2010年8月28日土曜日

どんどん変わる未来

 
小沢さんが代表選に出るんだって(短期的予想)

で、うっかりすると代表戦で勝ってしまう可能性もあるそうだけれども、まったく小沢さんの顔を出さないで、ベランメェな麻生さんから、お坊ちゃま系の鳩山さんにみんな投票して政権交代になった昨年から1年、(8月30日)、よよよ、よよよよと菅さんが総理大臣になってから、まだいくらも経っていないのにもう交代ですか的な話になりつつある。いくらなんでも小沢さんを選挙の顔に据えていたら、投票しなかった人も多かっただろうから、政権交代も起きなかったかもしれない。

だからこれで小沢さんが総理大臣になったら、これはもう民意の反映とは言えないだろう。で、菅さんは一応、参議院選を乗り切った。そして菅さんは今総理大臣だから、解散権を持っている。だから、もし小沢さんに代表戦で敗れたら、本来は解散するのもOKだ。本来選挙によって選ばれてない人が、いつの間にか総理大臣になりそうです、ということだから、民意を問うと言えば良いのだ。

で、こういう風にしますよと代表戦に投票する国会議員達に対してもメッセージを発すれば、議員の皆さんは選挙はイヤなはずだから、本来だったらみな菅さんの言うことを聞くしかないはずなのだ。あるいは、それで解散すれば民主党が割れるのかもしれないということもある。

そうすると、特に若手国会議員なんかは、逆風は必至となるだろうから、結局落選するしかないだろう。その理由は、①民主党が与党としての権力を維持しきれていないことと、②政治混乱をわざわざ作ったことによる批判が起こるだろうからだ。

結局、菅総理が代表戦で負けるというのは、菅さんが本気で総理大臣のイスを守る気があって手を打つよーというメッセージを発するのであれば、小沢さんが勝つ理由は本来はないと考えられる。

実は政治の混乱自体が官僚の計画?(中期的な話)

小沢さんが著した日本改造計画という本があるけれども、それは片山さつきさんの先輩、(つまり大蔵官僚)が書いたのよ、という記述を見たことがある。
で、小沢さんの方向性というのは、結局、大蔵省と親密だった師匠であるところの田中角栄元総理だろうと思う。検察とのやりとりや大蔵省との関係などを見ていると、その頃からの流れをずっと引きずっているようにも見える。

さらに言えば、強力なリーダーが現れた方がいい的な話が世間にはよく出てくるのだけれども、日本における実際のリーダーは政治家をではなく、あまり表に出てこない役所の偉い人なのかもしれない。彼らの思想の中心はこの日本「国」に対する愛国心で、それに対してチクチクと外国からの勢力が攻めてきているという構図が続いてるのだろう。結局官僚が日本国の方向性を考え、政治家と官僚と財界でなあなあでうまく話し合いながらやってきた。それが小泉純一郎総理が出てくるまでは続いていたのだろうと思う。

その小泉総理の権力の源泉は、90年代半ばに小沢さんが政権交代ができるようにするために作った小選挙区制だろう。しかし、実際運用してみると、これはとっても「国を守る側」には危ない感じのシステムでもある。

結局、この選挙制度というのは「白か黒か」を選挙民に要求するシステムだから、グレーな考えというのが国会からなくなってしまう。メディアとカネを握れば、あとは与党党本部が気に入らない議員に自由に刺客を送ることができるというこの選挙制度の下では、基本的に政治のトップレベル層に大きなパワーが集中するからだ。
だから、一部の権力者が日本における絶対的な権力を確立するためには必要なシステムだったと思われる。

しかし、小泉総理みたいなのがずっと政界に君臨するとどうなるかというと、逆に役所の権力というのは政治によって倒されてしまう。意志決定がみな政治によってコントロールされてしまうからだ。なので、本来は官僚が想定する誰かが政治の中心になっていることを想定して作った法律なのかもしれない。

もし、政治家が官僚の言うことを聞かないのであるなら、逆にこの国の伝統よろしく政治がいつもくちゃくちゃになっていた方が、政治家をコントロールしやすいので、官僚にはそれが有利ということになる。その理由は、政治をいじるには、専門知識と裏の約束と法律と人間関係という、とてつもなく複雑なシステムを熟知していなくてはいけないから、「それはこれこれで、こういう法律でこうなっていますから、こうするしかないんですよ」という役人の「ご説明」で簡単に粉砕できる。
だから、素人議員がいっぱいいるというのは、官僚にとってとっても御しやすい。おまけに政治家というやつは、選挙に勝たないと席が維持できないので、地盤を盤石にするのに最初はほとんどのリソースを取られる。結果、素人が国政に来ても、その存在感は誤差の範囲ということになる。

どっちにしても今ある日本2.0は終わるかもしれない(長期的には・・)

もし、日本1.0を明治維新に始まったものだとすると、今の日本2.0は敗戦後にできたアメリカ的な民主主義的な議会運営システムと言えるけれども、もう最近、ネット上で日本\(^o^)/オワタ 的な言説が見られるように、制度疲労と権力層における人間関係の硬直化と国民の高齢化などなど、世界の成長と別のガラパゴス化の道を辿りつつある。
別にいつ破綻するっていうわけじゃない。今すぐどうなるわけでもない。結構、日本は何百兆の借金があると言っても別に誰かが取りに来るわけじゃない。

日本の危機というのは、ずばり若者が危機に晒されていることだろうと思う。
実は全地球的に言えば、これまで人類の歴史上、あり得ないぐらいの高度成長をしているから、本来仕事なんてやりきれないぐらいあって、カネも資源もあふれるぐらいあって、知力だって他の国の若者に比べて非常に高いと思う。

では何が足りないのか、それは「英語力」(海外とのコミュニケーション能力、あるいは人間関係)だと思う。単に日本の高品質の人材が、実は単に日本という枠の中に押し込められているから、既に成熟してしまったこの社会で何かをすること自体がうまくできなくなっているんじゃないだろうか。

だけれども、今の日本の権力者層がその地位で居られるのは、日本人が日本語をしゃべり、日本で一生を終えるからであるから、みんな普通に英語をしゃべって、海外で暮らし、カネを稼いで、外人と結婚すると、残った日本には、単に非効率な一部の人だけに有利なガラパゴス的行政組織だけが残ってしまう。しかし、このままITや教育システム、外国人の流入、仕事のやりとりなどの不可逆変化が進んでいけば、早晩、日本の中間層も英語当たり前、仕事は外人と一緒にやる、ということになっていくだろう。
そうすると、日本の枠に囚われない、ニートをやるより外国を放浪するパターンにも多くなってくるかもしれない。

だから日本国の最後というものがもし来るのだとしたら、日本人の中心のボリュームゾーンの人々が英語OKになってしまい、「日本人が半外国人化して溶けてなくなること」によって起きるんじゃないかと、最近、思っている。

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