2011年2月11日金曜日

エリートの弱点を見つけちゃったぜ

日本のエリート、というか受験秀才はひとつのモノサシを基準にした偏差値や点数みたいなもので鍛えられてきた。なので、その中であるレベル(合格点)を超えるためにはどうすれば良いかを毎日たたき込まれ、競争に煽られ、立ち止まって「本当にそうなのか?」という考えもなく、全体的な知識が系統的・網羅的に詰め込まれることによって生まれるという部分がある。

だから、上記のように一見、系統的・網羅的な「お約束の」形式に則って、「こういうときにはこういう現象が起きる」という風に書かれた大家の著書があると、それを疑うことなく受け入れてしまう。大抵の場合、それが有利に働く。いちいち相手を疑っているようでは、効率的な知識吸収などできないからだ。

しかし、ある日突然似非科学や、絶対的にこれが正しいという宗教に出会うと、元々、疑うということがないので、そのまま鵜呑みにしてしまい、人生を間違うことがある。いや、彼らも「正しいか正しくないか」という論理的分析にかけては非常に処理能力が高いのだが、一方で「勉強の時に使ってきた学習プロトコル」、言い換えれば活字に起こされた文章で「**年に**において、**の現象が確認された」と書かれてしまうと、これにそれほどの注意、あるいは疑念を持たずに受け入れてしまう。
これがトンデモであっても、世の中自体にトンデモのレベルまで驚異的な事象が沢山あるため、それを信じてしまうということになるわけだ。

ハーバード大学にいくと「ファウンダー(創始者)」と書かれたジョン・ハーバードの銅像があるが、実はこれには、ウソが混じっている。その場で見て、そのまま書いてあることを鵜呑みにするなという教えなのかどうかはわからないけれども、結構おもしろい。またその大学の紋章には本が3冊書いてあって、それぞれにVE RI TASと分かれている。この三つの本の文字列を組み合わせるとラテン語の「真実」という言葉にたどり着く。一冊にVERITASとは書いていないのだ。

真実に到着するには、一冊だけの本で鵜呑みにするな、ということなのだろうけれども、一方で効率的な知識吸収も必要ともなると、どうすれば良いのだろうか。とりあえず「これはすごい」と思ったことは、その本だけではなく、もういくつかの角度から眺めることが、きっと重要なのだろうと思われる。

またエリートの人の話を聞いていると「ああ、あの本を丸呑みにしてるな」ということを感じることもたまにある。だから、「***という本を鵜呑みにしてるんでしょう。これこれこういう批判もありますよ」と言えるチャンスをひとつでも見つけて黙らせれば、相手はそこら辺の話の組み立てが弱い分、粉砕することがたやすく、かつその後の付き合いもしやすいのである。

なぜなら、日本の秀才型エリートは、例え知識量が半端なくあったとしても、その知識の裏付けが弱くて元の定義を崩されると言い返せなくなって踏ん張りがきかないからだ。

言い換えれば知識が薄くてモロい。それが弱点なのである。

もっとも、そうであったとしても普段の生活において他者と多くの議論をする習慣が既にできている場合、言い返されたときにさらに言い返すという踏ん張り部分も鍛えられる結果、この社会において最強になる可能性はある。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。