
で、一方でにこやかな天皇陛下の顔を見ていると、「まあ、こんな良さそうな感じの人だし、もうずっと昔からある仕組みだから大事にした方がいいよな」とも思ってしまう。
さらに、お正月に皆に支持される姿を見てると、こんなことを書いてしまうこと自体が不敬な感じもしてしまう。あるいは天皇制を廃止したら、国家の中心がなくなることで、日本人がバラバラになり、有色人種を奴隷化するのが大好きな白人の餌食になるから、皆が敬う姿をテレビで大々的に世界中に放映した方がいい、という考え方になってくるw

もちろん、テレビでやっているその姿を見ているだけなのだけど。 この「なんとなく、こう」という考え方自体が、実はもう洗脳されている証拠と思える。本当は日本語半分、英語半分の両方ができる日本人になった方が、遙かに個々は豊かで有益な人生が送れるかもしれないのにね。その場合、日本国という枠組みそのものはあっという間に崩壊するだろうけど。

で、だいたい右翼の街宣車に金を出してるのは誰なんだろう?とかそういう思考にはあまりならないwどうして警察がちゃんと取り締まらないのか!!という考えも、どこかうやむやw
他にも色々ある。何でどこのテレビ局もニュース番組で毎日野球の試合の結果を全国放送するのだろうか、(他のスポーツの扱いより上だよね?)

楽天もソフトバンクもNHKで名前連呼されまくりである。逆に企業として失脚した西武は「埼玉ライオンズ」になっているらしい。なんか大人の事情感が満載である(´∀`)
前にいじめで人死にが出た相撲界が、なんで賭博ぐらいでこんなに大騒ぎするのか、とか他にも色々ある。別にいいだろ。世間はパチンコも競馬もバリバリなのに、肉体派の若者がヤクザにひっかかったっていうだけの話だよね。人が死んでた方が絶対問題だと思うのだが・・・。

まあ、テレビを離れると色々思うことがあるけど、なんとなく、それはそれでいいような気がする。相撲も野球も僕には関係ないし。何でみんな、あんなの見てるんだろってぐらいで完全にスルーだからね。だからって別に野球も相撲もなくなってしまえ!とは思わない。

うちの家族もその友人も、とても楽しんでいるように見えるから。
自分もきっと、日本教に洗脳されているのだろうな。

※おまけ:
こんなことを考えていると、自分という人間自体も単なる「思考する機械」に過ぎないのか?とか未来のスーパーコンピューターが人間の脳をエミュレーションすることで、人間と同じような思考をするようになれるのか?とか、その機械に人権は認められるのか?とかいうそっち系の疑問でいっぱいになってしまう。
逆に夢もある。脳のようなシステムを機械的に量産できれば、その考え方や主義主張をデジタルデータとして保管することで、少なくとも肉体が滅んでも意識は不滅になることができるんじゃないろうかという・・。あの宇宙海賊キャプテンハーロックのトチローの世界になってくるわけだけれども。

ただ、これにしてもそのシステムが宗教にハマったりするかもしれないということはある。
宗教にハマる機械って存在自体がギャグだが、しょっちゅうウィルスに感染するパソコン群を見ると、あんまり荒唐無稽でもないのかもしれない。

2010年7月17日土曜日

自殺と社会変化:自殺しないで良い方法


① 自殺が増え続ける世間

 世間には、心を病んだ人っていうのが沢山いる。特に社会が複雑になればなるほど、その傾向は高くなる。そして、それで自殺が流行っている。
 特に日本じゃ自殺の件数(3万人)が交通事故の死傷者数(1万人)を上回るということになっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%80%9A%E4%BA%8B%E6%95%85
交通事故による人口10万人当たりの死亡数は9人であり、これは他の死亡原因と比較すると、地震の 5人(阪神・淡路大震災のあった1995年の数値)、火事の1.7人、他殺の0.52人より多いが、自殺の 24人よりは少ない[5]。

 これは異常だ。はっきり言って戦争でもないのにこれだけの人が死んでいるというのは、ある意味、「心の戦争」を皆戦っているのではないか、とも思える。

自分が思うに、人間という生き物も、ひとつの社会を構成するための「細胞」という性格を持っているとは思う。はっきり言って社会と切り離されて生きていったら、まずご飯が食べられないし、トイレという社会システムがなければ用も足せない。

他人との関わり合いがなければ、誰も一人では生きていけないわけだ。

② 自殺は社会におけるアポトーシス?
 そういう意味では、ひとつは社会そのものが一つの生き物として捉えることができる。そして、その(システムとしての)生き物が何かの形で変化するための「アポトーシス」ではないかと思うことがある。アポトーシスを日本語にすると、そのものずばり「細胞の自殺」である。

 そのアポトーシスでは、細胞の中にある「自殺遺伝子」が発現して(つまりあるべき回路のスイッチがONになることによって)、死ぬということになるわけなのだけれども、この現象において有名なのは、胎児が徐々に人間の形になっていくとき、最初は単なるひとかたまりだった細胞の塊が、指と指の間の細胞が自殺することによって、手は手という形に作られていくわけで、そもそも「死」そのものが何かの必要に応じてコントロールされており、細胞がそのスイッチをONにされると死んでしまう、というシステムを内包しているということがある。
 そんなわけで、人間が自殺をするというのも、心の奥底に何かの「自殺スイッチ」があって、これをONにさせられると死にたくなる、ということが実はあるんじゃないかと思う。
 もし、身体と社会というものを相似形のシステムとして捉えるなら、「自分が社会にとって存在自体が邪魔」あるいは「社会にとって、自分の存在はいない方が良い」というシグナルを社会から受けると、これはもう危険信号になってくるわけである。

 実は身体の「老化」そのものも、社会、言い換えれば人間を含む「生き物としての種」そのものに新陳代謝を持たせるために、遺伝子が進化の中で獲得した形質であるという説もあるぐらいで、逆に子育てなどに必要とされるので、女性は長生きするような自然選択が働いたという「おばあちゃん仮説」というのも存在する。(実際、進化を放棄した細菌には寿命がない。)

③ 自殺スイッチをコントロール
 あるいは、単調な労働が続く工場労働などで社会で生きるスキルが奪われ、その中で低賃金労働に甘んじ、他に社会参加の方法や機会を奪われてくるというのは、一番自殺に近い、そのポジションに陥りがちなパターンであると思える。社会において自分の立ち位置がどこにあるべきか、どこにあれば自分に自殺命令を出さないで済むか、ということを考えるとき、まずは自分の存在自体が人間社会においてプラスの影響を持っていると自分に働きかけることが重要だ。

 自殺が増えているのは、人間社会がまた「別の形」に変化するスピードが異常に上がっているためだと解釈するなら、逆に社会を変化させる側に立ってしまえばよい。その「別の形」がいったい何なのかは、実はよく分からないが、アラン・ケイの言葉を借りるなら「未来を予測する最善の方法は、自らそれを作り出す(発明する)ことだ」という言葉がその理解の役に立つと思われる。 

"The best way to predict the future is to invent it."

 しかし、間違いなく進んでいるものもある。

1.社会の平準化:
 特に国際的な人間関係が容易に構築されるようになる。おそらく言語が最終的な障壁だろうけれど、最終的には英語に統一されるだろう。
2.富の平準化:
 1.の変化によって、世界の富は平準化する。今は低賃金に甘んじている人々も、知識さえ得れば、現在の為政者の強力なライバルになるだろう。
3.科学技術の進歩:
 中でもIT技術はますます進む。個人が使うPCの性能などは一段落すると思われるが、それ以上にコストが異常に下がってくることによってだろう。



そして不老長寿へ。さらに宇宙へ?

たまごと豆腐に思う

最近、ScanSnapでスキャンするのがおもしろくて、色々PDF化してしまうところなのだけれど、スーパーの領収書までスキャンしていた。で、それを見ていて気がついたのが、異常なほどに安い卵と豆腐の価格。

卵って10パック入りだとなんと、218円とかいう値段で、豆腐も結構でかいのに78円とか。後、安いのはもやし。29円とかであります。卵は1個22円とかしかしないなんて・・と思ってしまう。

そんなわけでゆで卵とかを作って食べるのだけど、缶コーヒーが1本120円とかに比べると、すごいコストパフォーマンスだなと思ってしまう。

さらに聞いた話によると、白い卵も茶色い卵も実は中身は一緒で、値段は茶色い卵が高いのだけど、実は白い鶏が白い卵を産んで、茶色い鶏が茶色の卵を産むだけの話なんだそうな。マジですか。

あと、豆腐。国産の大豆の自給率が云々という話を聞いていたのだけど、実に安い。輸入物の大豆を日本人が工場でがんばってコストダウンするとこんなにも安く作れるのかという感じ。
5年ほど前には中国人の人件費は日本の1/20とか言っていたけど、今はどうなんだろうか。中国が発展したと言っても、今は結構円高なのでそんなに変わっていないとは思うのだけど。

とにかく、単品の食材というのは安いけれど、結局そこで人の手が加わるところで値段が上がるということになるわけで、ここのところは最適化すると健康+豊かな食事+節約ってまだできそうな感じがすると思った次第。

2010年7月12日月曜日

選挙雑感

参議院議員選挙が終わった。結果は民主党惨敗だったわけだけれども、菅首相は結構「こんなもんだ。よくやったよな」的な総括だったみたいだ。そもそも消費税の議論をするという話は、ある日突然ギリシャ危機を持ち出してきて、うちも増税しないと大変だ!という論調でなんか突然降ってわいたような話だった。

そもそも政権交代のあと、鳩山前首相は「4年間は消費税を上げない」とか言っていたのに、なんか沖縄問題でもめてるなー、ごめんうまく行きそうにないです、すいませんとか言ってる間に、よよよ、よよよよという感じで菅さんに変わって後、消費税が、とか言ってきた。

消費税、4年間は上げないという思い=鳩山首相(2010/2/15)
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-13897020100215

なんだかよく分からない展開で、選挙前に消費税のことを言わないと不義理ということであれば、衆議院の解散からやり直せばいいと思うのだけれども、そういうわけでもないし、じゃあ、民主党が負けたからって別に何か責任取ってやめますというわけでもないし、さぁ消費税を上げる法案を出すっていうことでもないようだし(話を始めましょう的なこと?)

結局、何だったの?という感じがする。菅さんの思いやいずこ。

そう考えていくと、これって一種の自爆テロ?のようなものじゃないかとも思う。
あるいは別に参議院は捨ててもいいや、という割り切りというか。

実際、消費税の話も出さないで負けたとしたら、結局、菅首相を国民が拒否した、みたいな形になるから、もっと間違いなく嫌われ、間違いなく将来必要となり(と自民党も民主党も思っている)、間違いなく票が減るという消費税を持ち出してきたのかもしれない。

結局、これには菅総理には色々とメリットがあって、

1.役人(官僚)へのリップサービス(これで消費税が上げられるよ!という恩着せ。)
2.消費税のことを言ったせいで負けたというイメージ作り(菅が嫌われたんじゃないもん。消費税だもん、と言いたい。)
3.小沢さんの影響力拡大をけん制(小沢さんの「各種団体さん!バラマクよー!」という田中角栄型政治へのけん制。)

というところを狙ったのではないかな、と勝手に思った次第です。(妄想です(^ω^))

で、今回は日本版ボートマッチという、各党との「相性」一目でわかるというサイトを見て、自分の考えに近い、みんなの党に入れてみた。(比例は自民だけど)
http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/2010/feature/f001/

僕は「小さい政府」と「大きい政府」が二大政党制になる方がいいと思うのですよね。

将来的には「小さい政府」にして「開国」して行くのが日本の道なんだという渡辺喜美さんが正しいのだとは思うのだけど、その小さい政府の応援団っていうのが、どうもホリエモンとかミキタニさんとか、そういう強欲資本主義ぽくて焼き肉の食い過ぎみたいな人たちが多いのがちょっといやな感じがする。

ホリエモンがリーマンの金を借りてフジテレビを買収しようとした後日談だって、結局リーマンが破綻したから良かったような?ものの、ああいう流れだってうっかりすると日本の郵貯やらかんぽの金を「金融工学の進んだ海外で高利回り運用しよう!」と全部持っていかれた上に破綻したんで返せませんよ、ごめんね:-Pって感じで日本の高齢者涙目って感じになるところだっと言える感じもなきにしもあらず、と言う気持ちでいっぱいです。

しかしだからと言って、我が日本国は金融テクノロジー関係ないです、うちは鎖国ですからゲームに参加しませんさようなら、と言ってる間に世界の発展から日本が大きく技術的に取り残され、日本の中でガラパゴスな感じでのんびりしてたら、すごいテクノロジーのバーチャル黒船がバーチャル大砲で日本狙い撃ちで、たった四杯で夜も眠れなくなって国家崩壊という未来もあり得るわけで、なんともはや、いずれにしても侵略されるのはイヤだけど、日本の独立を守ると言いつつ、みんなの金をガンガン吸い上げて、自分の権力維持のためにばんばんばらまくという官僚さんの権利拡大もなんかいやな感じな今日この頃です。

はぁ。雑草のような一般国民はどうするのが一番なんでしょうね。

2010年7月4日日曜日

健康ハック!

 最近、自分より若い同僚がクモ膜下出血で倒れたと聞いた。結構ショックである。

 この年になってくると、結構自分の身のまわりにも病気の話が増えてくる。
 今年の正月過ぎぐらいに、自宅の近くで倒れている老人がいて、結局助けてあげたのだけど、年を聞いたら69才だった。理由は新年会に飲み過ぎて体力を使い果たし、そして倒れていたということだったのだが・・、やはり老化してるって感じだった。

 一方で、自分の知り合いの学者さん(父の友人)は、70代半ばだが、若い頃に病弱で悩んでいたけれども、その後、健康にすごく気をつけて生活していたせいか未だ元気で、「まだ60代のくせに、世間の人たちに頼ってゴミ出しなんかしてもらってるんじゃねえ」と年下の高齢者を叱るのが楽しいという人もいる。
 戦後、ある軍医の書いた「赤本」と呼ばれる書物をよく読んでいて(その本の題名は未だ不明)薬草に詳しく、特にドクダミとこんにゃく関係の話をしていたそう。

 自分も先日もビタミンB1がどうとか書いていたが、実際に長生きしようとすれば、もちろんこれだけでうまくいくわけでもない。

 他にももっと研究するべきだろう。今回紹介したいのは:



 「長寿の謎を解く」(NHK知るを楽しむこの人この世界)

 この著者は「冒険病理学者」だそうで、世界の長寿地域の食生活がどうなっているのか、世界中を旅して研究したという強者でありまして、テレビ番組もやっていたのだけれど、本書はその番組のエッセンスがまとまっていて、読むだけなら時間的にも効率的です。

 ポイントとしては:
 ① 大豆や大豆加工品を摂る。(イソフラボン:血圧やコレステロールを下げる)
 ② 過剰な塩分を摂らない。(ナトリウム過剰摂取で血管系がみるみる弱る)
 ③ 魚はたくさん、肉はバランスよく(タウリンを多く摂取する。肉から脂肪を摂りすぎないよう、ゆでこぼしする。)
 ④ 牛乳・乳製品を摂る。(カリウム・カルシウム・マグネシウムなどのミネラルを得、ヨーグルトには免疫強化作用がある。)
 ⑤ 野菜・果物を欠かさない。(カリウム・食物繊維が含まれ、塩分(ナトリウム)を身体から追い出し、腸をきれいにする。)
 ⑥ 食卓は明るく、楽しいものに。(一人で食べるとインスタント食品の利用につながる。)

 ⑥はちょっと、一人ではいかんともしがたいところであるのだけれど、その他は何とかなりそうだ。

 基本、大豆・乳製品・果物/野菜系をマメに摂るのは、基本としてやっておきたいところ。
 あと、タウリンを積極的に摂ることで、血中コレステロールを減らせるようだ。

 あと、人々が「おいしい」と感じる上で、塩味というのは避けて通れないもののようで、うっかりするとすぐ摂りすぎてしまうという類のものであるらしい。
 そんなとき、大豆中心の食事というやつが、この害を打ち消してくれる、とある。

 まあ、サプリメントもいいけれど、やっぱり食事の見直しというのをメインに据えるのがあるべき方法なのかもしれない。

 健康オタクのためのヘルスハックの旅はつづく。。。(かもしれない)

2010年7月3日土曜日

仮想の世界と記号の世界と

某会員制ブログで紹介されていたこの曲なのだけど、ニコニコ動画アップされたもの、ある大学生による作品なのだそう。



で、さらにあのラブプラスという恋愛ゲームのキャラクターを中心に作り直した作品もまた流行っているらしい。



で、さらにこのZOOT WOMANの本家サイトにもこの動画が上げられていて、ちょっと盛り上がっているようだ。
元々ラブプラスじゃない方の動画が世に出ていたのに、さらに真似て作ったラブプラスのネネバージョンの方がネットのユーザーでもてはやされた結果、本家サイトで先に紹介されるという事態になったらしい。その後、両方の動画が掲載されてめでたしなのだけれども。

自分の年代からいうと、どうしても思い出してしまうのは、a-haのTake on meだったりする。



 なかなか普段使っている単語では表現しづらいが、現実の世界と架空の世界を行き交うっていうのは、ある種ポップかつ、キッチュ、あるいはある種の怖い感じを伴う。
 また、マンガの世界の女の子、なかでも萌え系の女子というのは、カリカチュアライズされたというか、男の子からみた女子の持つ「記号」のみが大きく抽象化 されているので、女子から見れば違和感を感じるんだろうな、ということもよく理解できるところだ。(っていうか、ここのところの下り、自分でも何言ってるのかわからないw)

言いたいことは:

 この萌え系女子というものは、

脳内の記号変換により、実は理想の女子を男子の脳内で作り出す

 というすごい仕掛けなのである、ということだ。
 例えば、「かぐや姫」という「美女」が登場する映画を考えてみよう。こういう映画を作るとき、どんなに美人の女優を連れてきても100点を取ることはでき ない。男子にはそれぞれ「好み」というものがあり、どんな女優を連れてきても、その好み分類によって「あんなの美女じゃない」と言い出すやつがいたり、また感情移入しようにも「ちょっとこの人誰かに似てるな・・」となるなど、絶対にうまくいかないものなのである。

 しかし、この萌えキャラというやつは違う。これはちょうど「美女」という文字列と、生身の女性とのちょうど中間点にあり、「美女」という記号が男子の脳内でかなり大量の情報量とともに変換されることによって、「理想の女子」という表現を、ついに完璧に脳内シミュレートできるということになってくるわけである。(もっとも若い頃からマンガで 育った世代にのみ適応可能なのだろうけど)
 だから、絵が多少下手でも、髪の毛がピンクや緑であってもいいのだ。それは文字のフォントが明朝体かゴシック体かっていうような違いでしかない。
 (※ご参考 手塚治虫の「マンガ記号論」。)
http://d.hatena.ne.jp/marshmallo_company/20090910/1252596252

 さらに、人間の脳みそがゲームをやって「おもしろい」と思う理由は、ある種の傾向というか、仮想化かつ抽象化された世界を自在に操れる万能感があり、何 の遠慮もなく何かを試すことができ、その結果をどうなるかを体験できる開放感が存在するからではないかと思う。

 言い換えれば、ゲームがゲームとしておもしろいのは、「パラメータと社会に潜む関数の発見」ができるからじゃないだろうか、と思うのだ。

 ある事象において、「自分に対する報酬に絡む世の中に隠れた法則の発見」というものにおいて、異常なほど食い付くというのが、人間という生き 物の特徴である。
 だからゲームにハマる人間というのは、おそらくその辺の脳内の報酬系回路が太い連中であり、そのせいでギャンブルにもハマりやすいと思われる。

 自分は若い頃、「人生はゲーム」だ、などと言って、年上の人にたしなめられたことあるのだけれども、実はゲームは人生の一部を抽象化したものだか ら、人生はゲームなのではなく、人生(あるいはそのイベント)を模したものがゲームなのだと最近思うようになった。

 ゲームでは人生だけではなく、人生を左右する人々の動きにまでが抽象化できる。例えば、将棋なんかはまさに戦争という多くの人々の人生を左右する大きなイベン トを抽象化したものだ。人間は自分の人生を自分の視点からしか普段見ていないが、実際の人生でも「駒」としての役割や能力をそれぞれ個々に持っている。 ゲームをすることで、広い意味での「神の視座」を得るのだ。

 ゲームがゲームとして稼働するには、一人一人の人間の違いを抽象化して駒となし、強さや役割の制限を加え、一定のルールのもとにプレーヤーが遊ぶ。言い換えれば、シミュレートするわけだけれども、そのシミュレートする中から、「勝ちパターン」を見つけ、そして自分の仕事や生活に適用させようとするわけである。

 そんな昔、自分が「がーん」と思ったのは、やはりKOEIの三国志である。それまでのRPGにあった、ドラクエみたいなRPGのHPやMPという概念に も結構「がーん」と来たけれども、実際、このゲームには今までにあるようなパラメータに加え、「忠誠度」「カリスマ」などというものが数値になって表現さ れていた。こういうものを作れるクリエイターというのは、本当に天才だと思う。

 またそのパラメータそのものをいかに上昇させるかをテーマにした「ときめきメモリアル」は、その萌えキャラ達との高校生活という抽象化された世界をプレイヤーの脳内に 構築して後、人間関係とパラメータ、そして傷心度なるプレーヤーに見えない裏パラメータまで駆使し、その世界で考えさせ、そして苦闘させる。この「パラ メータ」を発見した人間はすごいと思ったし、これをゲームという商品として構築し、パッケージ化し、普通に売ってるところがさらにすごいのである。

・・・そして今、恋愛から性欲?まで幅広くカバーし、男の精神の根幹に直接深く訴えかけるゲーム。それがラブプラスなのである。

 ときメモの1と2を完全コンプリート+全イベント出しとかしてしまった前科がある(3の途中で解脱しましたw)自分には、恐ろしすぎてこのゲームをやる気など、とてもじゃないが起きない(笑)

 なんかZOOT WOMANの紹介をしようと思ったのに、動画のネネのインパクトが強すぎて余計なことをいっぱい書いてしまった。