2011年1月19日水曜日

統一地方選の足音

この時期になると、春の統一地方選の準備で、徐々に政治活動をしはじめる人たちが、辻立ちをしてビラを配ったりしているわけだけれども、その時、そのビラを読んで読むところと言えば、それを志した理由の部分なのだけれども、結局は「自己実現」のためにやっているのがその理由なものが多い。
言い換えれば、自分のためにやっているのであって、社会のためというのが一番に最初にこない(頭にない)、ということがわかる。

まあ、結局はそういう人はあんまり支持を得られなくて落選、ということが多いので、それはまあ社会のバランスというものだろう。
それに自己実現という意味では努力をすることそのものに意味がないとは言えないので、その行動自体が悪いこととは言えないけれども、せっかく行動する割には何か方向性がズレてるという感じもする。そもそも強制的に皆から税金を取り立てて、それをもとに社会サービスを行うのが行政の仕事であって、それを監視するために議員がいるわけなのだが、実際に議員になって一般市民の役に立つ人間というのは、社会においていかに利益配分が成されているのかという仕組みに精通しているという資質を持っていることだろう。

これがないと、本当の意味で活躍するのは極めて難しいと思う。何故ならば、まがりなりにも社会を維持し続けている役人に理屈で負けてしまうからだ。

さらに言えば、「自分が偉くなるぞ」とか言う自己実現系の候補者の方が、特に地方に行くと票を集めるという特徴もある。何故なら地方の経済は割と公共事業頼みの部分が多いから、「自分はすごく偉い政治家になります!」と言った方が「行政はこうあるべきで云々」と理屈を語るよりも、その人に寄っかかっていい目を見ようという人間が多い環境なので、その人と付き合うことでいい目を見ようという人たちの票を集めるからだ。

だけれども、他人が支払ってくれた税金で他人より豊かになろうという人間が社会の上層に増えてくれば、どこかがおかしくなるのは当たり前ではある(笑)

お手盛りを監視するのをお手盛りするやつが監視して監視になるのか(笑)ということなわけである。
社会の一般層が普通に黙ってしおらしく暮らしていくと、天下りと税金の額と法律の量が増えていくばかりなのである。

しかし、社会があんまりおかしくなると、それはおかしいと言う人が出てきて社会のバランスが取れるはずなのだけれども、まだ具体的に「どこがおかしい」とマニアなレベルで語れる候補者は未だ見たことがないのは残念な感じがする。

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