2013年1月20日日曜日

なんかMacBook Airが充電できなくなって復活した件をメモ

1357983915417 
アップルストアにて

先日、うちの13インチMacBook Airなのだけど、どういうわけやら充電ができなくなってしまって、そのままバッテリーが切れで、うんともすんとも、みたいになってしまった。

ネット上でも同じようなトラブルを散見?するような感じだったのだけど、とりあえず、前から行ってみたかった銀座のアップルストアに行ってみたのだよね。

予約なしでいきなり行ったのだけど、丁寧に迎えてくれて、ちょっと待ち時間もあったのだけど、ちゃんと対応してもらった。なんか修理とか相談にのってくれるところが、あのビルの4階にはあるのだね。

場所は、とってもマカーな雰囲気がすごいところで、なんか自分が持ってるスマホは今、ギャラクシーなのだけど、なんか使っちゃいけないような罪悪感を感じるぐらいすごい。

アップルストアでは、充電器の問題なのか結局よくわからなかったけれども、どういうわけか割と素直に起動してくれて、ついでに店のお兄さんがダイアグノスティックス(自己診断)画面なんかを使って大丈夫ですよ的画面を見せてくれた。

今のMacOSは、無線LANで電波を捕まえて、その捕まえた先のサーバー上のドライブから起動できるようになっていて、本体のドライブが完全に死んじゃってたとしても、まだ起動のチャンスはあるぜ!しかも何もつながなくてもOK(ただし電波を拾えれば) という仕組みになっているらしい。(で、起動時に、その起動できるドライブが用途別?にばばばばばーっといっぱい出てきて選択できるようになるわけ。)

で、その場では割と簡単に直ってくれて本当に助かったのだけど、対応してくれたお兄さんの「(ふつー)アップルケア(ぐらい)入ってください(よ)」的な物言いがちょっと?って感じだった。
フレンドリーさを醸し出そうとして?「ふつーはこうするもんなんすよね」的なしゃべりになってしまうというあれw

あ、でも直って良かったー、本当感謝しています。

結構、この機械は稼働率高いですし。

そこそこ速いし、Windows7も使ってるし。壊れると困るんです。ほんと。
でもまだアップルケアには入ってないです。ごめん、お兄さん。

2013年1月18日金曜日

うちの近所にかわいい猫がいるんだよ


・・とは言っても野良猫(最近は、地域猫というらしい)なのだけれどもね。

出現率はやや低いが、出没地は特定できていて、確率が高いのは朝と夕。

朝、「やあ、おはよう」というと「ニャー」と返事をする。

「さむいねー」というと「ニャー」と返事をする。

「お返事ありがとね」というと「ニャー」と返事し去って行く。

そんな感じ。会話?可能。

色は黒と焦げ茶色のキジっぽい柄。写真はまだない。
 

2013年1月13日日曜日

本はこの後どうなる?

20130113_211124

今日、あるニコ生の番組を見ていたら、アマゾン.comの話が出ていた。

アマゾンは、それまでどこの本屋もやらなかったことを色々とやっている。
その中で、新品の書籍と中古の書籍を同時に売るということをやっていて、これをやられてどのぐらいのどれぐらいの人が新品の本を買うのか、そういうことは業界からすると脅威だ、ということ言っていた。(理由は、売り上げが下がるから、だろうと思う。)

しかし商売というものは、一方に買う立場というものも存在する。その立場からすると、実は本は新品でなくても構わない、別に読めればいい、安い方がいいという客層も現に存在していて、ではそういう人に対しても、新品の本のみを売るやり方の方が正しいのか?という問いが生まれる。
そういう客としては、出版社「のみ」が新品で高い本を売って利益を上げられる構造より、色々な人が安い本をたくさん買って読める方が好ましい世の中だ、と言いたくなるだろう。

世の中における道具というものは常に変化していて、例えば、江戸時代に徒歩や籠、あるいは馬に乗って東京から名古屋に行っていた人が、科学が進歩した現在も同じような交通手段を使うだろうか?といえば、答えは否で、普通は新幹線が第一選択肢になるだろう。東京から沖縄に行くのであれば、第一選択肢は当然飛行機ということになる。船に乗っていたら週末だけ楽しんで帰ってくるということは無理だ。

同じようなことが本を買うという購買行動にもあって、まず読みたい本を探して、購入するというプロセスにおいては、特にマニアックな本になればなるほど、アマゾンのような検索ができるネット販売が便利なわけである。まずマニアックな本をリアルに買おうと思えば、これまで大きな書店に行って探すしかなかったし、見つからなければ別の書店を探すか取り寄せするということになるわけだけれども、これをあちこち動くための交通費、あるいは時間をお金に換算すると、非常にコスト高になるわけである。もちろん、見つからないことだってある。

それがインターネットのおかげで非常に迅速に自らが欲しいものが手に入るようになったのだから、まさに社会の進歩と言えるだろう。さらに色々な人たちの書籍の購買パターンを見て、興味を持ちそうな本を提案してくれるというところまで来ている。
もちろん、それは、いいことばかりということはなく、一方で江戸時代に馬で生活していた人は、別の仕事に就かなければならないだろうし、あるいはそれがタクシーの運転みたいな仕事に代わるとすればクルマの運転技術も新しく身につけなければならなくなるだろう。だけれども誰しも社会の変化に対応しなければならないのは、人間社会というやつの宿命なんだろうと思う。

むしろ、出版関係の人に言いたいのは、今後「本を読む」という行動はどこに向かっていくのだろうか?ということを考えていくことが大切ではないかと。

現在流行しつつある電子書籍も、ひとつの方向であることは間違いないだろう。今は、電子ブックのデータの品揃えが少ないとか、紙の本に比べて大して値段が安いわけでもないとか、買ったデータが今後どうなっていくのかが不安(消えちゃうのでは?)というような不安要素が多いので、まだしばらくは爆発的に普及するということはないだろうけれども、これにはいくつも利点があるから、遠からず電子書籍は人々の間に普及するだろう。例えば:

1.電子的に本を購入させるシステムのため、本を購入するためのハードルが低い。(例えば、探して手に入れて読むまでの時間が少なくて済む。リアルな本は宅配しなければいけないけれども、データはネット配信で完結できる。)
2.かさばらない。(家で本を読む人は保管の問題を抱えている)
3.本文の検索性が高い。(あの言葉は、どこの何ページに書かれている?なんてこともわかる。)
4.エコ。(紙を無駄にしないで良い。あるいは在庫管理が簡単で社会的にも経済性が高い。)
5.紙の本ではペイできないレベルの本でも、紙に出版して流通させるという必要がないので出版が可能になる。(世の中にきめ細かい情報が広く行き渡る)
・・などなど。

近い未来、音楽や書籍というのは、アマゾンのようなサーバーを擁する企業が提供するものにすべて統一されるのかもしれないね。
もっとも、その頃にはアマゾンに対抗するような会社が出てきて、価格や品揃えで競争が行われているとは思うし、そうであって欲しい。
そういう意味では、今後、出版社は徐々に世の中で「世の中に情報を卸す」役割がなくなって、「実際に作り出す」編集プロダクションみたいなものに重点が移る時代なのかもしれないね。

2013年1月1日火曜日

一日の計は元旦にありと言えど・・・。

20130101_091655
今年の抱負は、「いっぱい動いて」「出会いを大切にする」です。
そしてなるべくブログにまとめていきたいな、なんて思ったり。

そう。今日は元旦。天気にもめぐまれ、また家族と一緒に初詣することができた。ありがたいことです。
正月は圧倒的にクルマが少なくなるので空気もきれい。
毎日正月だったらいいのに、なんてちょっと思ってしまう。

うちは浄土真宗なので、築地の本願寺にお参り。
中にパネル展示があった。うちの宗派、一度財政破綻したらしい。で、大谷さんという人がそれほど教育を受けていないにも関わらず、外国に打ち出でて色々な事業を行って立て直したんだ、みたいな話であり、「へーー」って感じ。(実は時間がなくて、あまりゆっくり読むことができなかった。)

インドでゴム農園をしたりしたので、色々そんな影響を受けたこともあって、この築地本願寺はふつうの仏教寺院とはちょっと違う、インド風の建築になっているようだ。

で、その活躍した歴史の絡みで当時の古地図が展示されていたので、しばらく見入ってしまった。

20130101_102603
この頃はまだロシアは帝国で、タイはシャムで、モンゴルもインドも非常に広い。
バルチスタン、なんて知らない国もあって、「えっ、何その国」なんて思ってしまった。この頃はまだイギリスが広い範囲に非常に強い権益を持っていたんだね。

そのインドだけど、現在は西はパキスタン、東はバングラデシュで分割されている。
特にパキスタンはイスラム教、インドはヒンズー教が強くて、その宗教的対立もあって現在は別の国になっている。

それを遠い東京の浄土真宗の、しかも初詣のパネル展示で思い出させる日本の仏教寺院は、なかなかしぶいと思ったのだった。

謹賀新年。

2013年がみなさまにとって、良い年でありますように。
今後ともよろしくお願いいたしますね。

2012年12月31日月曜日

大晦日に一年について考える

DSCF0041 

大晦日ですねー。

今年は、「あれ?もう終わり」的な時間の感じ方を、そのスピードがさらにいっそう早くなったように感じる一年で、ここ数年はやや低調気味だったのだけど、まあ何とか墜落しないようにがんばったという感じでもあった。

ただ日々に任せていても、物事は何も変わらないから、何かの変化が必要なのだけど、世間の人たちも、ちょっと将来が見えないような感じであって、それが世間の雰囲気を醸成しているという印象がある。

今年、少し色々思ったのだけど、やはり旅に出るっていうのがとても楽しくて、特にクルマに乗って自分の好きなところを見に行くというのは、とても刺激になる感じがした。

これは気分転換と、頭の体操になるというか。

どこかに行くと行為をするときには、時間と空間の関係性というやつに思いを馳せないといけない。言い換えると、自分が進める距離というのは、特に実際に地を這って進むとなると、時間の制約をとても受けることになる。

例えばクルマで一般道を交通法規通りに走ると、平均時速ってだいたい30km/hに集約されるようだ。
カーナビで到着時刻の逆算を見ていると、だいたいその速度で計算していることがわかる。
もっとも、それは僕が計算が得意だからそれがわかるわけじゃなくて、時速60km/hで1時間走ると、ちゃんと60km/h先に到着しているから、時計を見てその倍の時間がかかっていれば、その半分の速度だということがわかるという、それだけの話なんだけど。
要は10分後に5km先にいましたという、それだけ。

この簡単なモノサシを使って考えてみても、一日24時間しかないうち、きちんと活動できるのは、8時間と見積もるべきだろうから、どこかに旅立ったとしても、活動範囲はざっくり自分が考えているよりもかなり狭い範囲しか動けないことに気がつく。

そんなわけで、見たいものや、やりたいことの取捨選択が必要になってくるわけだけれども、結局のところ、何が自分が好きで何が好きじゃないのかというのを押さえておかないと、結局、旅が貴重なお金や時間を使いつつも、満足のいかないものになってしまうということになる。

これはおそらく生活や仕事に関しても同じ事が言えるんだろうと思うんだけど、世の中で得られるものには、制約条件があるってこと。そうすると、事前の情報っていうのがとても重要で、地図をちゃんと見て計画するとか、見たいものをメモしておくとか、そういうことが重要になる。今はネットがあるから、本当にそういうのは便利になったね。

一方で、旅(というか外)に出てわかるのは、実際に行ってみて、自分の知らないものに出会えることであって、それが得られるものだと思う。旅をいいものにするには「自分が何が好きか?」というところから出発しないといけないのだけど、実はそれが一番難しくて、自分が何が好きで何がしたいか、というのは、案外、誰も自分でもわかっていないのだろうと思う。でもどこかに行けば、それに出会える可能性がある。
偶然に知らないものに出会って、ああ、自分はこういうものが好きだったんだな、というものに気がつくというか。セレンディピティってやつね。

こういうことを言うと、いい年こいて自分探ししてる、みたいな感じで捉えれるかもしれないけれど、人間、生まれて死ぬまで自分探しで別にいいと思うんだよ。自分の利益のために他人をうまく動かそうとする人に負けちゃいけないよ。

逆に実に貴重なのは友人であって、自分じゃない誰かも当然同じ毎日を暮らしていて、その中で発見や知見というものを持っている、それをうまく交換することができたら、短い人間の人生でも好きなもの、素晴らしいものに出会える可能性は格段に増えるはずだから、きっと人生を豊かにすることができると思うんだよ。それは別に旅でなくても、本でも、仕事でも、なんでもいいわけだけど。

まあ、そうであっても、制約条件の存在は忘れないようにしないとね。
だからベストでなくても、できうる限りベターな手を打ち続ける、それでいいんじゃないかという、ことで。

まとまりませんが。良い年をお過ごし下さい。

2012年12月29日土曜日

選挙とクリスマスを超えて、そして・・・

街中、どこかに行けばクリスマスソングが流れていた時期を終え、スーパーで買い物をしていても第九が流れる時節となり、選挙も経たことで世の中は色々と切り替わったムードとなったようにも感じる。

この12月で大きなトピックは、やっぱり衆議院の選挙があったことだろうと思う。ここから考えてみたい。

民主党:冬の陣の巻(あるいは冬に選挙するっていう事の意味について)

今回、どういうわけだか野田総理がこの時期に解散を決めて、あれよあれよという間に選挙になってしまって、自民党大勝という感じになった。自分は勝手に選挙時期は充分に準備ができる夏だと思いこんでいた。で、参議院と併せて同日選、のような。

なぜなら、この冬にいきなり選挙となると、その準備が組織としてやり慣れている自民党と公明党の候補に有利であって、自分がもし民主党の偉い人だったら、与党になって3年、まだまだ基盤の弱い若い議員を沢山抱えているのだから、1日でも長く与党として活動して、支援者との関係性を強化したいと思うところだろう。

普通だったら総選挙は、世間の人たちの仕事の少ない(?)8月あたりにやって、祭り気分を盛り上げ、投票率が高くなって、浮動票、つまり普段選挙に行かないような人の票が沢山集まって結構、大きな意味を持ってくるところなのだけれども、今回は、やはり60%を割り込む結果となったのだった。

これは、今回話題になった「第三局」潰しのためにやったのだろうかもしれないな、なんてことも感じる。

おそらく第三局の人たちも、えー、もう選挙なのー?困るよー!と思っていた人は多かったようで、またその準備も、第三局の偉い人たちが主導権争いをしていて、連合して選挙の具体案(政策は何を訴えるか、どこの組織と組んでどこと組まないか・・など)も、固めきれず、結果、どう選挙するかを組み立てるところまで行ってなかったようだ。

実際、その第三局の立場から選挙やってるところを見に行ったのだけど、「党本部が機能していない・・・」ということを言っていた。
一方、街は自民党の候補のポスターでいっぱい、みたいな感じ。創価学会の人たちは今回もみんながんばったんだろうね。
自民と公明なんて、目指す政治がまったく逆方向なのによくやるよ、とも思ったものだけれども、ある意味、自民党の暴走を食い止める歯止めになるのかもしれず・・何とも言えない。

だいたい選挙を仕切る党本部の仕事、あるいは政治家たちのバックヤードで働くのは割に合わないことが多い。

仮に党本部の職員になったとすると、
1.公職選挙法に関する非常に高い知識が要求され(これがないと運動員や候補者も捕まりまくりになります)2.多数の候補が、知名度の高い議員や代表が(自分の)応援に来ることを望むために高い調整能力が要求され、3.ポスターやビラの選挙マテリアルを企画するためのセンス、その他、適切に必要なものを調達して配布するなどの高い兵站能力が要求され、4.別に選挙に勝っても自分が議員になれるわけでもなく、負ければ対応が悪かったせいで負けた、などとdisられるなどの役回りとなり、この仕事をやって他人から評価を得るのは、かなり難しい。

それだけの能力があれば、自分で何かをするぜ、ということにもなるかもしれないけど、一方でひとりの政治家を生み出すには、相当の人が組織的に活動することが必要なのであります。
それは間違いない。
さらに、その組織を超えて勝敗を左右するのが、いわゆる風であり、浮動票でもあるわけですね。

今回の衆院選では、12党が選挙に出て、少数政党が集まって「第三局」を作って、自民でも民主でもない政権を作るんだ、などと言っていたけれども、実際、その考えが有権者に浸透し、しかも支持されなければ、その政治信条を納得して、投票の時に名前を書いてくれる、というところに行き着くわけもなく、結局、民主党はイヤだから、よくわからないから自民党にしよう、という心理は働いたのかもしれない。もし第三局潰しが野田総理の今回の選挙の目的であったとしたなら、充分にその任を果たしたようにも思えるのだよね。(もっとも、民主党はそれで小さくなってしまったけど。)

それでも維新の会は、かなり躍進したけれども、これは自民党がいやな人たちが投票した結果だとは思う。
ただ彼らの政策はそんなに自民党と変わらない感じもする。

第三局のある人曰く「結局、自民党に入っても二世、三世じゃないと上がっていけないんだよな・・」という言葉があって、事実、安倍晋三さんは岸信介の孫だし、麻生太郎さんは吉田茂の孫、石破さんだって・・、というところでもあり、そういう意味では、ちょっと日本社会における身分制度的な壁を感じるところもある。

特に維新の会に入った理由というか、入っている候補たちというのは、自民党と同じような考え方を持っているけど、公認をもらえなかったような人たちが多くて、実際、橋下さんの参謀になっているのは、堺屋太一さんとか、あるいは竹中平蔵さんとか、かつて自民党政権で参謀役をやっていた人たちがバックにいて、さらに石原慎太郎さんが党首になったという流れになっている。そう、みんなかつての自民党出身であります。

さて、一般の人の話に目を向けて見る。ネット界隈の人たち(いわゆるネトウヨではない、ちゃんとした人)の言説を見てみると、例えば脱原発についてどう思うかについても、今後どうするかについては、賛否いずれもとにかく色んな意見を戦わせてはいて、割と理性的な人が多いと思う。例えば、福一では原発そのものがずさんな管理だったとか、使用済み核燃料が未だ危険な状態だとか、色々と改革しようにも原子力ムラの存在があるとか、そういったものがあることの危険性について、一応、それを前提に色々と考えているように感じるのだけど、実際に選挙で投票をする人たちのボリュームゾーン、その多数は中高年から以降で、さらにその情報ソースは当然テレビや新聞に偏っていて、ものを考えるという習慣に関して言えば、結構感情的というか。

例えばあるおばちゃんは、「これから中国だって、韓国だって、原発を作っていくのよ!原発がなかったら日本から仕事がなくなって貧しくなるんだから!あたし達はだまされないんだから!」と言っていた。敵対する外国に対して原発がないと、経済的、国力的に不利になるんだ、という言説を、割と(感情的に?)信じていた。

さらに消費税増税について。消費税増税が参議院を通過した日、この日はイミョンバクが竹島に上陸した日でもあるのだよね。
その日に野田総理がテレビに出てきてしゃべっていたのを見ていたのだけど、「今回、消費税増税マニフェストを守れなくてごめんなさい。ところで今回、竹島に上陸した韓国大統領の行動は許せません。断固として毅然とした対応を」みたいな感じで、あれ消費税とかマニフェストはごめんなさいで終わり??と思ったのだけど、さらにその後、この件はエスカレートして、小さな島を巡る日韓の衝突が、いつのまにか日中の尖閣諸島の問題にすり替わっていて、なんなんだろう、みたいな。で、街でもあまり消費税の話はしなくなってきた。

これ、ひょっとしてものすごく巨大な茶番劇なんじゃないだろうかと思うこともある。
なんか、感情を揺さぶって目をそらせるという手は結構有効なのかな、という気がしなくもない。
でもまさか、このレベルで茶番劇をやるのかと思うと、いやまさかそんなことはないよなあ、と思わなくもない。

ちょっと個人的印象の羅列になってしまったけど、言いたいことは:

1.有権者のボリュームゾーンは、中高年層であり、投票活動においては大きな力を持つ。
2.その中高年層の情報ソースは、主にテレビと新聞。ネットを使える人は少数派。
3.テレビと新聞で感情を揺さぶられると、理性を失った投票行動に出やすい(んじゃないかな?と思った。)

という感じで、かつての「B層」という言葉も頭をよぎってしまう。マスコミおそるべし。

次回:第三局:次の夏の陣はどうなるのの巻(参院選はどうなる?)

・・・読む人がいるなら、そのうち書くかもね。(´∀`)

2012年12月24日月曜日

沖縄に行ってきました。

去る12/15-16の土日で、友人たちと沖縄に行ってきました。
20121215_091923
羽田空港は、クリスマスモード。

20121216_112842 by caffe1cac1d
きれいな海。そしてのんびり。

20121216_102145
クルマはマツダ・ロードスター。

沖縄は、高速道路も走っていますが、島を南北に縦断する国道58号線がお勧めです。(写真は国道449沿いです。)

20121215_165855
このクルマのナビは、mp3ファイルを入れたSDカードを、うまいこと認識してくれたので、音楽に困らなかった。オープンカーは天気が良くなると焼け死に状態、ちょっと寒いと凍えてしまう、という乗り物なので、楽しめる機会、あるいは場所は少ないのでした。今回は、うまいこと天候に恵まれて良かったですー。
みなさまもぜひ。

2012年10月25日木曜日

携帯モノが色々出てきて楽しくなった。

ここのところ、Nexus 7が出て、さらにiPad miniが発表され、さらにさらに同日にKindleシリーズが出てきて、もともと中華系のタブレット系いいなー、でもなんか買うのは怖いなーと思っていたので、ちょっと眺めているのが楽しい感じであります。

少し前、iPhone5がauとSoftbankから出て、「うーん、やっぱiPhone欲しいなー」なんて思っていたところでもあり、何を買うかについて、色々考えているところでございます。

今使っているのは、docomoでGalaxy S2LTE(以下S2LTE)を今年(笑)買って8ヶ月というところで、まあ、今後どうするかの思考実験だけして脳内買い物を楽しんでいるところでございます。

なぜ8ヶ月なのかというと、その前に今話題のシャープのLYNX 3Dというのを買ってみたのだけど、まあ、悪くはないけど、ちょっとビミョーな感じだったからでございます。それでデュアルコアでLTEでテザリングできるドコモの一押し携帯、ネトウヨのみなさんに大人気の韓国の一流企業、サムスンの傑作、ギャラクシーでございますよ。

S2LTEは、もちろんAndroid端末であって、デュアルコアで、ドコモの電波でそこそこ使えはするのですが、スマホならではの不満点もないわけではありません。
その不満点は:
 1.バッテリーが持たない。(特にいじりまくれる休日は持たない)
 2.通話品質があまり良くないらしい(相手から聞こえが悪いとよく言われる)

この機種はLTEの電波でテザリングできるというところが非常に良いわけですが、ドコモのLTEとは言っても思ったほどのスピードは出ません(せいぜい1~2Mbps程度)。まあそれはそれでもいいのですが、実際LTEでテザリングすると、かなりバッテリーを喰ってしまい、そのせいで携帯のバッテリーが切れ、普通に電話をかけて通話しようとする人から「つながらなかったんだけど。」などと言われ、かなり平身低頭な感じになります。

そうでなくても、普通にゲームしてみたり、ツイッターいじってみたりしてるだけでも、結構、バッテリーを喰ってしまうのでございます。もう飲んで帰る頃には、確実に携帯はバッテリー切れで自動シャットダウンです。
でも、これはギャラクシーというより、スマホ全般の問題と言えるでしょう。

あと、Android特有の話で言えば、やはりiTunesとかiCloudとの連携ほどのシームレス感はないわけであって、そこら辺の洗練さを味わってみたいからApple製品で揃えるシフトへの流れという意味では、MNPでiPhone5に転げるのも悪くないなという感じもしますね。(ただ、auにするかSoftbankにするのかというところもまた考えるわけです。)

いまのS2LTE、まあスマホとしては、まあこんなものだろうということではあるのですが、またこの秋に新機種が色々出てきたので、「どうするかなー」という意味では、また色々妄想もあったりします。今のところ、方向性は以下のふたパターンで悩んでいるところでございます。

プラン1(通話用携帯をドコモのガラケーに戻してiPad miniを追加購入する案)
 メリット:
 1.通話に関してはガラケーに戻せば、特に待ち受けのバッテリー持ちを良くできる。(外で人と会ったりする予定があっても安心)
 2.キャリアを変えないで済む。オサイフケータイ復活。
 3.iOSのアプリで遊べる。(画面がでかい。iPad miniでは、Siriも使えるらしい)
 デメリット:
 1.二台持ちはめんどうくさい。
 2.iPhoneがいじりたいよー。
 3.Wifi+Cell版は未登場。WIFIだけのモデルにする??うーむ。
 
プラン2(いっそすべてiPhone5に集約する)
 メリット:
 1.Apple様の世界で通話とクラウド環境等が1台に集約され美しい環境となる。(笑) ←でも重要。
 2.んで、7インチタブレットはNexus7とかキンドルを選択して追加、それらをテザリングして使用。(ますますバッテリー持たなそう。)
 デメリット:
 1.電池持ち問題は解決しない(と思う)。
 2.キャリア変えるのかー。ううむ。それにインフラ追いついてんの?
 3.お高いじゃん。

 親がドコモ派であるので(特に父親はゴルフ好きであって、ゴルフ場でもつながるのはドコモだけ!で、家族はそのせいで長年ドコモであったりする)まあ、ファミ割で・・なんて、色々あったりする部分はあります。ま、親の悲しそうな顔をガマンすれば別にドコモじゃなくてもいいんだけどね。僕は。世間では親子が不仲な話題でいっぱいな日本国ですが、うちは家族は仲良しなのです。

 あるいはチャレンジャーとなり、舶来の白ロム版を検討するのもありかもしれませんが、SPモードの携帯メールは・・、SIMをカットして・・・とか結構、ハードルが高い。

 さらにiPhone5の話でいうと、自分はあの「ライトニング」コネクタなるものは、認識チップが入っているとか、「うーん」という感じであって、なんかすべての製品はアップルに集約され、サードーパーティは死ね!的な運用になっていくのでしょう。
 しかし、それはなんか好きじゃないんですよ。サードーパーティが参入しやすい自由な雰囲気でオープンな感じでないとね。

 その昔、NECがPC-98シリーズを出して、それが全盛だったとき、外付けハードディスクをサードーパーティが色々と出していたのだけど、その時、PC98から、ハードディスク側へ内部コマンド的に「NEC」の文字列を返さないとちゃんと認識しない、なんてクソなことをしていて、学生の頃にちょっとその分、色々やってお高いハードディスクドライブを購入した思い出などを思い出すと、こういう金儲け主義はアップル様の「終わりの始まり」感を微妙に感じなくもない感じです。
(当時、そこそこ優秀なエプソンのPC-386Sを使っていた。でも本当は、名機PC9801RA21が欲しかったのよね。)

もっとも、現代のコネクタの話というのは、違法コピーとかセキュリティとかそこら辺の話も含んでいるのかもしれないから、一概には言えないけどね。

まだこういう系の話はあって、iPhoneは、人々の行動をマーケティングデータとして自分ところで押さえたいから(?)地図を不出来なものに入れ替えたとかいう話があったり、スマホ全般では勝手にGPSの記録取ってるとかっていう話もあったりすると、iPhone様、あるいはスマホはかっこいいけど、やはりケータイは昔ながらの通話重視のガラケーに戻し、後はタブレットで何かをどうにかする方が、バッテリー持ち関連など別問題を解決する意味を踏まえても、それが正しい方向性なのかもしれない、などと思って、そっとネットを眺めております。

それでもやっぱ、iPhoneは魅力的だよね。

おまけ:
それから、ある人もツイートしていたけど、携帯広告って、どうしてあんなにも混浴できるという旅行とエロマンガの広告が多いの???

たまに女子にのぞき込まれたときに、あれが表示されたりすると・・。
「ちっ、違うんだあああ ウワァァ-----。゚(゚´Д`゚)゚。-----ン!!!!」って気分になります。

2012年8月26日日曜日

日本が悪くなり始めたのって小選挙区制になってからじゃね?

国会議員はもう要らない、どんどん数を減らせ!という声の多い昨今ですが。
自分は結構、こういう動きは恐ろしいなあ、なんて思いながらニュースを眺めています。

国会議員は悪いことして、利権にまみれて、ワイロもらってウハウハ、みたいな話をよく聞きますが、これは簡単に言えば、いわゆるステレオタイプに過ぎないと思うのです。
もちろん、そういうことをしていた悪い人もいたかもしれませんが、実際、そういうことをしていたら、あっという間にマスコミの餌食になって選挙に落選するわけで、そうでなくても、彼らはこの選挙を控えている身であるから、有権者の皆様の顔色を伺って票をもらわないと生活や組織を維持できない立場でもあり、この暑い夏の日にも地元を回って、お祭りで次々に知らない相手に名刺を配って、政治好きのおじさんやおばさんの色々な話を聞いて回っているのが日常なのです。

彼らは、もともと仕事もできる人が多いです。そもそも弁護士であったり、一流企業の社員や、あるいは役人でやっていける、そんな人が政治家を目指しています。
それを何故やるのかと言えば、その理由は人それぞれでしょうけど、一種の使命感を持っているのは間違いはないとは思われるわけですね。

その彼らが最も恐れること・・・それは、選挙に落ちて「ただの人」になってしまうことです。
ただの人と言っても、それだけの偉い人だった人を雇用する人がいるわけでもなく、ほとんどは生活の糧を得られなくなるような状態にもなるわけで、それは絶対に避けなければいけない、そんな感じなわけです。
そうならないためにはどうしないといけないかというと、結局、選挙に落ちないように、有権者との関係を強化して、選挙のときに負けないように、日々政治活動するということになるわけです。

政治家というのは、結局なにをやってるのかというと、簡単に言うと、三権分立の司法、立法、行政のうち、立法府、つまり法律を作るのが仕事なわけですが、そこには行政を監視するという仕事が含まれるわけです。例えば、税金をちゃんと無駄なく使っているか?とかですね。

行政ってなんでしょう?行政とは、国家そのものから、司法と立法の部分を取り除いたすべてです。ここには、宇宙開発から近所のゴミ清掃までが含まれるわけです。

そして、その仕事を執り行っているのが役人というわけですが、彼らは国民から税金を取って、色々な仕事をするわけなんですが、結局、自分の仕事を安定化させるためには、ひとつは自分の仕事が奪われないようにすること、ふたつは税金をきちんと取って給料をとりっぱぐれないようにすること、が自己保身のために必要なはずなんですよ。

結果、自分の生活が誰しも第一になるから、役所の人は一般民に対しては暴走しがちなんですよ。役人が一般国民を愛していても特に得になることは少ないですから。
特に警察官などは、犯罪を起こしている人を逮捕することだってありますし、それが習い性になって上から目線になるのはしょうがないことなのです。
常に相手にへりくだっていては万引きの現行犯を逮捕するとか、無灯火で走っている自転車泥棒のような人を呼び止めることもできなくなるわけです。

また役人(公務員)は、公務員試験を受けて公務員になります。つまり、普通の人より事務処理能力が高い人をペーパーテストで選抜して公務員を選ぶわけですが、面接をするにしろ、IQは計れても、人間性を見ているわけではありません。むしろ、ライバルよりも点数の高くなるよう競争してきた人が公務員になりやすいという一般論が成り立ちそうな感じなわけです。
ですから、結局、行政というものは暴走しないように監視しておかないといけない。だから、行政の方向性というやつを決める権限というのは、選挙で選ばれた人にやらせようね、という発想になったわけです。

さて自分が日本がおかしくなりはじめたのは、小沢一郎さんが提唱した「小選挙区制」が日本に導入された頃からじゃないだろうかと思うのですよね。
・・バブルの頃までは、隆盛を誇ったわが日本国。

その頃は「政官財の鉄のトライアングル」と呼ばれていて、これが悪いことなのである、というマスコミ報道がとても沢山されていました。
でもそれがトライアングルならいいと思うのですよ。人々の声は国会議員を通じて政府を動かすことができたわけですから。

ところが衆議院の選挙制度が小選挙区制になってどうなったかというと、その特性ゆえ、死票が増えたんです。
そして一般の人たちの声(簡単に言うと、一般民がこういう法律、あるいは税制にして欲しい、という声)が届きづらくなったと思うんですよ。

どういうことかというと、小選挙区制とそれまでに行われていた中選挙区制の違いは、ひとつの選挙区から何人の議員を出すかというところが違うのですが、小選挙区制では、ひとつの選挙区から1名だけ、中選挙区制からは、複数名の議員が当選します。

そうすると世の中はどうなるかというと、何かの拍子に国会議員が落ちやすくなるんですよ。

たいていの場合、どこの選挙区も、法案や税制に関しては、A案B案で意見が分裂しているわけです。

さて例えば3人の議員が生まれる地域があったとしましょう。ここでは小選挙区制の場合、3つの選挙区がここに存在して、それぞれ一人ずつ当選することになり、中選挙区制の場合は1つの選挙区から3人が当選すると仮定しましょう。

そうすると、A案B案で意見が分裂している場合で、選挙区の人たちの考えがA(2):B(1)でB案にしたいと思う人たちが劣勢だったとしましょう。
これで選挙をすると、小選挙区制の場合は、各々の選挙区でA案の人たちが過半数を取るのでA案を採用する議員が3人になります。
一方、中選挙区制の場合は、A案を採用する議員が2人、B案を採用する議員が1人となります。つまり、小選挙区制を採用することで、国会でも少数者の意見を代弁する人が減ってしまうということが起きるわけです。

さて、もうひとつの問題点ですが、その前提として、この国の問題点は、マスコミを押さえている企業が非常に少ないということであって、テレビ局でもキー局がいくつかしかないということです。
すべてのテレビやマスコミをいくつかのメジャーなマスコミが押さえているということは、国民の価値観に多様性がなくなり、少ない数の価値観に一般の人たちがまとまりやすくなるということを意味します。

この状況で小選挙区制を採用すると、例えば今回、C案とD案が拮抗していたとき、そのテレビのスポンサーたる大企業や許認可権(その気になれば免許を剥奪できる)を持つ役所の言うことを聞きやすいマスコミが、例えば今度はC案がいい、例えばTPP賛成!とか郵政民営化を進めよう!と言った場合、すべての選挙区において、C案が有利になり、D案は潰されてしまうことになります。

他にも、「刺客」と呼ばれる作戦があります。まず選挙に出ている現職の国会議員にとっては、自分の議席を奪われるのが何よりもいやなことなのです。

だから、政治的に大企業とか社会において自分に有利な法律を欲しいと思う有力者がいて、お金持ちだったりした場合は、気に入らない政策や信条を持っている議員には、有力な若い人をぶつけて落選させようという戦術が有効になるわけです。そして、マスコミはおもしろおかしくその選挙区を煽る。そして風が起こる。ひょっとしたら、有力な大企業は刺客になる人に選挙資金を融通するかもしれない。

刺客をぶつけられる方の議員にしてみれば、そういうことをされるのがイヤだから、それだけの能力のある有力者の言うことは聞くようになるわけ。
逆に協力するようになれば、刺客をぶつけられないようにできるし、あるいは資金的な支援を得られるようにもなるわけですからね。

これは、中選挙区制では起こりづらいことなんですよ。この制度の場合、刺客を立てても気に入らないやつだけ「刺す」ことはできないし、ある程度、世の中に「こうあって欲しい」という意見をまとめれば、相対的にその議員が選挙に弱くても議席を確保することは可能であったりするからです。

こうして、小選挙区制では、議員が議員で居続ける時間は短くなりやすく、またそのために政治家を続けることで長く政治の場に留まり、勉強をして行政を監視するという能力を積み重ねていくことができなくなるわけです。もちろん、有力者の子飼になれば、長く続けることもできるかもしれませんが・・。いずれにしろ、社会のトップ層に富や権力が集中する結果になるでしょう。

衆議院が小選挙区制になってから、派遣労働に関する法律やら、金融に関する法律やら、大店法の廃止などの規制緩和、あるいは金融に関する規制緩和、公共事業の削減などなどの動きを見ると、格差が広がるのも当たり前のような気がしますね。反対者は一掃されつつあり、今後もそうあり続けるでしょう。

さらに言えば、有力議員を倒した1年生議員も、その地域で政治活動をしている時間が短くなるぶん、選挙区の後援会などの地盤が弱いままですから、都合が悪ければ、また別の若者に入れ替えされやすくなる。

こんな流れ故、ほんの20年前は「政官財の鉄のトライアングル」だったものが、今は、「官と財の鉄の壁」の時代になったのかもしれません。

※ちょっと文のおかしいとこ、直しました。

衆院定数半減、歳費3割カット=「八策」に明記へ-大阪維新の会

 地域政党「大阪維新の会」(代表・橋下徹大阪市長)は26日までに、次期衆院選向け公約「維新八策」で、衆院の定数(現行480)を半減させるとともに、国会議員歳費と政党交付金をそれぞれ3割カットすることを明記する方針を固めた。衆院定数削減などの方向性は既に打ち出していたが、数値目標を掲げることで、より具体性を持たせることが必要と判断した。
 同会は7月にまとめた維新八策の改訂版で、国・地方の在り方として「道州制が最終形」との考えを示している。道州制の導入で地方分権が進めば、国の役割は外交・防衛などの分野に限られるため、衆院議員を現行の半分に減らしても対応可能とみて、新たに盛り込むことにした。 
 橋下市長は同日、松山市で開かれた会合の中村時広愛媛県知事との対談で「国会議員を480から240に半減するということをしっかり打ち出していく」と述べた。

2012年8月19日日曜日

2012年夏 ~ そしてお盆休み(世間の雰囲気をつれづれに)

零式艦上戦闘機
お盆休みというのは、日本人の習慣で、先祖の霊が戻ってくるから休みましょう、とかいう話でありまして。
結局、みんなが休むから仕事の効率も落ちるし、そんなら仕事してもしょうがないよね、的にどこも休みになるわけで。

もっとも、この1年で最も暑くなる時期に、わざわざ混み合った仕事をする必要もないわけで、たまに家族と会って話をしたりするには、良い機会でもある。

8月15日、終戦記念日でもあるので、お墓参り代わりにお寺に参拝し、その後、靖国神社に行ってみた。

靖国神社では、この国で行われている学校教育にある「日本は負けて反省しないといけない」とか「君が代には反対する先生が起立しない」とかで小学校の頃に受けた教育の記憶とは全く違う雰囲気がある。

「日本は正しかった史観」がそこにあって、ここに集う多くの人たちは、「国のために亡くなった方々を供養しよう」「この国を守ろう」的な熱気で溢れている。

まるで別世界にいるようだ。

ここにはヤクザっぽい右翼の皆さんもいるけれど、本当に家族を戦争で失った遺族の人たち、政治家とその支持者、外人さん、あと日本兵のコスプレ(?)をして、気さくに人々と話をするおじいちゃん達もいて、実にお茶目で、そのキャラクターは実に魅力的だ。

ここには参拝のための神社という施設のほか、遊就館という、近代日本の戦争に関する文物をキュレートした記念館がある。
 
日本がアジアの中で独立と自尊のために死にものぐるいで戦った記憶が整理されている。日本人が力強く団結した記録や、「侍」の雰囲気を継承した数々の武器や文書、その他様々な貴重な物品、例えば戦闘機である零戦などが展示してある。
そこには、多くの人たちが生死をかけて戦った記憶があって、実に生々しい。

ここに来ると、戦いに明け暮れた中の圧倒的な人間ドラマがそこにあることがわかる。

色々なエピソードもどこか聞いたことがある。子供の頃から観ていた宇宙戦艦ヤマトも、ガンダムも、マクロスも、結局、太平洋戦争の記憶、あるいはそのエピソードのエッセンスを戯画化したようにも感じる。

その中心にあるのは、自分の身を挺して、国を守って亡くなった人たちの記憶の数々だろう。

さて2012年8月現在、福島で起きた原子力発電所が爆発したという、あの事故の収束点はまだ見えていない。

その影響で、ここ最近にも、社会的には色々なことが起きた。

6月頃から脱原発に関するデモが永田町で行われ、実数はわからないけど数万人が集まり、ネットでは「紫陽花革命」と言われたが、あまりマスコミでは報道されなかった。

為政者層に対するデモや活動というのは、別に脱原発に限らず、永田町あたりでは活動家はいつもデモを前からやっていたけど、この6~7月からの流れに違いがあるとすれば、その普段だったら「デモね、ふーん」とスルーするような人たちが、それに参加するようになったのが大きいと思う。

そんな中、消費税は8%、10%と段階を追って増税することが決まった。社会保障の維持のためには必要だと言って、それを世間の人は納得しているように見える。

で、その法案が参議院を通過したその日に、竹島に韓国のイ・ミョンバク大統領がやってきて騒ぎになり、人々は、消費税増税のことについてはあまり何も言わなくなっているように思う。

ここのところ、なんか急に竹島とか尖閣諸島とか、領土問題に関するニュースが増えたのを見ていると、「なんかの目くらまし?」かと思ってしまう。自分には、怒りのエネルギーの矛先をかわすため、日韓の偉い人たちが起こしたプロレス劇場のような感じもする。

逆にこういうことで一般の人たちが焚き付けられて、来年あるだろう総選挙にも、割と強硬的な人たちに権力が渡る原因になるのかな?という感じもあって、その辺考えると、そら恐ろしい感じもする。

で、日本の歴史をざっと眺めると、ひとつの共通点があるような気がする。

それは「偉い人が誰だか判らなくて、結局誰も責任を取らない」ということであって、太平洋戦争では、作戦に失敗した参謀のクビを切ることがなかった。例えば東条さんは、当時、実は人格者と言われていたけれど、戦争という人の命をやり取りする状況であっても、作戦に不具合があっても「あいつの立場が悪くなるから」とか「あいつの顔を潰すから」という理由で冷徹になりきれなかったという話もある。

他にも、アメリカと戦争が始まるときにも「勝つことを前提としてしない」戦いに向かったりしたということもある。(山本五十六大将の「1年から1年半は暴れて見せる」の言とか。)

結果、現場の人たちはものすごく戦ったけれど、それでおしまい。で、A級B級戦犯も、東京裁判という、連合国による茶番の裁判の犠牲になった立派な人たちだったと反論されて、結局、誰が悪かったのかもわからなくなった。

そして今、結局、原発事故の原因って究明されたのだろうか?
福一では、冷却用ディーゼル発電装置が津波の海水をかぶって機能停止してメルトダウン、というのが原因だったと思うのだけど、その経緯やその指揮命令系統がどうだったのかは未だに明らかにされていない。

反原発を言えば、理系的な知識のないやつのバカの発言とか、結局、日本でエネルギーにおける自立のためにはしょうがなかった、とか、デモがあれば「あいつは○○の組織のスパイだ」とかで分裂したり、なんかまったく方向性の違う話になってしまうのが、ちょっと残念な感じ。

戦前の「非国民」とかいって戦争に協力させたピアープレッシャーのやり方、今も変わっていないような。

今、原発で働く作業員の人と、戦争で散華した人たちがどうもかぶるんだよね。


BEGIN - 君を見ている