2010年6月6日日曜日

企業組織について考える

池田信夫氏のブログに、おもしろい記事があったので読んでみた。

企業はなぜ存在するのか
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51409536.html

話の内容は、「なぜ会社が労働者(社員)を雇用するのか。(社長以外)すべてアルバイトだけで成り立つ会社がないのはなぜか」というものであって、これを分析している。結局のところ、会社は資本があって、それを投下して仕事をする。この資本は回収できない(サンクコストになる)ので、経営者側と社員との長期的関係が必要になるから、というのが理由になっている。

もし仮にすべてをアルバイトとして雇用したら、簡単に解雇することができる反面、アルバイト側が半分ぐらいまで仕事を終わらせた後、簡単に給料を上げろと交渉してくることが可能になる。アルバイト側からすれば、途中までの給与をもらってみんなで辞めても、いつ解雇されるかわからない状況なのだから元々状況に変わりがないのだ、という発想がある。なので、こういったことが頻発するようになるわけだ。なので、これを避けるため、ある程度資本家に近い存在としての労働者、つまり社員が存在すれば、いつクビになるかわからないという心配をしないで良い代わりに、仕事の途中投げだしとか、引き返せない状況まできたところでの給料上げろ交渉がなくなる、ということになる。

さらに、ホリエモン氏のブログにはこうあった。

ふと考えてみた民主党の過剰な労働関係規制について
http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10549910978.html
しかし、すでに大量の社員を抱える会社のオーナー社長はいざしらず、私のように会社をクビになったり、うまいことバイアウトしてそれなりの資産を持っている者は、今の日本の状況だと再び会社を作り雇用を創出することなど、あまり考えないだろう。

だって損なんだもん。一生懸命会社を大きくして雇用を創出しても揶揄されるだけ。安い給料でこきつかってるとかね。私なんか本当にのべ数人の受付女子しか派遣を受け入れなかったにも関わらず、ほとんど正社員だけだったのに揶揄されている。
だからもう面倒なので社員は雇わない方針でいきたいなーなんて思っていたりする。


考えてみれば、正社員という存在は、経営者の分身ということでなければ、雇用して仕事を与えることがメリットになってこない。実際世の中の側だって、ある正社員が名刺を切って仕事をすれば、その会社の人間として扱う。個人ではなくて、企業集団の代表としての個人。例えどんなに出来が悪くても、それなりの(相手会社に対する)配慮と敬意を持って接するのだ。(だから大企業の社員は、それを自分の実力と勘違いするという痛い感じの人もいるわけなんだけれども。)そして、アルバイトを派遣に置き換えたところで、「大事なところでサヨウナラされる」という意味においては話の構造が同じなのである。

ホリエモン氏は外部の人間がいる前でも、平気で社員を罵倒するようなことをしていたと聞いたことがあるが、これは社員を使うという意味においては、最も下手なやり方だろうと思われる。 結局のところ、社員は外部から見れば経営者の分身なのだから、自分の分身がスキル不足であることを客先に宣伝するというデメリットを発生させるわけである。一方で、置き換えしても可能であるような部分の人材も正社員にしてみたりと、どうも組織を使うには不向きな性格が読み取れる。

池田ブログでは、高度成長が終わった日本の会社の状況について、労使協調できた今までの日本の会社について、会社が危機に陥ったときは「何も決まらなくなる」と書いている。それで結局、「株主」、言い換えれば会社の持ち主が、自らの資本をどうするか決定するべきだ、と続いていく。 つまり会社というのは、資本(カネ)を投入して、それ以上のカネを生み続けるための一種のバクチのための装置なので、いくら賭けるかはバクチをする人、パチンコ台が装置とすれば、玉を買ってきて打つ人がその決定権を持つ存在で、その最終的な責任を持つ人、リスクを背負う担当の人に「いくら賭けるのか」を決めてもらわなければならないということになる。つまり、株主こそ台を打つ人であるようだ。
結局、社長、社員、アルバイトのいずれもが、すべて「中の人」であって、装置を動かすためのCPU、基盤、周辺機器のようなものなわけだ。 そして株主がユーザーになる。

さらに言えば、会社が社会にとってプラスの存在になるかマイナスの存在になるかは、結局は最終的には株主が決めること、ということになるだろう。ホリエモンも、人付き合いが苦手なら株主になって裏から動いた方がいい。わがまま放題は可能だし、株主がたくさんいるなら民主的なシステムになっていて、決定権やリスク、そして利益も分配されるから、個人の暴走も押さえることが出来る。結局、これが自然の摂理というものなのかな、と思う。

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