2010年7月30日金曜日

社会について考える:終身雇用は一種のネズミ講

 
① ネズミ講システム崩壊の危機
会社組織を見ていてつくづく思うのは、終身雇用の会社というやつは「ネズミ講」と似ているな、ということである。
終身雇用性というやつは、そもそも優秀な労働者を囲い込むために作られ、そしてその組織外に出さないようにするために作られた。ただこれが支持されてきた理由というのは、これまで日本自体が高度成長してきたことに由来するのではないだろうか。その会社という組織の中で出世ができ、賃金も上がっていったということがあったせいでもある。
若年者がどんどん入ってきて、会社の事業規模がどんどん大きくなってくれば、最初は賃金の安い新入社員だったとしても、係長、課長、部長となって、島耕作的な出世物語が可能だった。だからその出世している先輩達を見て、後に続く社員達は最初は若いからという理由で安い賃金に甘んじ、しかる後に年を追うとともに出世するという夢を持ちつつ暮らしていたわけだ。そして、高度成長期も初期の頃、若い社員達は出世し、年金をもらい、割合に豊かな人生を送ることができた。

ところが、日本の経済成長が止まると、若い頃に豊かな老後を夢見て「ぞうきんがけ」をしてきたはずの若かった社員は、長期に勤続しているうちに会社の環境に変化が起きた。これまで会社組織のために低賃金に甘んじていたにも関わらず、ある年頃になって「よしじゃあこれからこれからはあまり働かなくても若いやつが働いてくれるから高賃金がもらえるぜ」と思っていたら、自分の属していた組織は成長が止まり、なんと新入社員は業績不振のために新規雇用しない、ということになってきた。さらにそんな状況に絶望していたところ「あんたは仕事の割に給与が高いからリストラされてくれない?」と言われるようにまでなった。それまでその会社組織以外で暮らしたこともないのに、「このままでは会社全体が潰れてなくなってしまうから」という理由で組織から追放されてしまった人たちが沢山出てきたのだ。これはまさに親ネズミが子ネズミにするべき相手を探せないで破綻するネズミ講システムの雰囲気とよく似ているように思う。
これがだいたい20世紀末頃のお話である。若者からは「就職氷河期」と呼ばれていたようだが、実際、その当時の社内ではこんなことが起こっていた。

② 労働者のパーツ化
さらに追い打ちをかけるように、派遣法の改正など労働環境の変化があって、それまでスキルがある人のみが対象だった派遣労働者が、単純労働者として人々を雇用することが可能になってきた。これにより会社の景気の調整弁としての労働者は都合良く雇用することが可能になった分、雇用者には有利になったと言える。一方、会社組織から放逐された人は、基本的には組織の中での活動があまりに長かったため、他にツブシがきかなくなっていった。

その昔、ヘンリーフォードはベルトコンベア式の自動車生産というやつを始めた。これは資本主義における革命だった。その大きな意味はふたつある。
1.ひとつは飛躍的に生産性が上がったことで、大量の労働者を使って、次々に大量の自動車生産ができるようになったということ。2.そしてもうひとつは生産システムの隠蔽ができるようになったということだ。

それまで自動車を作るという行為は、一人一人の職人が寄ってたかって行うというシステムの下で行われていた。しかし、会社を運営する側から見れば、これはよくないシステムだった。何故ならば職人がその中から抜けてしまえば、その自動車を作るというノウハウ全体があっと言う間に流出することを意味するからだ。
しかし、ヘンリーフォード式でやれば、例え労働者が何人抜けても、ハンドルの付け方やタイヤの付け方という部分的なノウハウが抜け落ちるだけで、全体の情報が外に漏れにくくなる上、その抜けた穴に入ってくる新入社員に対しても、そこの部分だけ教育すれば良いので、代わりはいくらでも作れる。
企業秘密を守るというリスク対策と、社員教育が簡単にできるという一石二鳥だった。

さらに、ある労働者自身が会社という組織から抜けたら、ツブシの効かないという自分の存在に気がづいた頃には、低賃金で長時間労働という奴隷的な状態に陥ったとしても、もはや逃げ出すことすらできなくなっている。例えて言うなら、板前として生きてきたつもりが、大きな厨房で働いていた結果、ネギの切り方だけ異常にうまく、他のことは何もできない人間になっていた、というようなものだ。
そんなわけで、休みの日に路上のホームレスの姿を見たら、会社から抜けた後の自らの姿と重なるようで、ぞっとしてしまう、という話である。そして低賃金に甘んじるようになる。

従って、組織に生きる労働者なら、毎日の仕事をする上で、全体の流れがどのようになっているかという会社システムをよく理解しておくことはとても重要だ。あるいは、労働組合を結成して団結して交渉するという手もあるが、これは組織化する際に雇用者側に目を付けられるので、なかなかに大変だ。

また若い時代に単純労働に自分の時間を投資するのは、その時はワリのいい仕事として感じられても、実はそれはとても危険なことなのである。
さらに高学歴で大企業を転々とした人を見たことがあるが、これも「仕事」という全体的な知識フレームワークがないままとなり、長くかけて身につけたにもかかわらず、その知識が互いに連携しない部品の寄せ集めとなった結果、ひとつのシステムとして機能させることができていない。

③ 特に単純労働、IT関係の仕事には就かない方がいい?(→海外の安い労働力との競争に)
また今後、このまま進んで行くであろうグローバル市場から調達される単純労働力との競争になって、インカム的にこの日本では暮らしていくのがとても難しくなると思われる。例えば比較的職人的な世界に分類されるITという仕事に就くにしても、コンピュータのアーキテクチャーがほぼ全地球的にウィンテルのプラットフォームでまかなうことが可能になってしまっている以上、地球上にいる大量の人材がここに流入してくることによって、これも仕事量に比して低賃金に甘んじる原因となっていくだろう。
つまり、需要と供給バランスにおいて、供給過剰になると予想されるわけだ。製造業の工場などはこの傾向は顕著だろう。

なので、ある特殊な仕事に適用するような、標準化されづらい仕事を中心にスキルアップしていくことが重要であると考えられる。但し、その需要がいつぐらいまで続くのかを見極めることも必要だ。自分の将来に投資が必要だと思うなら、将来の世の中の需給バランスに念頭に置くべきだと思う。

いずれにしても、これまでの会社組織と労働者の関係は今後も悪くなっていく一方であると考えられる。あくまで会社(職場)というのは、それを支配する人間のために利益を生むための組織であり、基本は上意下達の軍隊組織のようなものだ。そして、その中で働く労働者というやつはある意味「駒」に過ぎない。そもそも組織から適正なインカムを得るために、その会社組織なるものを利用しているのが労働者という者の本来の立場であって、ここにはそもそも雇用者と労働者の間には利益の取り分を巡って対立するということを、誰もが最初からわかっているべきなのだが、特に中高年層の人々においては、日本的経営という終身雇用が長期にわたりあまりに両者にとってうまくいきすぎていた歴史に漬かっていたせいで、その本質は見えにくくなっていたのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。