2010年7月24日土曜日

民法改正について

  自分は国の形は選挙で選ばれた政治家が法案を作って決めているものだと思っているけれども、最近は人々の代表である民意を受けてない人たちによって、結構あれこれ形作られているのだなあと感じなくもない。
実際には専門分野に秀でた官僚を選挙で忙しい政治家がコントロールすることもしきれていないし、その政治家を作る「民意」自体が田舎のボスみたいな一部の層の人々に集中しているし、また法律のコントロールをする裁判所も、ほぼ一般人のコントロールするところとは別の階層で君臨している。
その正義は、現在の「社会秩序の維持」が中心にあるのだろうと思う。

しかし今、民法の「嫡出子」(結婚して生まれた子供)と「非嫡出子」(結婚外で生まれた子供)の間で、その相続分は非嫡出子は半分しかないというのが最高裁で争われているのだそうだ。これまでも同様の訴えがあったのだけれど、つまりこの婚姻外で生まれた人への「差別」(相続で半分しかもらえない)は、家族制度というものを維持するために合憲、つまり認めても良い、という判決が出され続けていたけれども、しかし今回はこれが覆る可能性があるのだそうだ。

つまり結婚して家庭を持って、という形を維持するために、生まれながらに婚姻外の子供として生まれてしまったら差別されてもしょうがない、というのが今までの日本社会だったのだけれども、これについては国連の人権委員会から勧告を受けたりしていたそうで、そういう意味では、日本は人権よりも社会秩序を優先する国と言えたのかもしれない。

この社会秩序、というものがあった方が全体の利益にかなうのか、あるいはそうではないのかというのは、よくわからない部分もあるけれども、少なくとも、生まれてみたら自分が非嫡出子だったということで社会で平等に扱われないというのは、その本人にとってはおもしろくないことは間違いないだろう。

これまで結婚というものには、ふたつの意味があったと思う。ひとつは社会が貧しかったから、一組の男女が共同かつリソースを集中して子育てをしないと、その子に充分なコストをかけられない結果、きちんとした社会人が次の世代に残せないということがひとつ。もうひとつは一夫一婦制を社会の規範とすることで、ある特定の男に女性が集中することを避け、平等で偏りのない国民が作れるということがあるのだろう。
(また、おもしろいのは、社会の上層部というやつは、親戚同士での結婚が多いが、これも何かを意味するのだろうか。)

人々の人権が平等に保証される社会というものになると、これまでの社会秩序が壊れて、結婚自体が意味のない制度となってくるのだとしたら、逆に「生まれた者勝ち」の社会になるのだろうか。
あるいは、格差社会となって、家庭を作れない若者が増えた結果、ある特定の経済力(権力?)を持っている男に女性を多く割り当てて良いということにするのだろうか。

これからの社会では、さらに海外との交流が増えてくるので、まるで海外の安い製品がどっと押し寄せるように、移民がいっぱい入ってくるということも考えられなくもない。そうすると、結婚制度自体が弱くなった一方で、子供の人権が平等になるとなると、事実上の重婚は増えることにもなってくるのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。