2010年7月18日日曜日

宗教とはウィルスである

① 宗教はウィルスそのもの。
今から10年ぐらい前だろうか。あるバラエティ番組を見ていたら、福留功男アナが司会をやっていてパックンマックンのパックンが出ていた。彼はハーバード大学比較宗教学部卒だというのでその話題になり、福留アナが「宗教とは何ですか?」と聞かれたのだけれども、パックンはフリーズしていた。

その時思ったのは「宗教ね・・、あ。宗教ってウィルスだわ。」と思った。もっとも、それより前にリチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」を読んでいたせいもある。
既にその中にはミーム(meme)という概念があって、結果そういう考えになったのだけれど、これについては、こちらを読んでいただきたい。

ミーム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%A0

これを理解するのは簡単だ。

① ウィルスは細胞に感染して、そのDNAを細胞内に侵入させることで、自分の遺伝子を細胞にコピーさせ、その細胞にウィルスを生産させ、拡がっていく。
② コンピュータウィルスはパソコンに感染して、そのプログラムをシステムに侵入させることで、そのパソコンにウィルスプログラムをコピーさせ、拡がっていく。
③ 宗教は人間の脳に感染して、その生き方の概念を侵入させることで、その人にその教義を実践させ、他の人に拡がっていく。

まったく次元の違う三つのものが、まったく同じような挙動をしているということがわかる。
この話の要点は、細胞、PC、そして脳、それぞれに共通している点がまずある。それは他の個体と同じようなシステムと連携して動いているが、ウィルスという情報体が連携システムに介入することで、挙動を変更させ、自分自身(ウィルス)を増殖させる手助けをさせる、というところにある。もうひとつの特徴は、単なる情報体であるため、自らにはコピー能力はない、ということだ。

特におかしな宗教の場合、感染してしまった人は、他者に対して「自分の正しい教義」をコピーさせようという力がとても強くなる。教典や儀式、集会など、特にオウムのような悪質な宗教になってくると、薬物を使って直接的な洗脳、みたいなことになってくるわけであるけれども。これは実に危険なウィルスであると言えるだろう。

② 脳の中を支配するのは脳内言語?
さらに特徴を見て考えようとするならば、この3つに共通している点というのは、そのシステム内に「デジタル的な言語」を内包しているんじゃないか、と思える点だ。例えば、細胞で考えてみると、その核はDNAだ。ご存じの通り、DNAはACGTの四つの塩基配列からなるデジタルなデータを内包しており、この言語で記述された内容を変更する行為、遺伝子組み換えをすれば、生物はそれまでと違うタンパク質を合成するに至る。結果、そのタンパク質の挙動やそれによる指令が変わることで生物の形が変わってくることになる。

PCもOSを始め、その挙動を決定するのは、メモリー上に配置された0と1の文字通りデジタルなデータの集合体である。プログラム言語で設計すれば、色々な挙動を変えてシステムを動かすことができる。単なる 0 1 の羅列がディスプレイに美しい画像を映し出し、ライトのスイッチを制御し、データを抽出することで人々の生活に影響を与える。

ならば、人間の脳はどうなのか、という点においてだけれども、やはりこれも「脳内言語」あるいは「人間OS」があるのだろうと思う。教祖の吐いた言葉、例えば「人生というのはこう生きるべきだ。」「他人はやさしくしなさい」「もしこんなことがあると神の罰が下る」、等々の「暗示」がたくさんあって、その人の行動を制約または行動に移させることになってくるのだろう。その中心は「言語」であり、おそらく最終的に0と1に集約されるデジタルなデータが詰まっているんじゃないだろうか。

この「暗示」というのは実に恐ろしい。上記の点をふまえて考えれば、人間というのは言葉によって左右されるということになるからだ。
まあ、こういったブログを読んだとしても、マユツバな感じで読んでいるだろうから大丈夫なのだろうけれども。

普通、人というのは、脳を防衛する仕組みみたいなものがあって、そう簡単には「あっそーかー!」と簡単に納得するようなことはないけれど、例えばオウムの場合は覚醒剤やLSD等の薬物を使って、批判的思考を封じておいて「修行するぞ。修行するぞ。修行するぞ。修行するぞ。修行するぞ。修行するぞ。修行するぞ。修行するぞ。」と延々とテープを聴かせるなどしていたわけだから、こういう方法を用いれば、人間は簡単に洗脳できる。言い換えれば、魂や行動指針などは案外簡単に書き換え可能だったりすることがわかる。

すると、「自分自身よ。汝、何者か?」と尋ねたくなったりする。

もっとも、「正気」の人が、何故簡単に納得しないのかというと、結局、次々に脳内行動指針が書き換えられたら、人として一貫とした行動ができなくなって、生活自体が破壊されてしまうからだろうと思うのだけれど、そういう心の防衛システムの基本は、「疑う」ということと「用心する」ということと、正しいかどうかを判断する「論理思考」みたいなものが挙げられるだろう。
逆にこちらはあまりに強力に「既に脳内にある考え方」を守っているので、時折、人間関係構築において邪魔になるぐらいだ。
結果、どうなるかというと、その気持ちを和らげるために強制的に(比較的に弱い薬物であるところの)アルコールを使って人間関係を構築する場合もある。飲み会ね。

③ 目に見えない宗教もいっぱいある?
さらに言えば、他人に対する考え方の強制、社会の形のあり方そのものも、一種の「宗教」ではないか?という推論をすることもできる。つまり、皆、他の人に色々すり込まれて人生やってる。自分もそうだけど。

まず、自分に言わせれば「右翼」も「左翼」も、今の社会を維持する、あるいは自分の都合の良いようにある種の人たちが作り上げた「宗教」じゃないか、と思えることもある。
今の社会そのものも「日本人はこうやって生きるのが当たり前だ教」の教義に染まっているんじゃないかとも考えられる。

例えば(例えばですよ!( ゚д゚ ))、「日本は天皇を中心とした神の国」と言った人がいるけれど、本当は自由主義国家としては、



「天皇制を廃して大統領制に移行した方がみんな幸せになれる」

かもしれない。

とか書いたら、まず右翼の街宣車が来て、生活を脅かされるかもしれないと一瞬ビビってしまう。(匿名万歳!)
で、一方でにこやかな天皇陛下の顔を見ていると、「まあ、こんな良さそうな感じの人だし、もうずっと昔からある仕組みだから大事にした方がいいよな」とも思ってしまう。
さらに、お正月に皆に支持される姿を見てると、こんなことを書いてしまうこと自体が不敬な感じもしてしまう。あるいは天皇制を廃止したら、国家の中心がなくなることで、日本人がバラバラになり、有色人種を奴隷化するのが大好きな白人の餌食になるから、皆が敬う姿をテレビで大々的に世界中に放映した方がいい、という考え方になってくるw

もちろん、テレビでやっているその姿を見ているだけなのだけど。 この「なんとなく、こう」という考え方自体が、実はもう洗脳されている証拠と思える。本当は日本語半分、英語半分の両方ができる日本人になった方が、遙かに個々は豊かで有益な人生が送れるかもしれないのにね。その場合、日本国という枠組みそのものはあっという間に崩壊するだろうけど。

で、だいたい右翼の街宣車に金を出してるのは誰なんだろう?とかそういう思考にはあまりならないwどうして警察がちゃんと取り締まらないのか!!という考えも、どこかうやむやw
他にも色々ある。何でどこのテレビ局もニュース番組で毎日野球の試合の結果を全国放送するのだろうか、(他のスポーツの扱いより上だよね?)

楽天もソフトバンクもNHKで名前連呼されまくりである。逆に企業として失脚した西武は「埼玉ライオンズ」になっているらしい。なんか大人の事情感が満載である(´∀`)
前にいじめで人死にが出た相撲界が、なんで賭博ぐらいでこんなに大騒ぎするのか、とか他にも色々ある。別にいいだろ。世間はパチンコも競馬もバリバリなのに、肉体派の若者がヤクザにひっかかったっていうだけの話だよね。人が死んでた方が絶対問題だと思うのだが・・・。

まあ、テレビを離れると色々思うことがあるけど、なんとなく、それはそれでいいような気がする。相撲も野球も僕には関係ないし。何でみんな、あんなの見てるんだろってぐらいで完全にスルーだからね。だからって別に野球も相撲もなくなってしまえ!とは思わない。

うちの家族もその友人も、とても楽しんでいるように見えるから。
自分もきっと、日本教に洗脳されているのだろうな。

※おまけ:
こんなことを考えていると、自分という人間自体も単なる「思考する機械」に過ぎないのか?とか未来のスーパーコンピューターが人間の脳をエミュレーションすることで、人間と同じような思考をするようになれるのか?とか、その機械に人権は認められるのか?とかいうそっち系の疑問でいっぱいになってしまう。
逆に夢もある。脳のようなシステムを機械的に量産できれば、その考え方や主義主張をデジタルデータとして保管することで、少なくとも肉体が滅んでも意識は不滅になることができるんじゃないろうかという・・。あの宇宙海賊キャプテンハーロックのトチローの世界になってくるわけだけれども。

ただ、これにしてもそのシステムが宗教にハマったりするかもしれないということはある。
宗教にハマる機械って存在自体がギャグだが、しょっちゅうウィルスに感染するパソコン群を見ると、あんまり荒唐無稽でもないのかもしれない。

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