2010年6月4日金曜日

都心の土地について考える


DSCF0564, originally uploaded by caffe1cac1d.

たまに高速道路にのって地方をクルマで回ってみると、そのさびれっぷりには驚きを感じてしまう。まさにシャッター通りいっぱいありますの世界である。

一方、都心はこの不況だというのに、結構新しいビルが建ち続けている感じだ。それも2〜3年ぐらいでバシバシ建ってしまうのを見ていると、建設テクノロジーの発展を感じる。うちの職場の近くにも22階のビルが建った。ただいま、引っ越し中であるようなのだけれども、この発展する地域とそうでない地域、いったいどこが違うのかとつい考えてしまう。

ひとつは、やはり利便性とステータスだろう。ある程度成功した企業がこういうところにオフィスを持とうとするのは理解できる。もうひとつは、地方で仕事をすると「地域性・公共性」がとても重荷になる部分がある。企業というのは、その時代によって活況を呈するところと徐々に没落する部分があるのは、仕方ないことだ。だが、地方では、ある程度の成功を成した企業(や、起業家)はその地方への貢献を求められる場合が多い。このつきあいは結構なコストになるわけだけれども、例えば海外や各地方にブランチを持つ企業というやつは、逆にこういった企業との地方(のボス?あるい親玉??)みたいなとのつながりがマイナスになる場合もある。

さらにもうひとつ、土地に関して言うならば、特に皇居周辺の区には、武家屋敷や神社仏閣などなど、昔から「ひとまとまりの土地」として存在してきた歴史がある。なので、高度利用のためのインフラが備わっているのと同時に、大きな建物を建てようとする際、権利関係がまとまっていて仕事がしやすい、という部分も存在するようだ。例えば豊島区なんかは僕は好きな土地なのだけれども、一方で住宅密集地があって、しかも古い木造家屋が中心だったりする。これは大地震や火災などでは、最も被害が出るような場所になるだろうと想定されるけれども、そこをすべて整理整頓して近代的な街にしよう、という発想はあまり生まれないようだ。何故ならば、小さく入り組んだ権利関係がそこにあって、大きな建物を建てようにも多くの権利者が納得するような形にするにはとても大きなコストが発生するからである。なので、結局、高度に利用された地域は、どんどん高度に利用され、その高度に利用された建物がさらに地下鉄や道路などのインフラを呼ぶ、という結果になるのだろうか。

しかしこの住宅密集地、あと10年も経つと、住んでいるのは高齢者だけとか、空き家ばかりという状況になるかもしれない。そうすると、日本中の住宅密集地が、ある日突然巨大な更地になるようなことが次々生まれるような事象が日本中で起こるようになると思う。

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