2013年5月18日土曜日

これから僕らはどうやって生きていったらいいの


最近は、アベノミクスで経済が好転してきたというニュースが多くなってきているけれども、12月にあった衆議院議員選挙から、間違いなく変化は始まっているような状況ではあるとは思う。 

で、次は参議院議員選挙に向けて、何とかねじれ国会の状態を解消しようと、自民党はやっきになっているようだ。
もう国民は何も決められないねじれ国会を解消するために、安倍総理は国民ウケするような改革を矢継ぎ早に進めていて、ここまではまずは成功しているような感じもする。

バブルの崩壊からもう20年以上が過ぎたけれども、世の中の進み具合といえば、携帯とかパソコンとかインターネットとか、ITの分野以外は、ものすごい進歩というのは、一見、あまりないようにも感じる。

なぜ、これまで日本の国民が選挙を通して、ねじれ国会の状態を選択してきたのかというと、原因のひとつは小選挙区制によって、少数による多数の支配が可能になった現状で、ひとつの政党の執行部、つまりすごい少数の人々に日本の舵取りのすべてを預けてしまうことに対して恐怖感があるからだったのだろうと思う。だったら機能不全の方がまだいいよ、という。

以前は中選挙区制だったから、例え自民党が両院で圧倒的に過半数であっても、党内に派閥という形で5つぐらいの政党が同居しているようなものだから、それほど危険性はないけれども、今はそうじゃないのではないかということ。簡単に言うと独裁ができちゃうよ、ということでもある。(そういう意味では、小選挙区制を導入した小沢一郎さんの動きっていうのもおもしろいけれどね・・・。)

まあ、それでも先が見えないよりは、安倍総理の海外にいっぱい打って出て働いて豊かになろうぜ、というメッセージは実に魅力的で、彼を信じて参院選でも自民党を選ぶ人を増やすだろうということではあるのだけどね。

その理由は、日本国民の民主党に対する失望がものすごく大きかったというのがひとつ。彼らは2009年に政権交代させるところまでは良かったけれど、結局やったことと言えば、事業仕分けみたいなショーや、コンクリートから人へで、やったのは途中まで作ったダムを放棄するとかの公共事業の削減とか、東日本大震災における原発事故の対応とか、尖閣諸島沖で漁船をぶつけられても、その船長を簡単に解放したり、そんなに中韓と仲良くしていたようでいて竹島や尖閣諸島で彼らの増長ともいえる行動を引き出したこととか、このまま日本が本当に滅ぶんじゃないかと思わせることが多かった。
確かに無駄は減らさないといけないけれど、将来に対する投資も削っていくのはどうだろうか。

これじゃ、民主党に投票したくてもできないし、残りは維新とかみんなの党とか・・みたいな。受け皿がないじゃん・・。

そんな毎日。

で、最近、見た記事におもしろいものがあった。

 朝日新聞の「オピニオン」欄に寄稿 (内田樹の研究室)

中身を簡単に紹介すると、これまで国家というのは、国民が集まって、その国民の利益のために動く政治単位だったものが、国民の代わりにグローバル企業中心の政治単位になりつつある、というもの。日本の会社(企業)は、最初は日本人の日本人による日本人のための組織だったものが、時代の変化とともに色んな国の色んな国による、株主のための組織、になったということである。
この日本発のグローバル企業は、名前が日本風というだけで、実際には無国籍な利益追求の組織でしかない。そして究極的には株主の利益のために何でもする。しかも5年先ぐらいのところまでしか先を見ない。

結果、どうするかというと、日本発だという名前や親近感を利用して、日本の利益になるからと人々をだまし(いわゆるトリクルダウン論)、日本の資産、例えば、補助金や税制優遇(言い換えれば国民の税金)、安定して低コストな社会インフラ(例えば原発で作る電気)、そして人材(派遣労働などに関する法律によって低賃金化、かつ解雇が楽になった)、などを要求する。しかし、これは「日本の発展になるから」という、大ウソを吹いているにすぎず、実際に彼らの利益のために利用されるに過ぎない、という形ができあがる。

経団連みたいなところは、日本の発展のために原発を稼働させるべきだ、みたいなことをよく言っているけれども、じゃあ原発が福一で実際、爆発した後、彼らはいったいどれぐらい除染を手伝っただろうか?福島から優先的に雇用をしているだろうか?
できるわけがない。そういう利益にならないことは株主が許さないから、したくてもできない。

トリクルダウン論は、先に富める者が富めば、貧しい者にも富が浸透するという話だけれども、もし仮に浸透するにしても、その浸透する先は低賃金でグローバル企業に労働力を提供する発展途上国の人たちだろうと思う。そうすると、日本人はその国の人々と同じレベルまで賃金が平準化するということだから、グローバル企業のために日本に原発を作っても、そんなに得になることはない、ということになる。まあ全地球的に見れば、それが正しいのかもしれないけれども・・・。

まあ、こういう話の形は、過去にいくらでも話はあって、歴史を見ると、満州国建国とかブラジル移民とか、日本人は基本的にそういう拡大政策は嫌いではないような感じもするけれども・・・、そこに渡った人たちがどういう人生を生きたかも、なかなか興味深い。二階に上ってハシゴをはずされ・・・、みたいな。

まあでも、発展に挑戦するのはおもしろいよね、ウジウジして小金を貯め込んでたって、つまんないからさ。笑 

※書いている間に思いついたんだけど、やたらTPPとかで日本に経済的に干渉してくるアメリカ企業、例えば自動車、農業、製薬その他アメリカ議会でロビイスト活動をしている企業の株を、日銀がばんばんお金を刷ってTOBして、日本の国益に脅威になる会社には、取締役会で抵抗できるようにしたらどうだろうか? 

2013年5月15日水曜日

橋下徹さんが米軍に風俗を勧めて世間にバッシングされてるんだってさ


なんというか、彼の発言のキモが「下の世話を金を払って解決すればいいじゃん。風俗使いなよ、ぜひ!」というのを先に出してしまったのが、基本的に禁欲的なキリスト教世界からの大ブーイングを呼んだような気もする。

先の慰安婦問題と相まって、外国人から「日本人は買春が好きなんじゃないか」と思われ、「やっぱり女性を連行して兵隊の性奴隷にしてたのか」という風潮の報道をしようとする外国メディアの格好の餌食になってしまい、もう国益というか日本の評判を落としまくりだったりする。
 
やっぱ悪いのは一部の米兵なんだから、あくまで悪役は米兵にしなくちゃ。実際には、社会で守らないといけないはずの一般人の女の子を、酔った米兵が襲ってる事件があったわけで、「おまえら、性欲押さえられないんだったら、(仕方なく)風俗を使えよ」という、あくまで日本の社会を守るために、二次的にお勧めすれば、全然心証が違ってきただろうと思う。

以前に沖縄の寂れた夜の街を、友達と探検したことがあったけど、米兵の皆さんって身長2mぐらいの巨体のやつがごろごろしていて、自分なんかでもはっきりいってすごい怖いと感じたものだよ。

それで、何でもネット上の情報によれば、橋下徹さんは飛田新地組合の顧問弁護士だったんだって。
そんなわけで、彼の発言は周りにそういう業界の人に友達が多い影響だったのかもしれないね。

風俗店も、本当に自分の意思で性欲の強い女性がお金を稼ぐ場として使うのであれば、そういう場があっても別に社会的にはパチンコ屋なんかよりはいいんじゃないかという気もする。

理由は、性犯罪は確実に減るだろうというのと、社会における経済的効果があるだろうから、なんだけど、現状では、社会に性病が蔓延する温床になったり、弱い立場の女性が強制的に働かされる場であったりする可能性があるというリスクがあるわけで、安全確保のために社会できっちり管理されて存在する必要があるんじゃないだろうか。

しかしこれで、特に女性の維新に対するイメージが落ちて、参院選を控えたほかの党はメシウマ状態のような気がするな。

2013年5月6日月曜日

奥秩父へ

三峯神社の見晴し台から


連休最終日、この日なら渋滞もきつくないだろうということで、前から行ってみたかった三峯神社に行ってみた。ここは日本の神社の中でも相当に古い部類に入ると思うのだけど、そのためか所謂パワースポットとしても有名らしい。
ただ、ここに行き着くにはクルマで行くにも相当の距離を走らないといけないので、誰かを誘わず一人で行ってみた。

実際に行ってみると、 ほぼ山の頂上の開けた部分に古風だけどよく手入れの整った大きな社がいくつもある。結構規模は大きい。山のきれいな空気も相まって実に清々しい感じ。

木々には花が咲いていたりして、行く前は怖い感じの神様がいそうなところかと思ったけれど、意外に気分の落ち着くところで、すごい山の中のはずなのに、連休ということもあってか人は結構多い。

社の写真を撮るのはなんか畏れ多いので、見晴台からの写真を上げてみた。

暑い日差しだったけど、風はとても冷たくて涼しく、実に爽やかな感じだったよ。

足下は結構きりたっていて、たくさんの人がいたのだけど、みんな「すごいすごい」を連発していた。

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見晴台への階段


すごい御利益のある神様らしいので、 たくさんお願いしちゃった。

秩父は芝桜が有名だけど、マニアはもう少し足を伸ばして色んな花を楽しむとよいかもです。
参考

なお、今回はうまいこと走って、渋滞らしい渋滞にははまりませんでした。やった!

2013年4月29日月曜日

今日見た動画




このプレゼンの優れていると思ったのは、単純に統一教会が邪悪だといってるんじゃなくて、「カルト」の一般的特徴について論じているところにあるんじゃないかと思った。

邪悪なのは、物事を簡単に考えさせるための単純な善悪二元論であって、心の弱った人に、教祖などの存在を通して「善」と「悪」という単純な二元論にものの考え方を収束させ、その「善」の実現のためだと言って、実質的に、拉致やテロ行為など「悪」の行為をさせてしまうこと。

自分が正しいって信じて疑わない、っていうのが、実は一番危険な行為なのかもしれないよね。

ただ常に自分が正しいのか?と振り返ってみたり、周りの人間も正しいのか?さらには、今のこの国はおかしくないか?っていう態度、人生送るには、結構疲れるときもあるかもだよね。

2013年4月23日火曜日

埼玉のライオンと地獄のハゲタカ犬・ケルベロスの戦い

 
埼玉では、この西武対サーベラスの対立が話題のようだ。

それもそのはず、いわゆる「ハゲタカ」であるサーベラスが、もっと西武の株式を買い増して、その4割を取得することで、自分の息のかかった役員をもっと送り込んで、不採算部門の整理、なかでも西武ライオンズと西武鉄道の不採算部門の整理をしろと言ってきているようであるからであります。

(サーベラスは英語読みでわかりにくいけど、実は地獄の番犬、ケルベロスの意味らしい。名前からして悪の組織っぽい( ゚д゚ ))


今、西武は持っている鉄道がいくらかあるわけなんですが、その中でも廃止対象に挙げられている地域の地元の人たちが、それを知って、自分たちの生活インフラが廃止されてしまう、ハゲタカマジウゼー、ふざけんな!的な勢いで盛り上がってきているようです。

ところがこのハゲタカであるサーベラスは、ほかのニュースを見ると「そんなこと言ってないデース」とか「重要性を理解してマース」とか言っていて、西武ライオンズの売却も西武鉄道の不採算部門もそのままにします、今のままです、ほんとそのままなんです的な感じで発言を続けているところのようです。

この話は、西武とサーベラスが、いよいよ上場に向けて進んでいっている途中で、予想した株価にならないことが原因で、サーベラスがもっとあーしろこーしろ言ってる話がこじれて、西武側がキレて「このクソハゲタカがこんなこと(公共性を無視して金儲けの材料にして我々の生活を破壊するようなこと)を言ってますよ!」を関係の地元の皆さまに暴露した結果、関係者が「ぬぁぁぁにぃぃぃ(怒)」みたいな形になっているようであり、そもそも発端としては、どうやら本当に赤字のものはみんな切り捨てて、株式再上場時に高い株価を付けて売り抜けたい、というのが狙いだったようです、が、はたしてこの話、今後どうなるのかなー、という意味では、プロ野球を見るより、かかってるお金とか生活とか気合いや本気度が違う分だけ、見ていてドキドキする感じがします。

だけどこの話、そもそも西武グループ自体が、なんで今のような形になってしまったのか、税金をちゃんと払わないビジネスモデルが批判されて今のような地位になったんじゃね?とか、現在の経営の流れを汲むのが本当に社会にとってプラスなのか?とか、公益があるからと言って、私企業が赤字の事業をその裏付けもなく続けていていいのか?とか、あるいはこういうニュース自体が人々の耳目を引くことで株式の価格に影響させるためにやっているのか?とか、いろいろと考えどころもあります。

まあ、ハゲタカさんの考えは、安く買った株を、とにかくいろいろやって高く売り抜けて金儲けしたい、ついてはそのせいで誰かが泣いても別に構いません、それだけじゃないかと。
(但し、自分が悲しい目になることは除く、みたいなね。)

決戦は6月です。ニュースをお楽しみに。

地平を駈ける獅子を見た☆-(ノ゚Д゚)八(゚Д゚ )ノイエーイ 

歌:松崎しげる

2013年2月17日日曜日

人間関係に潜む法則


最近、「マインド・コントロールとは何か」という本を読んでいる。一回ざっと読んで、今二周目あたり。なかなか良い本だと思う。

これは、マインド・コントロールというものをテーマに選んでいるのだけれども、実はその中身は「社会心理学」の本である。
では、社会心理学とは何かというと、「実在する他者や想像の上で他者を想定することによって、個人や集団の行動がどのようになるのかを科学的に研究する学問である。」とある。ふむ。

社会心理学は、人間集団の各メンバー、あるいはその集団の動き方を研究するものであって、自分の理解では、スポーツにおけるアスリートがセルフ・コントロールすることや、メンタルを整えるのに使うテクニックと大差ないように思える。
結局のところ、人の動きをどう科学するかということであるから、積極的に自分自身をコントロールしようとしなくても、そもそも論として、人々がその存在に気がつくか否かには関係なく、例えば政治や宗教、商売のみならず、職場や学校での人間関係に至るまで、そこに人と人の間の人間関係が存在する限り、「人間関係に潜む法則」というものが隠れていることを示唆している。

さらに言うと、これを理解することによって、他者をマインド・コントロールできるということであって、それを制している層が、実はこの世の中をコントロールしているようにも感じる。
そんなわけで、ちょっとおもしろいワードを拾っていってみたい。

1.グループ・ダイナミクス

 元々集団にはたらく力についての学問を指す言葉。何が集団に力を与えるか、どんな条件がその力を変えるのか、その力はどんな結果を集団にもたらすのかといったことを科学的に研究することを指す。
 結論としては、群集心理とリアリティの構築、つまり知覚された現実感の構築である、とある。
 ふむ、ちょっと難解・・。

 人間にとって、それが正しいか否か、というのを判断する材料というのはどこにあるのだろうか?
 理性的な人間なら、それは論理であるのかもしれないけれども、もちろん論理というのは何かの対象物があって、それに対する理解が前提であるから、一見矛盾のない、あるいは理屈として存在が可能な場合には、あるもの、ある状況を否定することはできなかったりする。そこで、他者の動きや、これまでの経験に照らしてどう動くべきかを決定しようとする。

 そんなこともあって、例えば群集心理においては、まず群衆状態が人に暗示性を高める効果を持つ。

 いわゆる「みんなやってますよ。あなたは?」というやつで、これは特に日本においては強力なプレッシャーとして存在しているようだ。
 しかし、これは日本人だから特に、ということではなく、例えばナチス政権下のドイツでは、この心理状態を上手に使う政治集会を開いた。例えば、人数に比して狭すぎる部屋に群衆を入れて、さらに熱心な支持者を最前列に配置するなどしてしたようだ。つまり、こうやって、演説や意見にリアリティがあることを、その参加者に植え付けようとしたわけだ。

 こういう環境では「集合的無知」と呼ばれる現象が発生する、とある。

 人は、同じような状況下にいる周囲の人々の中で、自分一人が逸脱した行為を避けるため、(実は誰一人として)「正しい」とは思っていない行為であっても、その場にいる全員が、そのような状況下で与えられた規範に遵守した行動を行ってしまうことを言う。
 有名な例としては、900人もの信者が集団自殺を行った、ガイアナの「人民寺院事件」では、教祖が「自殺せよ」という命令を下し、それに従った信者が多くいたため、その状況に影響されて信者は次々に自殺するという事件が起きた。

 中にはその命令に従うのがイヤだった人がいたはずだけれども、こういう例を見ると、他者と規範を共有しようという力は、人間のこころにおいては、非常に強いものがあるということがわかる。
 つまり、人間集団はある枠に閉じこめておいて、ひとつの規範を作って維持できれば、従わせるのは割と簡単なものらしい。
 しかも、おもしろいのは、それが強制されてそうなったというものではなく、各メンバーに自分自身の判断でそうした、と思わせることが可能なところがミソなわけである。

2.ビリーフ・システム

 ビリーフというのは、例えば「○○という場合」、人が「~するべき」あるいは「~しなきゃいけない」と思うこと。あるいは「○○って××だよね」と考えるパターンのようなものであって、例えば「神が宇宙を作った」「A型の人は几帳面だ」「政治家は腹黒い」「霊界がある」などが例に挙げられる。ビリーフというのは、信念と訳されることが多いようだけれども、むしろそれよりも「知識」「偏見」「妄想」「ステレオタイプ」「イデオロギー」「信条」「信仰」などを指す言葉であるとある。
 つまり、人がこう動くべき、という決定のバックヤードに存在する情報の総称みたいなものだろうか。

 時に、ビリーフシステムというのは、「○○は~すべき」という違いによって、人と人の間で衝突の原因になる。これは本には書いていない、どこかのネットに書いてあった情報だけれども、端的に理解しやすいからメモ替わりに書いておこう。

 題して「人の怒りというのはどこから来るか」
 ある人(ここではAさんとしよう)が「約束の時間には15分前に来るべきだ」というビリーフを持っていたとしよう。で、Bさんは「自分の時間は大切だから、待ち合わせの時間にはギリギリでも時間前であれば問題ない」というビリーフを持っていたとしよう。

 この二人が仕事で待ち合わせたときに、例えば8時半に待ち合わせるとき、Aさんは8時15分から待っていて、Bさんは8時29分に約束の時間に現れたとしょう。
 そうすると、Aさんは、自分は15分前からBを待っているのに、けしからんじゃないか、ということになる。仕事を舐めてるというような感情を持つかもしれない。

 Aは無駄に時間を使ったということになり、特にBがAの部下だったりした場合、何かあったら困るから、約束の時間前に来るべきだと諭すしかもしれない。Bさんがもしその話を聞いたら、そんなんだったら、最初から8時15分に待ち合わせをすればいいじゃないか、その考え方自体が無意味だ、等という発想にもなるかもしれない。
 これは特にどちらが悪いというわけでもなく、「考え方(ビリーフ)」の違いによって、人と人が衝突する例である。

 人間というのは、ひとつひとつの行動をするときに、特にひとつひとつの事象に対して「本来、人間と人間は何分前に相手と落ち合うべきか?」などということを深く考えない。
 それぞれ、自分にあったビリーフを使って行動する。

 もし、こういったビリーフを用意していないと、人間が行動するに当たっての思考量が莫大になってしまい、行動が制限されたり、状況の変化に追いつけないということが起こるからだ。
 よく哲学の本に出てくる「ビュリダンのロバ」という話がある。右にも左にもおいしそうな干し草があるのだけれども、どう行動しても量、距離ともに同じであると判断したために、どちらも選べなくて、結果、餓死してしまうという間抜けなロバのことだ。
 そこで、人は例えば、包丁を持つとかするとき、右利きだから右手で持つとかいう決定は無意識下で決定する。

 それと同じように、例えば何か行動を決める時に、右利きの人が左手で包丁を持つかどうかというと、これは慣れていないからやりづらいと言うこともあるし、さらに言うと行動以外に信条がころころ変わるやつというのは、実に他人から見ると信用のおけない存在と見られやすいということもある。

 昨日まで巨人ファンだったのに、今日は阪神ファンとかいう人がいたとして、同じ巨人ファンの友達がもしいたとしたら、「何だよアイツ、わけがわからん」ということにもある。

 よって、人は「僕ってこんな人だよ」ということを、自分自身に納得させ、さらに言うと「僕ってこんな人だよ」ということを他者に伝えて、人間関係を円滑に進めようという習性が構築されてくるようだ。

こういうビリーフというのは、脳内でお互いのビリーフが矛盾しないようにシステム化するようだ。ここでできあがったシステムのことを、スキーマ、と呼ぶとのこと。

3.コミットメントと一貫性

 人間というのは、自らの行動の一貫性というものに強いこだわりがあるようだ。
 ここでは、自動車販売における「ロー・ボール」というテクニックが紹介されている。最初、だれでも承諾してくれそうな小さな要求を出して、それを承諾させてから、徐々に新しい要求を加えていって、最終的に計画通りの要求を飲ませるというものだ。

 新車のディーラーは、最初はとにかく破格に好条件の話で客に対してアピールする。それによって、客はその極端によい値段で買うことを決定し、契約書にサインする。その後、ディーラーは客が付いている思っていたオプション、たとえば、エアコンだとか、ステレオであるとかを追加請求する。しかも、その際に上司に電話で連絡したりして、それをサービスできないことをチェックし、自分の責任ではないというポーズをとって、客からの印象を悪いものにならないように注意しながら、値段をあげていく。

 人は最初に「買うことに決めた」という自分の意思表示を、自らその条件が変わったからといって、一度決定した意思表示を変更したくない、という心理が働く。
 例えばアメリカでは、献血推進のための署名活動を行ったら、献血協力者が増えたという応用例もあるとのこと。

 その理由というのは、人というのは「自分はこういう人間」という立ち位置を社会において維持するのに、かなりの努力を払っていると感じられることだ。
 だから、例えばグループ・ダイナミクスや、他者から合理的(と思えるビリーフ)と注入されると、後は自縄自縛となってその人を拘束する。この拘束する力というのは、特に知的能力的に劣っていない人であっても、引っかかってしまうものらしい。

4.実は他にもいっぱいいろいろあるけれども・・・。

 あるいはその知的能力が高いが故に自分自身を納得させる言い訳みたいな言葉を紡ぎ出して自分自身を追い込む、あるいは組織や上司、社会の流れに流されやすくなってしまうことも多々ある。この本にはその名前は書かれていないが、まさにオウム真理教に高学歴者が沢山いたことが、その証左であるのかもしれない。
 常に自分自身のなかにあるビリーフが正しいのかどうか、逆に流されていないかを検証する習慣というのは持っていないといけないのかもしれないね。


グループ・ダイナミクスや、コミットメントをさせるところなど、心理学をうまく応用しているよね?
そして、新しいビリーフを注入するというわけ。

それはそうと、餃子の王将の餃子はなかなかにおいしい・・。

※参考文献


※こちらもおもしろい。

「信頼できない話は大声でやって来る」 科学者、菊池誠さん<「どうする?原発」インタビュー第6回>(3/4ページ) | ニコニコニュース http://news.nicovideo.jp/watch/nw353113/3

2013年2月11日月曜日

千葉をドライブ



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ちょっと足をのばして平砂浦まで。
 
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さすがにここまで来ると海がきれい。サーフィンしている人も多かった。
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ご主人を待つ犬。風に吹かれてちょっと寒そう。


連中の中日、一人でちょっと千葉にまでクルマで足を伸ばすことに。

気がついたこと・・。

結論:都会を脱出するのは、公共交通機関の方が良いかも。笑

やはり、トレイン(あるいは飛行機)&レンタカーの旅が国内を動くのにはベストなのかなあ、と。

ある程度、予想は付いていたけど、連休は中日だからと行って千葉方面に出るのは、やはり渋滞がきつい。

千葉はアクアラインができて以来、クルマの往来がしやすくなった一方で、房総半島の道路のインフラが、その流入するクルマの量をさばききれない感じがする。

また、その車の移動の性格が朝ぐらいに遊びに来て、夕方帰るというパターンのものが多くなったせいか(今回、自分もその中の一台だったわけだけれども・・) ある特定のところにクルマが集中してしまう。

また、有料道路があるのだけれども、途中で二車線が一車線に合流するというところがいくつかあって、そこがボトルネックになって、これまた渋滞を引き起こすという感じでもある。

特に行っちゃ行けないところは、 富津館山道路のハイウェイオアシス富楽里。ここはクルマをプールできる広さが全然ないのだけど、「満車」っていう標識が見あたらない(あるの?)ので、どんどこクルマが入ってくる。中に入って出るだけでも20分以上かかってしまった。


まあ、そんなこんなだけど、それでも東京を出る、帰る時間をうまく調整すればいいのかもしれない。場所としては、それなりにのんびりとしていいところです。

特に館山は、わりと好きな場所。城山公園は春になると、とても桜がきれいなところだよ。

その頃には、おばちゃん達がでかいバスで乗り付けるので、すごくにぎやかになるのでした。

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館山港という漁港。館山城が見える。(お城のふもとが城山公園ですよ)

2013年1月20日日曜日

なんかMacBook Airが充電できなくなって復活した件をメモ

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アップルストアにて

先日、うちの13インチMacBook Airなのだけど、どういうわけやら充電ができなくなってしまって、そのままバッテリーが切れで、うんともすんとも、みたいになってしまった。

ネット上でも同じようなトラブルを散見?するような感じだったのだけど、とりあえず、前から行ってみたかった銀座のアップルストアに行ってみたのだよね。

予約なしでいきなり行ったのだけど、丁寧に迎えてくれて、ちょっと待ち時間もあったのだけど、ちゃんと対応してもらった。なんか修理とか相談にのってくれるところが、あのビルの4階にはあるのだね。

場所は、とってもマカーな雰囲気がすごいところで、なんか自分が持ってるスマホは今、ギャラクシーなのだけど、なんか使っちゃいけないような罪悪感を感じるぐらいすごい。

アップルストアでは、充電器の問題なのか結局よくわからなかったけれども、どういうわけか割と素直に起動してくれて、ついでに店のお兄さんがダイアグノスティックス(自己診断)画面なんかを使って大丈夫ですよ的画面を見せてくれた。

今のMacOSは、無線LANで電波を捕まえて、その捕まえた先のサーバー上のドライブから起動できるようになっていて、本体のドライブが完全に死んじゃってたとしても、まだ起動のチャンスはあるぜ!しかも何もつながなくてもOK(ただし電波を拾えれば) という仕組みになっているらしい。(で、起動時に、その起動できるドライブが用途別?にばばばばばーっといっぱい出てきて選択できるようになるわけ。)

で、その場では割と簡単に直ってくれて本当に助かったのだけど、対応してくれたお兄さんの「(ふつー)アップルケア(ぐらい)入ってください(よ)」的な物言いがちょっと?って感じだった。
フレンドリーさを醸し出そうとして?「ふつーはこうするもんなんすよね」的なしゃべりになってしまうというあれw

あ、でも直って良かったー、本当感謝しています。

結構、この機械は稼働率高いですし。

そこそこ速いし、Windows7も使ってるし。壊れると困るんです。ほんと。
でもまだアップルケアには入ってないです。ごめん、お兄さん。

2013年1月18日金曜日

うちの近所にかわいい猫がいるんだよ


・・とは言っても野良猫(最近は、地域猫というらしい)なのだけれどもね。

出現率はやや低いが、出没地は特定できていて、確率が高いのは朝と夕。

朝、「やあ、おはよう」というと「ニャー」と返事をする。

「さむいねー」というと「ニャー」と返事をする。

「お返事ありがとね」というと「ニャー」と返事し去って行く。

そんな感じ。会話?可能。

色は黒と焦げ茶色のキジっぽい柄。写真はまだない。
 

2013年1月13日日曜日

本はこの後どうなる?

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今日、あるニコ生の番組を見ていたら、アマゾン.comの話が出ていた。

アマゾンは、それまでどこの本屋もやらなかったことを色々とやっている。
その中で、新品の書籍と中古の書籍を同時に売るということをやっていて、これをやられてどのぐらいのどれぐらいの人が新品の本を買うのか、そういうことは業界からすると脅威だ、ということ言っていた。(理由は、売り上げが下がるから、だろうと思う。)

しかし商売というものは、一方に買う立場というものも存在する。その立場からすると、実は本は新品でなくても構わない、別に読めればいい、安い方がいいという客層も現に存在していて、ではそういう人に対しても、新品の本のみを売るやり方の方が正しいのか?という問いが生まれる。
そういう客としては、出版社「のみ」が新品で高い本を売って利益を上げられる構造より、色々な人が安い本をたくさん買って読める方が好ましい世の中だ、と言いたくなるだろう。

世の中における道具というものは常に変化していて、例えば、江戸時代に徒歩や籠、あるいは馬に乗って東京から名古屋に行っていた人が、科学が進歩した現在も同じような交通手段を使うだろうか?といえば、答えは否で、普通は新幹線が第一選択肢になるだろう。東京から沖縄に行くのであれば、第一選択肢は当然飛行機ということになる。船に乗っていたら週末だけ楽しんで帰ってくるということは無理だ。

同じようなことが本を買うという購買行動にもあって、まず読みたい本を探して、購入するというプロセスにおいては、特にマニアックな本になればなるほど、アマゾンのような検索ができるネット販売が便利なわけである。まずマニアックな本をリアルに買おうと思えば、これまで大きな書店に行って探すしかなかったし、見つからなければ別の書店を探すか取り寄せするということになるわけだけれども、これをあちこち動くための交通費、あるいは時間をお金に換算すると、非常にコスト高になるわけである。もちろん、見つからないことだってある。

それがインターネットのおかげで非常に迅速に自らが欲しいものが手に入るようになったのだから、まさに社会の進歩と言えるだろう。さらに色々な人たちの書籍の購買パターンを見て、興味を持ちそうな本を提案してくれるというところまで来ている。
もちろん、それは、いいことばかりということはなく、一方で江戸時代に馬で生活していた人は、別の仕事に就かなければならないだろうし、あるいはそれがタクシーの運転みたいな仕事に代わるとすればクルマの運転技術も新しく身につけなければならなくなるだろう。だけれども誰しも社会の変化に対応しなければならないのは、人間社会というやつの宿命なんだろうと思う。

むしろ、出版関係の人に言いたいのは、今後「本を読む」という行動はどこに向かっていくのだろうか?ということを考えていくことが大切ではないかと。

現在流行しつつある電子書籍も、ひとつの方向であることは間違いないだろう。今は、電子ブックのデータの品揃えが少ないとか、紙の本に比べて大して値段が安いわけでもないとか、買ったデータが今後どうなっていくのかが不安(消えちゃうのでは?)というような不安要素が多いので、まだしばらくは爆発的に普及するということはないだろうけれども、これにはいくつも利点があるから、遠からず電子書籍は人々の間に普及するだろう。例えば:

1.電子的に本を購入させるシステムのため、本を購入するためのハードルが低い。(例えば、探して手に入れて読むまでの時間が少なくて済む。リアルな本は宅配しなければいけないけれども、データはネット配信で完結できる。)
2.かさばらない。(家で本を読む人は保管の問題を抱えている)
3.本文の検索性が高い。(あの言葉は、どこの何ページに書かれている?なんてこともわかる。)
4.エコ。(紙を無駄にしないで良い。あるいは在庫管理が簡単で社会的にも経済性が高い。)
5.紙の本ではペイできないレベルの本でも、紙に出版して流通させるという必要がないので出版が可能になる。(世の中にきめ細かい情報が広く行き渡る)
・・などなど。

近い未来、音楽や書籍というのは、アマゾンのようなサーバーを擁する企業が提供するものにすべて統一されるのかもしれないね。
もっとも、その頃にはアマゾンに対抗するような会社が出てきて、価格や品揃えで競争が行われているとは思うし、そうであって欲しい。
そういう意味では、今後、出版社は徐々に世の中で「世の中に情報を卸す」役割がなくなって、「実際に作り出す」編集プロダクションみたいなものに重点が移る時代なのかもしれないね。